第23話 おインフラですわぁ
アストレア魔導学術院・地下第二研究区画。
そこは現在、学術院でも限られた人間しか立ち入りを許可されていない場所だった。
理由は単純。
危険だからである。
「はい、では本日の議題ですわ」
メリーがぱんっと手を叩く。
「“魔導インフラ化計画・第一段階”について」
室内に集まっていた研究員達の空気が引き締まる。
魔導インフラ。
つまり。
魔法を社会基盤へ組み込む計画。
「現在、魔核エネルギーは極めて高効率ですが」
メリーは術式投影板へ図を表示する。
「出力が不安定です」
浮かぶのは複雑な循環構造図。
魔核内部構造。
魔素流路。
制御弁術式。
「野生状態の魔核は“圧縮された嵐”みたいなものですわね」
「表現が怖いなぁ……」
瀬波がぼそっと呟く。
「実際怖いですもの」
メリーは真顔だった。
「制御なしで高位魔核を割れば半径数百メートル吹き飛びますわよ?」
研究員達の顔色が変わる。
「えっ」
「そんな危険物だったの!?」
「今まで普通に保管してたんですが!?」
「だから防護術式を組み込ませましたの」
さらっと言う。
なお現在、世界で唯一魔核安定化処理を行えるのはサロメリアだけである。
終わっている。
「ですので!」
彼女は指を立てる。
「まずは低出力安定循環装置から実用化しますわ!」
投影図が変わる。
小型魔導炉。
魔素循環ライン。
エネルギー変換機構。
「目標は“安全な家庭用魔導機器”ですの!」
「家庭用まで行くんですか」
「当然ですわ」
メリーは胸を張る。
「文明発展とは生活水準向上!」
妙に力説している。
「わたくし、異世界でずっと思っていましたのよ」
「何をです?」
「洗濯術式をもっと普及させるべきだと」
研究員達が静まり返る。
「……洗濯?」
「洗濯ですわ」
真顔だった。
「なぜ異世界は“炎槍百連射”みたいな物騒な魔法ばかり研究して、家事術式を軽視しますの!?」
「知らないですよ」
「シーツ乾燥術式とか革命ですわよ!?」
熱弁が始まった。
「戦場帰りで泥まみれになったマントを一瞬で乾燥可能!」
「用途が生々しい」
「あと紅茶保温術式!」
「また紅茶」
「お嬢様の生命線ですもの!」
ぶれない。
本当にぶれない。
◇
その頃。
研究区画隅。
橘梓は黙々と資料を整理していた。
「……」
そして気付く。
この学術院。
表向きは華やかだが。
裏側はとんでもなく泥臭い。
「予算再調整……」
「安全試験……」
「対政府提出資料……」
「海外交渉スケジュール……」
書類。
書類。
また書類。
世界最先端組織なのに。
やってることは地獄の事務処理祭りである。
「橘さん」
「はい?」
顔を上げる。
そこにいたのは若い研究員だった。
少し疲れた顔。
「これ、確認お願いできますか……」
「分かりました」
受け取る。
数秒読む。
「第三項目、数値ズレていますね」
「えっ」
「あとこちらの循環図、出力過多です。このままだと暴走します」
「うわっ本当だ!?」
研究員が青ざめる。
「助かりました……」
「いえ」
淡々と返しながら。
橘は少しだけ不思議だった。
前職では。
こういう仕事をしても。
『やって当然』
『遅い』
『気が利かない』
そんな言葉ばかりだった。
だがここでは違う。
「ありがとうございます!」
ちゃんと感謝される。
それだけのことが。
妙に胸へ残った。
◇
「――橘」
「はい?」
気付けば。
メリーが隣へ来ていた。
「少し休憩なさいな」
「ですが資料が」
「逃げませんわよ、書類は」
「いや増えます」
「それはそうですわね……」
二人同時に遠い目になった。
社畜同士、通じ合うものがある。
「ですが」
メリーは紅茶を差し出す。
「休むのも仕事ですわ」
「……」
「壊れたら終わりですもの」
その声音は妙に優しかった。
橘はカップを受け取る。
温かい。
香りが良い。
「美味しい……」
「でしょう?」
少し得意げなメリー。
「会長が淹れたんですか?」
「ええ」
「意外……」
「失礼ですわね!?」
ぷんすこするメリー。
だが実際、かなり上手い。
「異世界では、自分で淹れてたんですか?」
その質問に。
メリーの動きが少し止まる。
「……そうですわね」
静かな返答。
「最初は、一人でしたから」
その言葉に。
橘は何も言えなくなる。
聞いてはいけない空気があった。
だがメリーは気にした様子もなく、窓の外を見る。
「紅茶を淹れる時間だけは、“普通”になれましたの」
ぽつり。
「魔法も戦争も関係なく。ただ、お湯を沸かして、茶葉を蒸らして」
静かな横顔。
「だから好きですわ」
その笑みは。
いつものお嬢様演技ではなく。
少しだけ。
本当に年相応の女性に見えた。
◇
その時だった。
研究区画全体へ警報が鳴り響く。
『緊急警報。ゲート反応観測』
空気が一変する。
瀬波が即座に端末を確認した。
「……新宿西口エリア」
「規模は?」
メリーの声が変わる。
完全に戦闘時の声。
「A級相当予測!」
研究員達に緊張が走る。
だが。
メリーは静かだった。
「現在の出現予測は?」
「三分以内!」
「近いですわね……」
彼女はゆっくり立ち上がる。
その瞬間。
空気が変わった。
さっきまで紅茶を飲んでいたお嬢様が消える。
代わりに現れるのは。
災害そのものを踏み潰す側の存在。
「瀬波」
「はい」
「現場封鎖を」
「既に」
「橘」
「……はい」
「あなたは避難誘導補助へ」
「分かりました」
橘は息を呑む。
指示が速い。
迷いがない。
たぶん。
この人はこういう修羅場を何百回も潜ってきた。
「会長は?」
瀬波の問い。
メリーは静かに笑った。
「もちろん」
赤い瞳が細まる。
「現地へ向かいますわ」
その声に。
研究員達の背筋が震えた。
人類最強。
その異名が。
決して誇張ではないと分かってしまうほどに。




