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お嬢様は本日も現実を無双する  作者: シロネル
3章

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第22話 日常ですわぁ

 アストレア魔導学術院。


 第二訓練区画。


 そこでは現在、“一般適性者向け基礎循環講座”なるものが行われていた。


 なお。


 一般とは。


 メリー基準ではない。


 そこを間違えると死ぬ。


「はい、では皆様」


 教壇に立ったメリーが優雅に扇子を開く。


「本日は“魔素知覚”の初歩段階へ進みますわ」


 受講生達がごくりと息を呑む。


 魔法。


 それはまだ、多くの人間にとって夢物語の延長だ。


 だが。


 目の前の女は、それを現実として扱う。


「まず大前提として」


 メリーは真顔になる。


「魔素は“見る”ものではありません」


 空中へ指を走らせる。


 淡い光。


 簡易術式。


 空間に循環図が浮かび上がった。


「感じる」


「捉える」


「流れを理解する」


「そして自身の内側と接続する」


 静かな声。


「魔法とは、外部の奇跡ではなく“自己制御”ですわ」


 その言葉に、受講生達の空気が変わる。


 メリーの授業は不思議だった。


 内容は難しい。


 なのに。


 妙に引き込まれる。


「では実践」


 ぱん、と手を叩く。


「目を閉じなさいな」


 受講生達が従う。


「呼吸を整える」


「焦らない」


「魔素は急かせば乱れますわ」


 室内が静かになる。


 窓から吹く風。


 遠くの訓練音。


 微かな魔素の流れ。


「自分の中を流れる“熱”を探しなさい」


 メリーの声だけが響く。


「血流でも鼓動でもない」


「もっと静かで、もっと深いもの」


 その瞬間。


 教室内の魔素が僅かに整列した。


 誘導。


 極小規模の補助術式。


 メリーは無意識に周囲環境を調律している。


 普通の魔術師なら大規模儀式級の精密制御だ。


 本人は気付いていない。


「……っ」


 受講生の一人が目を見開く。


「なんか、あった……!」


「ええ」


 メリーが微笑む。


「それですわ」


 ざわめきが広がる。


 成功者が出た。


 すると連鎖する。


「私も……!」

「暖かい感じが……!」

「え、これ?」


 空気が変わる。


 初めて。


 人類が“魔法”を自分の感覚として掴む瞬間。


 それは小さな革命だった。


   ◇


 講義終了後。


 受講生達は興奮状態だった。


「すげぇ……」

「本当に感じた……」

「俺、魔法使えるのか……?」


 廊下まで熱気が溢れている。


 その様子を見ながら。


 瀬波は小さく息を吐いた。


「……本当に変わっていくんですね」


「当然ですわ」


 隣で紅茶を飲むメリー。


 いつもの光景。


 だが。


 彼女の視線は少し遠かった。


「魔素はもう世界に満ち始めていますもの」


「会長」


「なんですの?」


「これ、どこまで行くと思います?」


 メリーは少しだけ黙った。


 そして。


「……最終的には、“新しい人類”になりますわね」


 瀬波の眉が僅かに動く。


「それは進化ですか?」


「半分」


「残り半分は?」


「環境適応」


 静かな返答。


「異世界もそうでした」


 魔素が濃い世界では、人間そのものが変化する。


 肉体。


 寿命。


 知覚。


 精神構造。


 少しずつ。


 だが確実に。


「だからこそ教育が必要なんですの」


 メリーは窓の外を見る。


 訓練場では新人達が笑っている。


 失敗して。


 転んで。


 それでも楽しそうに前へ進んでいる。


「力だけ先に手に入ると、人は簡単に壊れますわ」


 彼女は知っている。


 異世界で何度も見た。


 才能に溺れた者。


 力に酔った者。


 化物になった者。


 だから。


 学ばせなければならない。


 力の使い方を。


 人として在る方法を。


   ◇


 その日の夕方。


 学術院内カフェテリア。


「…………」


 橘梓は固まっていた。


 目の前の光景が原因である。


「ふふーん♪」


 ご機嫌なメリー。


 そして。


 その前に広がる惨状。


「……会長」


「なんですの?」


「厨房を爆破しました?」


「してませんわよ!?」


 いやしてる。


 半壊してる。


 壁が黒い。


「これはですね」


 メリーは咳払いした。


「新型魔導調理器具の試験中に、熱循環制御が少々暴走しまして」


「暴走したんですね」


「言葉の綾ですわ」


「壁に穴空いてますけど」


「空間膨張が」


「暴走したんですね」


 メリーが視線を逸らした。


 分かりやすい。


「……何を作ろうとしたんですか」


「スフレですわ」


「スフレ?」


「理論上、均一魔素加熱により完璧な膨張率を実現可能で――」


「なんで世界最強がスフレに命かけてるんですか」


「お嬢様ですもの」


 真顔だった。


 駄目だこの人。


 橘は頭を抱えた。


 なお周囲の研究員達は慣れ始めている。


「また会長がやったか」

「今日は軽傷だな」

「壁だけで済んだ」


 基準がおかしい。


「……会長」


「なんですの?」


「厨房で空間魔法は禁止にしましょう」


「ええー……」


「ええー、じゃありません」


 橘が真顔で言い切る。


 その瞬間。


 周囲の職員達がざわついた。


「言った……」

「会長に真正面から」

「新任幹部つよ……」


 だが。


 メリーはむしろ少し目を丸くした後。


「……ふふっ」


 楽しそうに笑った。


「いいですわね、あなた」


「はい?」


「ちゃんと止めてくれる人、嫌いではありませんわ」


 その言葉に。


 橘は少しだけ言葉に詰まる。


 たぶん。


 この人は本当に。


 止めてもらうことに慣れていない。


 ずっと一人で走ってきたから。


「では」


 メリーが扇子を広げる。


「次は出力を三割下げて再挑戦ですわ!」


「まだやるんですか!?」


「完璧なスフレはお嬢様の夢ですもの!」


 厨房スタッフ達が悲鳴を上げた。


 その騒がしい光景を見ながら。


 瀬波はふっと小さく笑う。


 最近、少しだけ分かってきた。


 この人は。


 世界を救いたいわけじゃない。


 誰かの上に立ちたいわけでもない。


 ただ。


 優雅で、平和で、温かい場所を守りたいだけなのだ。


 そのために。


 怪物になるほど強くなってしまっただけで。


 アストレア魔導学術院・本館屋上。


 夜風が静かに吹いていた。


 東京の街は明るい。


 ダンジョン災害以降も、人は眠らない。


 いや。


 眠れなくなったのかもしれない。


 いつゲートが開くか分からない世界で。


 誰もがどこか不安を抱えている。


「……」


 メリーは手すりへ寄りかかり、夜景を見下ろしていた。


 その手にはティーカップ。


 なお中身は三杯目の紅茶である。


 寝ろ。


「会長」


「なんですの、瀬波」


「また徹夜ですか」


「失礼ですわね」


 メリーはふっと笑う。


「まだ夜更かし程度ですわ」


「現在時刻、午前三時です」


「お嬢様の夜はこれからですの」


「ブラック企業構文やめてください」


 瀬波はため息を吐いた。


 だが。


 少し前より、そのため息は柔らかい。


 以前は警戒だった。


 今は呆れに近い。


「進捗は?」


「学術院の基礎カリキュラムは概ね形になりましたわ」


 メリーは空を見上げる。


「魔素知覚訓練」

「循環基礎」

「低危険度術式」

「精神安定訓練」

「魔素暴走時対応」


「ちゃんと教育機関してる……」


「なんだと思ってましたの?」


「もっとこう……貴族式しごき教育かと」


「わたくしをなんだと思ってますの?」


 世界最強の危険人物です。


 とは流石に言わなかった。


「ただ」


 メリーの声が少し落ちる。


「問題は中級以降ですわね」


「空間魔法ですか?」


「そこまで行く前ですわ」


 彼女は静かに指先を見る。


 淡い魔素光。


「“戦闘”が混ざる」


 その一言で空気が変わった。


「魔法は便利技術で終わりません」


「……」


「いずれ、人は戦うために使います」


 異世界がそうだった。


 最初は生活利用。


 産業利用。


 医療。


 インフラ。


 だが最後には必ず。


 戦争へ行き着く。


「人は力を見れば、武器にしたくなる生き物ですもの」


 その声は妙に静かだった。


 瀬波は横顔を見る。


 夜景を眺める彼女は。


 どこか遠い場所にいるように見えた。


「会長」


「なんですの?」


「……後悔してますか」


 少し沈黙。


 メリーはすぐには答えなかった。


 夜風が縦ロールを揺らす。


 やがて。


「いいえ」


 静かな返答。


「後悔はしていませんわ」


 それは本心だった。


「知らないまま滅ぶより、知った上で抗う方がマシですもの」


 異世界では。


 知らない者から死んだ。


 力の意味を。


 魔法の危険を。


 世界の構造を。


 理解できなかった者から。


「ですが」


 彼女は小さく笑う。


「面倒な時代になりますわね」


「既に十分面倒ですよ」


「それもそうですわ」


 ふふ、と笑い合う。


 そんな空気。


 少し前なら考えられなかった。


   ◇


 翌日。


 探索者協会・中央会議室。


 空気は重かった。


「つまり」


 政府関係者の男が額を押さえる。


「学術院の受講希望者が、更に増えていると」


「はい」


 橘梓が淡々と資料を操作する。


「現在、国内希望者約三十八万人。海外申請を含めると推定八十万人規模です」


 会議室が静まり返る。


「……頭おかしいだろ」


「世界初の魔法教育機関ですからね」


 瀬波が疲れた声で返す。


「なお現在、学術院周辺の不動産価格が急騰しています」


「やめてくれ……」


「あと“メリー様聖地巡礼ツアー”なるものが」


「帰れ」


 政府側の胃が死んでいた。


 だが問題はそこではない。


「会長」


 別の幹部が真顔で言う。


「各国から正式な技術提携要請が来ています」


「でしょうね」


「軍事利用も含めて」


 空気が変わる。


 静かになる会議室。


 だがメリーは落ち着いていた。


「お断りしますわ」


「……即答ですか」


「当然です」


 メリーは扇子を閉じる。


「少なくとも現段階で軍事転用前提の術式提供はいたしません」


「ですが抑止力として――」


「だからですわ」


 ぴしゃりと言い切った。


「現在の人類は、まだ魔法を理解していません」


 その声には重みがあった。


「理解なき力は暴走します」


 異世界で何度も見た。


 国を焼いた魔術兵器。


 都市を消した暴走術式。


 人を素材とした人体実験。


 そして。


 “怪物”を作り出した世界。


「まず必要なのは教育です」


 赤い瞳が真っ直ぐ前を見る。


「人類はまだ、“魔法を持つ資格”を学ぶ段階ですわ」


 誰も反論できなかった。


 この場で。


 実際に魔法文明を知るのは彼女だけだ。


「……しかし」


 政府側の一人が苦い顔をする。


「他国が独自研究を進めた場合は?」


「進めるでしょうね」


 メリーはあっさり頷いた。


「絶対に」


「止められませんか」


「無理ですわ」


 技術とはそういうものだ。


 一度存在が知れ渡れば、必ず広がる。


「だからこそ急ぐ必要がありますの」


 教育を。


 倫理を。


 最低限の安全基準を。


「わたくし達は、先に“人間側”を育てなければなりません」


 その言葉に。


 橘は静かにメリーを見た。


 この人は。


 きっと怖がっている。


 世界が、異世界と同じ道を辿ることを。


   ◇


 会議終了後。


 廊下を歩きながら。


 橘がぽつりと呟いた。


「会長って」


「なんですの?」


「時々、“未来を知ってる人”みたいな顔しますよね」


 メリーの足が少し止まる。


「……知っていますもの」


「え?」


「失敗する未来なら、嫌というほど」


 静かな返答だった。


 異世界は。


 何度も間違えた。


 人が力に溺れ。


 恐怖で争い。


 怪物を生み。


 壊れていった。


 だから今度こそ。


 少しでもマシな道を選びたい。


「まあ!」


 メリーは急にぱっと笑顔になる。


「ですので学術院食堂改革も進めますわよ!」


「急に話変わった」


「栄養管理は重要ですもの!」


「また厨房爆破しませんよね?」


「今回は大丈夫ですわ!」


「“今回は”って言った」


 不安しかない。


 だが。


 橘は少しだけ笑った。


 たぶんこの人は。


 こうやってわざと空気を軽くしている。


 重くなり過ぎないように。


 誰かが潰れないように。


 怪物みたいな力を持ちながら。


 案外、不器用なのだ。

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