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お嬢様は本日も現実を無双する  作者: シロネル
3章

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第21話 優秀な秘書ですわ!

 その日の夜。


 探索者協会本部・会長執務室。


 大量の書類が机に積み上がっていた。


 終わっている。


「……なぜ組織とは、増えるほど書類が指数関数的に増殖するのですの?」


 メリーは死んだ目で呟いた。


「人類七不思議の一つですね」


 瀬波は淡々と返す。


「ちなみに残り六つは?」


「知りません」


「なんですのその雑な会話」


 だが実際問題。


 学術院設立は洒落にならない規模の事業だった。


 施設。


 予算。


 人材。


 法整備。


 安全基準。


 対外折衝。


 各国との技術契約。


 探索者ライセンス制度との接続。


 魔素暴走対策。


 考えるだけで胃が痛い。


 いや。


 メリーは胃痛耐性が高すぎて逆に危険だった。


「会長」


「なんですの?」


「寝てください」


「嫌ですわ」


「即答」


「わたくし、異世界で最大十一日連続稼働したことありますもの」


「それを誇るのやめてください」


 人類基準で会話してほしい。


 瀬波は本気でそう思った。


 その時だった。


 こんこん。


 控えめなノック。


「失礼します」


 入ってきたのは橘梓だった。


 まだ仮採用段階だというのに、既に空気が秘書である。


 なんだろう。


 この“処理能力高そう感”。


「お疲れ様です」


「橘さん……」


 瀬波が少し感動していた。


 救世主を見る目だ。


「こちら、本日分の人材整理資料になります」


 机へ置かれたファイル。


 綺麗だ。


 非常に見やすい。


 分類も完璧。


 優先順位まで整理されている。


 室内が静まり返る。


「……」


「……」


「……なんですのこれ」


 メリーが震える声で言った。


「資料ですが」


「美しい……」


「はい?」


「芸術ですわ……!」


 メリーが立ち上がった。


「瀬波! 見まして!? この導線整理! この視認性! この付箋管理! 神業ですわ!」


「そんな感動する?」


「書類仕事を舐めないでくださいまし!!」


 迫真だった。


 異世界では書類処理で国家が滅びかけたこともある。


 比喩ではない。


 本当に。


「橘梓」


「は、はい」


「あなた素晴らしいですわ」


「え、ありがとうございます……?」


「残業耐性も高そうですし」


「褒め言葉に聞こえない」


「社畜適性S級ですわね!」


「褒め言葉に聞こえない!!」


 橘が思わずツッコんだ。


 その瞬間。


 メリーと瀬波が揃って固まる。


「……あ」


 橘本人も固まった。


「す、すみません」


「いえ」


 瀬波は真顔だった。


「普通の反応です」


「むしろ今までよく耐えてましたわね」


「すみません……」


 妙に恐縮している。


 染み付いているのだろう。


 “上司に逆らってはいけない”という感覚が。


 メリーは少しだけ目を細めた。


「……前職、相当酷かったのですわね」


 橘は少し黙る。


 それから、小さく笑った。


「まあ、慣れてましたので」


 その言葉が。


 妙に重かった。


 慣れていた。


 理不尽に。


 怒鳴り声に。


 終電帰りに。


 人格否定に。


 自分を削る日々に。


 メリーは静かに紅茶を置く。


「橘梓」


「はい」


「ここでは、“壊れるまで働くこと”を美徳にするつもりはありませんわ」


 静かな声だった。


「もちろん忙しくはなります。世界規模事業ですもの」


「……」


「ですが、“使い潰す”気はありません」


 橘は少し目を見開く。


 その反応だけで。


 どれほど酷い環境にいたか分かってしまった。


「人は道具ではありませんわ」


 メリーは淡々と続ける。


「壊れれば終わりです」


 それは。


 自分自身への言葉でもあった。


 異世界で何度も見た。


 壊れた兵士。


 壊れた魔術師。


 壊れた王。


 そして。


 壊れかけた自分。


「だから」


 少しだけ笑う。


「無理はしすぎないこと。よろしいですわね?」


 橘梓は、しばらく黙っていた。


 やがて。


「……はい」


 小さく頷く。


 その声音は。


 少しだけ柔らかかった。


   ◇


 数日後。


 アストレア魔導学術院・第一次中核メンバー会議。


 巨大ホールには、選抜された数十名が集められていた。


 研究者。


 元探索者。


 技術者。


 自衛隊出向組。


 そして。


 元ブラック企業戦士達。


 なぜか多かった。


 妙に目が死んでいる人材が。


 たぶんメリーの波長と合った。


「では皆様」


 壇上へ立ったサロメリアが優雅に微笑む。


「本日より、“人類初の本格魔導教育機関”を始動しますわ」


 空気が張り詰める。


「目的は三つ」


 指を立てる。


「第一に、探索者生存率向上」


「第二に、魔素技術体系化」


「第三に――」


 少しだけ間を置く。


「“怪物”を、孤立させないこと」


 静まり返る会場。


 その言葉の意味を、完全に理解できた者はいない。


 だが。


 メリーだけは知っている。


 力を持ちすぎた者は孤独になる。


 理解されない。


 恐れられる。


 人間から外れていく。


 だからこそ。


 居場所が必要だった。


「魔法は力です」


 静かな声。


「そして力は、必ず人を変えます」


 異世界で。


 自分がそうだったように。


「だからこそ、学ばねばなりません」


 赤い瞳が真っ直ぐ前を見る。


「力に飲まれないために」


 会場は静かだった。


 誰も口を挟めない。


 その言葉には。


 実感があった。


 綺麗事ではない。


 本当に地獄を見てきた者の重みがあった。


「……とはいえ!」


 突然、メリーがぱっと笑顔になる。


「暗いだけではよろしくありませんわね!」


 空気が少し緩む。


「学術院設立記念として、本日は特製ケーキをご用意しておりますわ!」


 ざわっ。


「会長、それ経費で?」


「当然ですわ!」


「ですよね」


「お嬢様たるもの、甘味による士気向上を忘れてはなりません!」


 なんか始まった。


「ちなみに厨房設備には既に魔道具を導入済みですわ」


「待ってください」


 研究者が手を挙げる。


「魔道具を、厨房に?」


「ええ」


 メリーは胸を張った。


「温度完全制御式オーブンですわ!」


 会場が静まり返る。


「魔素循環によって熱伝導誤差を〇・〇一以下に抑え――」


「会長」


 瀬波が遮る。


「また技術ツリーがお菓子方面に伸びてます」


「文化発展には食が必要ですの!」


 真理ではある。


 真理ではあるのだが。


 なんというか。


 この人。


 本当に“優雅に生きたい”だけなんだな、と。


 橘梓は少しだけ笑った。


 世界最強。


 救世主。


 怪物。


 そう呼ばれる女性は。


 案外。


 ただのお嬢様に憧れ続けているだけなのかもしれなかった。



 アストレア魔導学術院始動から二週間。


 探索者界隈は、軽く混乱していた。


『学術院の訓練効率おかしくない?』

『新人が一週間で身体強化の基礎掴んだんだけど』

『魔素循環理論、革命すぎる』

『なんで会長の講義だけぼろぼろなって出てくるんだ?』


 最後のは。


 まあ。


 察してほしい。


   ◇


「違いますわーーーーーーっ!!!」


 学術院・第一訓練棟。


 メリーの声が響き渡る。


「なぜそこで感覚頼りになりますの!? 魔素循環は筋道ですわ! 根性論ではありません!」


 ばしぃっ!


 黒板代わりの魔導投影板へ術式図が展開される。


 複雑怪奇。


 幾何学模様。


 文字列。


 数式。


 一般受講生の脳が死んだ。


「えっ」

「待って」

「今どこ説明された?」

「演算式が増殖した」


 ざわつく新人達。


 だがメリーは止まらない。


「魔素とは本来、“流れ”ですの! 循環経路を理解せずに扱えば暴走しますわよ!? 水道管ぐちゃぐちゃにして高圧水流すようなものですわ!」


「会長」


 瀬波が手を挙げる。


「例えが物騒です」


「実際物騒ですもの」


 その通りである。


「よく覚えなさいな」


 メリーは真顔になる。


「魔法は便利な奇跡ではありません」


 静かな声だった。


「制御を誤れば、人を殺します」


 空気が引き締まる。


 その瞬間だけ。


 教室から軽薄さが消えた。


 異世界で、メリーは何度も見てきた。


 暴走した魔術師。


 破裂した魔素経路。


 崩壊した術式。


 才能だけで死んでいった者達。


 だからこそ。


 ここだけは妥協しない。


「……とはいえ」


 ふっと表情を緩める。


「初歩段階でそこまで怯える必要もありませんわ」


 指を鳴らす。


 ぽっと、小さな火球が浮かんだ。


「基礎循環さえ安定すれば、生活利用程度は十分可能ですの」


「おお……!」


「例えばこちら」


 火球が変形する。


 ふわり。


 ポットの下へ移動。


 湯が沸き始めた。


「紅茶用加熱術式ですわ」


「生活感!!」


 誰かが叫んだ。


「戦闘より先にそっち!?」


「優雅なティータイムは重要ですもの」


 メリーは当然のように答える。


「異世界でも、最前線基地に茶葉保管庫を作りましたわ」


「何してるんですか」


「士気維持です」


 真顔だった。


 なお実際、兵士達からは大好評だった。


 極限環境では、温かい飲み物が人間性を保つ。


 それを彼女は知っている。


   ◇


 講義終了後。


 受講生達がへろへろになって退出していく。


「脳が焼ける……」

「でも理解できると面白いな……」

「会長の授業、怖いけど分かりやすい……」


 そんな声を聞きながら。


 橘梓は資料整理をしていた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様ですわ、橘」


 メリーは椅子へ腰掛ける。


 少し疲れていた。


 だが。


 どこか楽しそうでもある。


「教育向いてますね、会長」


「そうかしら?」


「はい」


 橘は少し笑った。


「ちゃんと相手が理解できるまで説明してます」


「当然ですわ」


 メリーは紅茶を飲む。


「理解できない側が悪い、で切り捨てるのは簡単ですもの」


 異世界では、それが普通だった。


 才能がなければ死ぬ。


 理解できなければ置いていかれる。


 だから多くの者が壊れた。


「わたくし、あれ嫌いでしたの」


 ぽつりと漏れる。


「……」


「できないなら死ね、など教育ではありませんわ」


 橘は静かに聞いていた。


 たぶん。


 この人も同じなのだ。


 努力した人間を、簡単に切り捨てない。


 だから人が集まる。


「とはいえ」


 メリーが急に真顔になる。


「問題は山積みですわ」


「予算ですか?」


「それもですけれど」


 彼女は窓の外を見る。


 訓練場。


 新人探索者達。


 魔素循環訓練。


 まだ拙い。


 だが確かに前へ進んでいる。


「時間が足りませんの」


「……」


「世界の魔素濃度上昇が、想定より早い」


 橘の表情が引き締まる。


 最近、世界各地で異常現象が増えていた。


 自然発火。


 局地的重力異常。


 魔物活性化。


 低ランクゲートの変質。


 どれも軽微ではある。


 だが確実に増えている。


「本来なら、あと十年は猶予があると思っていましたわ」


「実際は?」


「……数年あるかどうか」


 室内が静まる。


 メリーは自分の指先を見る。


 微細な魔素の流れ。


 濃い。


 明らかに濃くなっている。


 異世界に近づいている。


「会長」


 橘が静かに言った。


「怖いですか」


 メリーは少し黙る。


 そして。


「ええ」


 あっさり認めた。


「怖いですわ」


 その返答に、橘は少し驚く。


 この人は。


 もっと無敵な存在だと思っていた。


 だが違う。


「また、大勢死ぬかもしれませんもの」


 静かな声。


「わたくしが間に合わなければ」


 その横顔は。


 ほんの少しだけ疲れて見えた。


 怪物。


 救世主。


 人類最強。


 そう呼ばれる存在でも。


 全部を救えるわけではない。


 それを誰より理解している顔だった。


「……でも」


 橘は言う。


「だから育ててるんですよね」


 メリーが視線を向ける。


「自分一人じゃなくて」


「……」


「みんなが生き残れるように」


 少し沈黙。


 それから。


 メリーはふっと笑った。


「あなた、本当に秘書向きですわね」


「褒めてます?」


「ええ」


 静かな笑みだった。


「人の心を読むのが上手ですもの」


 その時。


 こんこん。


 再びノック。


「失礼します!」


 勢いよく飛び込んできたのは学術院職員だった。


「会長! 大変です!」


「なんですの?」


「入学希望者、また増えました!」


「どれくらい?」


「現時点で十万人超えです!」


 室内が固まった。


「……は?」


「海外からも来てます!」


「なんで!?」


「“メリー様に弟子入りしたい”勢が爆増してまして!」


 メリーが頭を抱えた。


「なぜ人類はそんな軽率に人生を賭けますの!?」


「会長の存在が夢になってるんですよ」


 瀬波がいつの間にかいた。


 怖い。


「世界が変わる時代です」


 彼は淡々と言う。


「だからみんな、“置いていかれたくない”んです」


 その言葉に。


 メリーは少しだけ黙った。


 変化。


 進化。


 力。


 世界が変わる時。


 人は希望と恐怖の両方を抱える。


 かつて異世界もそうだった。


「……仕方ありませんわね」


 メリーは立ち上がる。


 ドレスの裾を翻し。


 いつものように胸を張る。


「ならば受け止めますわ!」


「軽く言うなぁ……」


「お嬢様たるもの!」


 びしっと指を立てる。


「未来ある若者を導く義務がありますもの!」


 その姿に。


 橘梓は少しだけ笑った。


 この人はきっと。


 自分では気付いていない。


 救われているのは、生徒達だけではないことに。

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