第16話 勇者&王女サイドですわ
ダンジョンから戻った勇者一行を迎えた王都は、歓声ではなく困惑に包まれていた。
本来ならば。
王国最強戦力である勇者一行と、“聖女”サロメリア・ディアローザが深層到達を果たした快挙として、大々的に祝われるはずだった。
だが。
帰還した隊列の中に、赤い縦ロールの少女の姿はなかった。
「……サロメリア様は?」
「聖女様はどうされたのです!?」
兵士たちのざわめき。
民衆の不安。
その中心で、王女アリシアは静かに俯いた。
長い金髪を揺らし、沈痛な面持ちで口を開く。
「……深層部にて、モンスターの急襲があり、サロメリア様はわたくしをかばい…」
その一言で、空気が凍った。
「サロメリア様は……モンスターと共に大空洞へ落ちてしまわれました…」
悲しげな声音。
完璧だった。
誰もが息を呑む。
「そんな……」
「聖女様が……」
王女は唇を震わせる。
「わたくしも救助を望みました。ですが……あの深度です。生存は……」
そこで言葉を切った。
泣きそうな表情。
実に見事だった。
――少なくとも、外から見れば。
だが。
「嘘だ」
低い声が響いた。
勇者レオンだった。
銀色の鎧を鳴らし、王女を睨む。
「サロメリアが、あんな程度で死ぬわけがない」
空気が張り詰めた。
周囲の騎士たちが目を見開く。
王女はゆっくり視線を向けた。
「レオン……」
「俺は戻る」
即答だった。
「今すぐ救助隊を編成する。あいつは生きてる」
その声音には、確信があった。
レオンは知っている。
誰よりも。
あの少女が、どれほど異常だったのかを。
炎龍を笑いながら殴り飛ばし。
魔術学院の演習場を半壊させ。
禁書庫の古代術式を三日で解析し。
ついでに貴族令嬢らしく紅茶も完璧に淹れる。
意味が分からない女だった。
しかも本人は。
『わたくし、普通のお嬢様ですわ!』
と本気で言っていた。
怖い。
いやほんと怖い。
だが。
だからこそ。
死ぬはずがない。
「深層は危険です」
アリシアが静かに言う。
「再突入は許可できません」
「許可?」
レオンの目が険しくなる。
「仲間を助けに行くのに、許可が必要か?」
「貴方は勇者です」
王女は一歩も引かなかった。
「王国の象徴。感情で動いて良い立場ではありません」
「感情じゃない」
レオンは吐き捨てる。
「合理だ。あいつ以上の戦力は存在しない」
その通りだった。
サロメリアは規格外だった。
戦略級。
国家級。
いや。
もはや災害級。
そんな存在を見捨てるなど、本来あり得ない。
だが。
アリシアは静かに言った。
「……だからこそです」
レオンが眉をひそめる。
「彼女は危険すぎる」
王女の声音は静かだった。
「制御不能な力は、いつか国を壊します」
その言葉に。
レオンの拳が軋んだ。
彼は思い出していた。
深層へ向かう途中。
アリシアがサロメリアを見る目を。
恐怖。
警戒。
そして。
嫉妬。
「お前……」
「わたくしは王女です」
アリシアは言い切った。
「国を守る義務があります」
その瞬間。
レオンは理解した。
ああ。
こいつは。
サロメリアを、“人”として見ていなかったのだと。
凱旋の後、王女アリシアは、自室で一人座っていた。
窓の外には夕焼け。
彼女は静かに紅茶を口にする。
手が、少し震えていた。
「……これで、よかったのです」
誰に言うでもなく呟く。
サロメリアは危険だった。
強すぎた。
人間ではなかった。
だから。
だから――。
――なのに。
脳裏に焼き付いて離れない。
落ちていく赤い髪。
最後に見た顔。
『あら?』
驚いたような。
でも。
どこか納得したような目。
アリシアはカップを強く握った。
「……わたくしは、間違っていない」
その言葉は。
誰より、自分自身に向けたものだった。
「――サロメリア様が、王女殿下を庇って……」
王都中に、その話は瞬く間に広がっていた。
深層で発生した突発的な魔物の襲撃。
底の見えない大空洞。
王女アリシアを庇った聖女サロメリアが、魔物ごと落下した。
悲劇的な英雄譚。
あまりにも出来すぎた話だった。
だからこそ、人は信じた。
王都の教会では祈りが捧げられ。
広場では花が供えられ。
貴族たちは口々に“聖女の自己犠牲”を称賛した。
誰もが涙を流した。
ただ一人。
勇者レオンだけを除いて。
「……納得いかねぇ」
王城の訓練場。
木剣を振るう音が、荒々しく響く。
ガギィン!!
模擬用とは思えない衝撃に、訓練用人形が吹き飛んだ。
周囲の騎士たちが息を呑む。
レオンは止まらない。
振るう。
叩き込む。
壊すように。
「……勇者様」
副騎士団長が恐る恐る声をかける。
「少し、お休みになられては……」
「休んでる暇があるか」
レオンは吐き捨てた。
「サロメリアは生きてる」
断言だった。
副騎士団長が困ったような顔をする。
「ですが、王女殿下のお話では……」
「だから怪しいって言ってんだよ」
ぴたり、と木剣が止まった。
レオンの目が細くなる。
「サロメリアが、咄嗟の不意打ちで落ちると思うか?」
「……」
誰も答えられない。
無理だ。
あの女、普通に空飛ぶ。
しかも笑顔で。
「それに」
レオンは低く言う。
「あいつ、“庇う時の癖”がある」
「癖……ですか?」
「ああ」
レオンは思い出していた。
学院時代。
暴走した魔導炉から生徒を守った時。
魔獣災害で子供を助けた時。
サロメリアは必ず、最後にこちらを見る。
全員が逃げたか確認するために。
落下するところを王女以外、誰も目撃していなかった。
まるで。
“そう仕組まれたように”
レオンの胸の奥が、ざわつく。
「……クソ」
嫌な予感がしていた。
その頃。
王女アリシアは、謁見室で報告を行っていた。
「勇者レオンは再突入を主張しております」
王の表情が曇る。
「……深層か」
老王は疲れたように息を吐いた。
「現状、最深部付近は未踏領域。被害も大きい」
「はい」
アリシアは静かに頷く。
「加えて、ダンジョン周辺に魔族の動きがあります」
それは事実だった。
深層異変以降、魔王軍の斥候が周辺で確認されている。
目的は不明。
だが、タイミングが悪すぎた。
「サロメリア嬢を失った今、勇者まで危険に晒すわけにはいきません」
王は苦々しく頷いた。
「……うむ」
アリシアは表情を変えない。
完璧な王女。
冷静。
理性的。
国を優先する為政者。
誰もがそう見ていた。
だが。
袖の内側で。
彼女の指先は白くなるほど握り締められていた。
脳裏に蘇る。
暗闇。
咆哮。
崩れる足場。
そして。
サロメリアの顔。
『――あら』
驚き。
理解。
そして。
ほんの少しだけ。
寂しそうだった目。
アリシアは小さく息を呑む。
違う。
あれは必要だった。
サロメリアは危険だった。
あの女は、人類の枠を超え始めていた。
だから。
だから――。
「……殿下?」
側近の声で、我に返る。
「……なんでもありません」
微笑む。
完璧に。
何一つ乱れなく。
その夜。
レオンは一人、城壁の上に立っていた。
夜風が吹く。
遠くに見えるダンジョン山脈。
黒い穴のように口を開ける深層領域。
「生きてるんだろ」
ぽつり、と呟く。
返事はない。
だが。
レオンは知っている。
サロメリア・ディアローザという女を。
努力家で。
不器用で。
お嬢様に憧れて。
なのに誰より泥臭くて。
無茶苦茶で。
化物みたいに強くて。
でも。
本当は、誰より普通でいたがっていた女を。
「……迎えに行くからな」
低く呟く。
その時だった。
背後で気配が動く。
「誰だ」
剣に手をかける。
現れたのは、黒装束の密偵だった。
「報告します」
密偵は低く言った。
「深層方面に、魔王軍の大規模移動を確認」
レオンの眉が寄る。
「……数は?」
「推定、一万」
空気が凍った。
国家戦争級だ。
あり得ない。
魔王軍がここまで大規模に動く理由がない。
「目的は」
「不明です。ただ――」
密偵が僅かに迷う。
「魔王本人が出陣している可能性があります」
その瞬間。
レオンの背筋を、嫌な寒気が走った。
なぜだ。
なぜ魔王が動く。
まるで。
――サロメリアを探しているみたいじゃないか。




