第15話 一方そのころ異世界では編ですわ!
大空洞から吹き上がる風は冷たかった。
まるで世界の底から死者の吐息が漏れ出しているみたいに。
勇者一行は、沈黙したまま崩れた足場を見下ろしていた。
底は見えない。
光すら呑まれる漆黒。
サロメリアが落ちていった穴。
その場にいる誰もが理解していた。
普通なら助からない。
だが。
それでも。
「……嘘だ」
ぽつり、と。
勇者レオンが呟く。
金髪。
聖剣保持者。
王国最強戦力。
だが今の彼は、ひどく弱々しかった。
「サロメリアが……死ぬわけがない」
王女アリシアは静かに目を伏せる。
完璧な王族の仮面。
悲痛そうな表情。
だがその奥にある感情を、この場の誰も読み取れない。
「レオン様……」
静かな声音。
「わたくしも、信じたくありません」
嘘だった。
少なくとも半分は。
アリシアは確かにサロメリアを落とした。
あの女は危険すぎた。
強すぎた。
人心を掌握しすぎていた。
聖女。
悪役令嬢。
救世主。
誰よりも美しく。
誰よりも強く。
そして。
誰よりも自由だった。
だから怖かった。
国家が制御できない存在。
王族ですら従わせられない怪物。
いつか国そのものを壊しかねない存在。
だから。
必要だったのだ。
排除が。
「ですが……」
アリシアは震える声を演じる。
「この深度です。救助は……」
「行く」
即答だった。
レオンが顔を上げる。
その瞳には怒りすら滲んでいた。
「俺が降りる」
空気が張り詰める。
神官。
騎士。
魔術師。
一行の全員が息を呑む。
アリシアは静かに首を振った。
「なりません」
「アリシア様」
「勇者を失えば王国が終わります」
正論。
だからこそ厄介だった。
「ですがサロメリア様は……!」
「彼女は聖女です」
アリシアの声は静かだった。
「そして貴族です。国のために命を懸ける覚悟は当然持っています」
レオンの拳が震える。
違う。
そんな話をしているんじゃない。
サロメリアは。
あの女は。
誰より努力して。
誰より傷ついて。
それでも笑っていた。
くだらないお嬢様ごっこをしながら。
無茶苦茶な理論を振りかざしながら。
いつだって。
人を助けていた。
「……俺は」
レオンが歯を食いしばる。
「俺は、あいつを置いて帰れない」
その言葉に。
アリシアの胸がちくりと痛む。
わかっていた。
レオンがサロメリアを見ていたことくらい。
気づいていた。
だからこそ。
焦った。
自分ではなく。
あの女へ。
勇者の視線が向いていたから。
「……撤退します」
アリシアは冷たく告げた。
「これは王女命令です」
沈黙。
レオンが睨みつける。
だが。
王女命令は絶対だった。
特に勇者という存在は国家戦力。
個人感情で動くことは許されない。
レオンは奥歯を噛み締める。
血が滲むほどに。
そして。
拳を握ったまま。
振り返った。
その横顔を見ながら。
アリシアは静かに唇を噛む。
……これでいい。
これで。
国は守られる。
そう自分へ言い聞かせながら。
◇
その頃。
ディアローザ公爵家。
屋敷中が殺気立っていた。
「お嬢様が行方不明?」
静かな声だった。
だが。
その場の全員が凍りつく。
口を開いたのは、サロメリア専属侍女長リリベル。
銀髪。
眼鏡。
完璧な所作。
だが現在。
机が握力だけで砕けていた。
「詳しくお聞かせくださいませ?」
笑顔。
怖い。
報告役の騎士が震える。
「え、えぇと……ダンジョン深層にて転落を……」
「誰が?」
「……サロメリア様が」
沈黙。
次の瞬間。
轟音。
屋敷の壁が吹き飛んだ。
魔力圧。
リリベルの感情が漏れ出している。
周囲のメイド達も完全にブチ切れていた。
「は?」
「誰が落としたんですの?」
「王女?」
「殺します?」
「待ちなさい」
リリベルが静かに制止する。
だが。
目が笑っていない。
「あくまで“疑惑”です」
「でも侍女長」
「証拠もなく王族を殺すのはよろしくありません」
「証拠があれば?」
「合法です」
怖すぎますわ。
だが。
彼女達は本気だった。
サロメリアは主人であり。
恩人であり。
信仰対象に近い。
幼い頃から。
血反吐を吐くような努力を続け。
孤独に強くなり続けた少女。
それを。
誰より近くで見てきた。
だから。
理解している。
あのお嬢様は。
笑っている時ほど無理をしている。
「救出隊を編成します」
リリベルが告げる。
「戦闘準備を」
「「「御意」」」
メイド達の目が完全に戦場のそれだった。
なお。
全員めちゃくちゃ強い。
サロメリア直属侍女。
つまり。
化物の側近である。
弱いわけがなかった。
◇
そして。
魔王領。
暗い玉座の間。
そこへ一人の魔族が駆け込んでくる。
「魔王様!!」
玉座。
そこへ座る少女が顔を上げた。
黒髪。
紅い瞳。
小柄。
幼さすら残る容姿。
だが。
世界最悪の災厄。
魔王エルシェラ。
「……どうしたの?」
気怠げな声。
側近は震えながら告げる。
「サロメリア・ディアローザが……」
その瞬間。
空気が凍った。
「……誰?」
笑顔。
だが。
魔力が暴走している。
側近は青ざめた。
「ゆ、行方不明との報告が……」
沈黙。
エルシェラは固まる。
数秒。
数十秒。
やがて。
ぽつりと。
「……うそ」
その声は。
あまりにも弱かった。
あの女が?
あのめちゃくちゃで。
うるさくて。
変な紅茶を飲ませてきて。
意味不明なお嬢様理論を語って。
でも。
誰より優しかった。
自分を“魔王”ではなく。
ただの一人の少女として見てくれた存在。
そのサロメリアが?
「……やだ」
エルシェラが立ち上がる。
魔力が漏れる。
城全体が震え始める。
「準備して」
静かな声。
だが。
絶対零度みたいな殺意が滲んでいた。
「ダンジョンへ行く」
その瞬間。
魔王軍全軍へ緊急命令が下された。
進軍開始。
目標。
大空洞ダンジョン。
その報告は数日後。
人類側へ届くことになる。
――魔王軍、大規模移動開始。
その情報に。
王国は戦慄した。




