十七
さて、一方鳴海が去った後の英語教員の控え室にて。
誰もいなくなった部屋の中で京一郎は誰にとも無く、言った。
「で? 何時までそこに隠れてるんだ? いい加減に入って来いよ」
誰もいない部屋でいきなりそう声を上げる男。傍から見たら、「コイツは一体どうしたんだ?」と、思ってしまう光景であっただろう。
しかし、それを否定することが起きたのである。
「……なんで分かったんですか」
カラカラと控えめな音を立て引き戸が開かれた。
これ又控えめに顔を覗かせたのは一人の女生徒である。眼鏡にポニーテールの大人しそうな雰囲気の少女。確か鳴海と同じクラスではなかっただろうか?
「まぁ、なんだ? 俺くらいの教師になると生徒の気配くらいはビビッ! と感知しちまうモンなんだよ。お前、さっき鳴海と話してたときもずっとそっちの角に隠れてたろ? 別に用があるなら遠慮しなくてもいいんだぜ?」
この部屋は丁度曲がり角のところに位置している。その角のところに潜んでいる気配を京一郎はずっと把握していた。恐らく鳴海は気付いていなかっただろうが。
「で? どうしたんだ?」
京一郎は控えめそうな女の子だと思って、極力優しそうに声をかけてみた。
「え……っと。その……」
少女は困ったように言いよどみ、もじもじとしてしまった。案の定引っ込み思案なのだと判断し、相応の対応を試みる。
「何か質問があったんじゃないのか? 今日の授業は新しい単元に入ったからな」
「そっ……! そうなんです!」
ワタワタと手振りを交え、少女は背負っていたリュックから教科書とノートを取り出した。
「あぁ、そう言や君、名前何だったかな。まだ日が浅くて生徒の顔と名前を把握しきれてないんだ。ゴメンな?」
申し訳無さそうに言う京一郎に、少女は薄く柔らかな笑みを浮かべ答えた。
「瑞希。佐藤瑞希です。先生?」
*
「で。ここの“which”が関係代名詞な訳だろ? なら、こっちの名詞に掛かって内容を詳しくしているってことになるだろう? なら意味は自然に理解できてくるんじゃないか?」
「……あ、本当だ。先生すごいね! あんなに苦手で全然分からなかったのにスルッと理解できちゃった」
京一郎は瑞希に今日の授業の復習を含めて躓きやすい所を詳しく解説していた。元々頭はいい生徒のようで、少し解説してあげたらすぐに理解した。
「関係代名詞は重要な文法で長文問題なんかでも必ず出てくるんだよ。その割に難しくてここで英語苦手になる奴も多いんだ。でもお前は大丈夫そうだな」
「えへへ……。」
と、照れたように笑って教科書を仕舞い出す。
「ん? 職員会議まで時間あるから他に何かあったら今の内に聞いておけよ」
「ううん。大丈夫。元々質問する気じゃなか……じゃなくて、分かんなかったのはさっきのとこだけだから。それじゃぁね、バイバイ! センセ!」
笑顔で手を振って教室を飛び出していった。実際話していた時間は30分程度だったろうか。それでもそれなりに打ち解けたように思える。
思ったより元気な笑顔を見せてくれる娘だ。
それが京一郎の感想だった。
「……」
京一郎は軽く部屋の中を見渡す。そして。
「ぃや~~。参ったなぁ! 俺ってば教師は天職だったかもなぁ。セ・ン・セだってよ! いやいや、教師と生徒ってのも悪くねぇなぁ!」
「楽しそうじゃの」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
周りを確認し、気持ちの悪い妄想、或いは独り言に耽った京一郎であったが、突如後ろから掛けられた声に心臓も飛び出んばかりに驚いた。
そんな馬鹿な。気配など感じなかったはずなのに。それよりも、今の聞かれたのか!?
と、狼狽しつつも、さてどうやって記憶を抹消してやろうかと思案しながら振り返った先、彼の目に映った者は。
「ってばーさん!? それにもう一人ご婦人が……」
相手が安倍ならば気配を感じさせなかったことにも納得がいくが、もう一人の女性は何者なのだろうか。
「ふふ、ご婦人なんて言われるの、何年振りでしょうね」
「こりゃ! なんでワシだけばーさんじゃ!」
という安倍の不満を聞き流し、安倍と共に現れた初老の女性に、京一郎は目を白黒させていた。




