十六
時は少し巻き戻り、鳴海が安倍との通話を終えて暫くの後。安倍は0課の女性職員と共にとある場所を目指し歩いていた。
都内に残る下町風情、懐かしさ溢れる場所。この付近に到着したのが丁度昼時であった為、先に昼食を、と職員が提案し、知る人ぞ知るお好み焼きの名店に立ち寄ったのだが、その所為か道に迷ってしまっていた。本来の目的地が入り組んだ路地の辺りである為、車も乗り入れることが出来ない。故に徒歩である。
「申し訳ありません、課長」
安倍と共に歩く女性職員が、眉を寄せて安倍を見下ろしてきた。
「んむ? 構わんよ。時間は十二分にある。それにこういう人情味溢れる場所をのんびりと歩くのは実に心の健康に良い。そうは思わんか?」
「あらお嬢ちゃん、こんにちは」、と声をかけてきた老婆に、「うむ、よい日和じゃの」、と返事をし不思議な顔をされるのは何度目だろうか。
そんな微笑ましい光景は、そういえば心が安らぐ。要するに、気の持ちよう一つであるか。
そう気を切り替えると自然、視野が広くなった気がする。
と。
「あ、課長。あのお宅では?」
職員が指差した先にはそこらに並んでいるものと何ら変わることの無い、平凡な下町感溢れる一軒家。掛かる表札は『佐藤』。
「うーむむ。確かにあ奴は結婚して佐藤姓になったとは聞いておったが、平凡な名字だからのう。なんとも判断しづらいわい」
表札を見上げ首をひねる安倍。
「どうします?」
「ま、正解にしろはずれにしろ、扉を叩いてみらん事には話が進まんからの。ちとスマンがインターホンを押してくれんか?」
「あぁ、はい」
職員にインターホンを押してもらうと、お馴染みのピンポーンという音と、僅かに遅れてパタパタと足音が近付いてきた。
「はいはい、どなた様ですか?」
と言う声と共にガラス戸がガラガラと音を立てて開かれる。
「おぉ、やはりお主の家じゃったか。久しいのう、“小華”よ」
「……? 葛様!?」
かつてのものと全く変わらぬその姿に、小華と呼ばれたその老婆は、腰を抜かさんばかりに驚いていた。
*
今は結婚をし、佐藤姓となっているが、彼女はかつて柳と言う姓を名乗っていた。
勿論伏し名であり、元々の通り名は“ヤナギ”ではなかった。ヤナギではなく、“リュウ”で通っていた。漢字にすると“龍”、即ち、龍の如く天変地異を操る退魔士であったのだ。
ある者は炎を操り、ある者は雷を雨の如く降らせ、ある者は氷の巨塊を落として見せた。
果たして、どのようにしてその様な術を可能にしたのか。
言霊と呼ばれる言葉をご存知だろうか。簡単に言ってしまえば、良い言葉は吉兆を呼び、悪い言葉は凶兆を招くと言うことだ。不吉な言葉を口にすると本当に良くないことが起きてしまうと口をつぐむが、要はアレのことである。
言葉には力が宿っていて、現実に影響を及ぼす。それが言霊である。
つまり、『龍』と呼ばれた一族は、言霊の力を利用して、奇跡の力を発揮していたのである。
とは言ったものの、口にしただけで猛火を起こしたりなど出来得る筈はない。言葉というものはそれほどまでに普遍的で、大衆的な要素に過ぎない。言霊というものが存在するのも、そこに魂から発せられる強い意志、想いがこもっているからである。
ではどうすれば言葉に込められた力を現実のものにすることが出来るか。
即ち、念仏である。
別に南無阿弥陀仏を唱えろと言っているのではない。念仏、或いは経文というものは意味のある漢字の羅列から構成されている。その意味に、大勢の人間の強い想いが集まるからそれらは力を発揮できるのである。
有名な昔話に耳なし芳一というものがある(御存じなければ検索して頂きたい。簡単に見つかるでしょう)。彼は平家の怨霊から身を守るために、全身に経文を書き霊から姿を隠す(結果的に書き忘れた耳が見つかってしまい耳を千切られるのだが)。
そう。これが言葉が力を持つことの記録である。
さて。
『龍』と呼ばれた一族はこの事を『霊装』の応用として利用することを結論付けた。
言葉として口にするだけでは不十分であった言霊を意味のある『形』、つまり『文字』として記し、更に、それだけでは不足していた多くの人々の想い(これが所謂“概念”に当たる)を自らの魂を削ることで補い、術として確立したのである。削ると言っても命をすり減らすのではなく、精神的な磨耗である為、命そのものに影響は少ない。
これが後に『御札』、『符術』などと呼ばれるものになるのである。
*
「本当にお姿がお変わりなく」
安倍と0課職員を出迎えた老婆は一言で言えばとても上品な雰囲気であった。楚々とした、和服が良く似合う、例えば夏の暑い日に、手桶と柄杓で打ち水でもしていればとても絵になる、そんな女性であった。0課の職員はこの女性が、安倍と共に多くの妖を屠ってきたとはとても信じられなかった。
「お主は老いたのう。じゃが、元気そうで何よりじゃ」
安倍の言うとおり、彼女は腰も曲がらず真っ直ぐで、正座している今もとても姿勢が良い。
「あら、お言葉ですね」
「ワシらの間に気を置く必要などあったかの?」
「いいえ、ちっとも」
老婆は鈴が転がるように、朗らかに笑った。
彼女たちは現在畳敷きの客間にいる。安倍の突然の訪問に面食らいはしたものの、すぐに落ち着きを取り戻し、こうして茶まで供されていた。
これは良いお茶だ。
0課職員は香り一つでそう判断していた。とても良い香りだ。
「それで? 突然私の元を訪問なさるなんて、一体どうなさったんです? もしかして私の力を御所望なんでしょうか?」
「――ッ!」
雰囲気が一瞬だけ、剣呑なものに変わったような気がした。ただそれだけで、職員は手の平に汗を握っていた。それも、ぐっしょりと。
嗚呼、間違いない。間違いなく、彼女は一流だ。
「今更、引退した“龍の巫女”に協力など求めてはおらんよ。今は若い世代が頑張っておるからの」
「では?」
「んむ、先ずはこれを見てもらえるかの」
そう言って安倍は懐から紙片を一枚取り出した。
これは彼女自身が描いた魔法少女(仮)の似顔絵をコピーしたもの。結局、監視カメラ等からはこの少女が検出されることはなかったのだ。
「これは……」
その絵を一目見た小華は明らかな狼狽を見せていた。
「この少女が何者か、ワシら0課も把握しておらんでの。先日、一匹の妖を葬っておるのじゃが、人か妖か、術の正体が何かも分からん。唯一つ、こ奴は自らを“コハナ”と名乗っておったようじゃ」
「……」
「どうじゃ? 心当たりは無いかの? “小華”よ」
緊迫した空気が流れる中、彼女は、“小華”はゆっくりと口を開いた。




