十二
二人の前に現れたのは紛れも無く、あの時の情報屋であった。鳴海は会うこと自体は初めてであったが、成る程、モンタージュ写真に良く似ている。
その男は薄気味悪く「ひひひ」と笑うと、二人を見据えた。
「全く、素直に潰しあっていればいいものを……」
京一郎は横一文字に小烏丸を振るい、言った。
「うるせぇよ、カス。よくも騙してくれやがったなぁ。テメェにゃ聞きてぇ事がわんさとあんだよ。人間だったら素直にボコられてろ、妖だったらとっとと変化しろ」
そこから先を鳴海が継ぐ。
「変化すれば遠慮なく、貴様をブチ殺せる……!」
「おお、怖い。だがお前さんら、俺を舐めてねぇかい? あんたらを潰し合わせようとしたのは、俺が戦えないからじゃない。余計な手間と、表に出る危険を冒したくなかったからさ」
大げさに肩をすくめた男は溜息を吐きながら、続けた。
「だが、もうどうでもいい。人様の商売の邪魔しやがって。テメェら二人を消して、ゆっくり身を隠すとするよ」
静かに言い放つ男の変化は、やはり静かに沸き上がった。
影が触手のように溢れ出し、男の全身へと巻き付いていく。その影は男の身長すら大きく変化させ、その本性を顕わにする。
薄れゆく影は、戦いの幕であるか。
「あれは……般若なのか……?」
姿を現す妖を見て鳴海が呟く。
現れたのは般若のような顔の、白い着流しのようなものを着た大柄な妖。しかし、その表情は元来の憤怒や嫉妬を表すものではなく、言うなれば『笑顔』。奇妙な笑顔であった。
「ありゃ『笑般若』だな」
「笑般若?」
答えたのは京一郎だ。
「詳しいことはあんまり分かっちゃいないが、子供を喰らう鬼女ってのが通説だ。まぁ、相手は妖。別に男がなっても可笑しかねぇさ」
妖は、そのものが犯した罪に応じて様々な形態を取る。どのように魂を腐らせたのかによる訳だ。
例えば前回のように、己の欲望を満たさんが為に殺し、奪うような真似をする場合、鬼のような形態を取るし、子供を食い物にする様なことをしているならば、子供を喰らう妖へとなる。とは言っても、完全に『こう』だと断言できる訳ではないのだが。大よその方向性が分かるというだけだ。
ただはっきり言えるのは、多くの妖が名前や姿などで分類できるということはつまり、それだけ多くの人々が罪を犯し、沢山の悲しみを生んできた、ということ。そして、その悲しみを止める為に鳴海達がいるということだ。
「全武装解放! 鎧鬼、出て来い!」
足元の影を力強く踏みつけ、鳴海が叫ぶ。
先程と同じように、鳴海の足元から影が伸び、巻きつく。
そして形作るは黒き鬼。
破邪を以って顕正と為す、鎧の鬼だ。
ピュウ、と京一郎が口笛を吹く。全身武装は初めて見るから、少し驚いた。
「ひひひ、何だお前さんも同類か?」
気味の悪い笑顔で般若が言う。右腕を振るい、身振りでそれを否定する。
「巫山戯るな。貴様等みたいに穢れた存在と一緒にするな。これは誇りある力だ」
拳を固め、構えを取る。
「ま、話しても無駄だ。妖なら遠慮なくブッ殺せる。二度と口を開けねぇようにしてやるさ」
京一郎も隣に並び、小烏丸を正眼に構える。
「ひひひっ!」
下品な笑いを皮切りに、戦いの幕は開かれた。
*
笑般若はあまり多くの記述や伝承がなされていない。絵画の方に関しても浮世絵が僅かに残っているのみとなっている。
そこから予測される事実は、彼の妖に遭遇した人間はほとんどが殺された、或いは喰われた。そんなところであろう。
京一郎はそこから高い攻撃力やスピード、または隠密能力があると予測した。
迂闊に踏み込むわけにはいかない。
そこを察した鳴海が、ならば、と先陣を切った。全身武装をした鳴海は防御力には自信がある。
「先ずはムカつくその面だっ!」
ガシャガシャと、重い音を響かせ、しかし音に見合わぬ速度で般若に接近し、右手で思い切り殴りかかる。振りかぶり、振り下ろす。そんなテレフォンパンチ。
「ひひっ!」
般若は妖としての反射能力でその軌道をあっさりと見切り、回避動作を取る。
しかし。
「グギャッ!」
鳴海の拳は顔面寸前でピタリと停止、代わりに意識の薄れていたボディへとアッパー気味に拳を叩き込んだ。顔面を狙うという宣言は完全なハッタリだったのだ。
「はっ、やるじゃねーか!」
鳴海の援護に入れる位置へと移動し、反撃を食らう前に援護攻撃をしようとしていた京一郎だったがその心配は杞憂となる。鳴海も修羅場を潜ってきた退魔士なのだ。
しかし、同時に京一郎は不審に思う。
(野郎、戦いなれてないのか……? 上手いブラフだったとは思うが、あっさり引っかかりすぎだ。俺達二人を相手にするとか言った割にはどうも、な)
考えている間も鳴海の猛攻は続く。
右腕の爪で切りかかる。
前腕で防がれるも、ザックリと傷を刻み付ける。赤い鮮血が跳ねる。妖もその血は赤い。
後ろへ下がる般若に飛び蹴りを放つ。
頭を抱えるように防御した般若だが、鎧鬼を加えた鳴海の重量は半端なものではない。あっさりと吹っ飛ぶ。
京一郎はその隙を見逃さない。
起き上がろうとしている妖に素早い足捌きで接近。
「ふっ!」
気迫と共に妖の右腕を斬り落とす。
「ぎゃあああぁぁぁっ!」
斬られた腕は地に落ちると同時、黒く影のようになり、そのまま地に溶けるように消えた。死んだ妖が跡を残さないように、彼等から分断されたパーツもまた跡を残さない。
京一郎は更なる連撃を見舞う。
袈裟懸けに切り落下ろし、横一文字に切り返し、体を返した勢いで蹴りを叩き込み、バランスを崩した般若に突きを放つ。
京一郎から逃げ惑い、背を向けていた般若はその全てを背中へと受けている。
「ひっ……ひひっ……」
笑般若の特性なのか、表情を恐怖に引きつらせることも無く、ただただ気味の悪い笑顔で地を這うように逃げる。
しかし、鳴海がその前に立ち塞がる。
「ひひひっ! 黒い、鬼……!」
「痛いか? 怖いか? 苦しいか? それがお前等がばら撒いていたものだ。子供たちはもっと、もっと、痛かったんだ。怖かったんだ。苦しかったんだ! その痛みを少しでも理解して、死ね!」
右手で貫手を作った鳴海は弓のように腕を引き絞る。『断空』を使う構え。
装甲内部に空気を取り込み、圧縮。肘から噴出して弾丸の如き一撃を叩き込む。鳴海の必殺。
だが。
『断空』が放たれることはなかった。
「ひひっ! 危なかった……!」
般若が斬られたはずの右腕で鳴海を殴り飛ばしたからだ。
「なっ……にぃ……!」
後方へ吹き飛ばされながら、鳴海は苦悶に満ちた懐疑の声を上げる。
――ガシャーーンッ!
手術機材らしきものを薙ぎ倒し、鳴海が引っくり返る。
「っ痛ぅ……」
だが、直ぐに身を起こす。幸い、ダメージは少ないようだ。
「どういうことだ。俺は確かに奴の腕を……」
その答えは直ぐに明かされた。
般若が何かを投げ捨てたのだ。
ハムなどをパックするようなビニール。
輸血用の血液パックだ。
「……どうやら、血を吸って再生させたようですね」
京一郎の横に並んだ鳴海が吐き捨てるように言った。
妖の中には血肉を喰らい己の糧とする種類もいる。笑般若は逃げ回る間にこっそり、商品として売られる予定だった血液パックを回収、鳴海が大技を出す隙を見て傷口から血液を取り込み反撃したのだ。
「どうする? 振り出しに戻っちまった」
「……『断空』以外の技を使います。ただし、これはかなり周囲に危険が及ぶ大技です。このビルにいる人間を避難させた上で、霧夜さんにも避難してもらいます」
『聞こえたぞ。そっちの処理はワシらが何とかしよう。時間を稼いどくれ』
着けっぱなしのヘッドセットから安倍の声が聞こえた。余計な口出しこそ一切しなかったが、情報は常に伝わっているのだ。
「だ、そうです」
「ちっ、しゃーねーか。ホントは俺がケリをつけてぇとこだがな。ばーさん、一つ我侭を言いてぇんだが」
『何じゃ?』
「地下に被害者のガキが一人いる、聞いてたろ? コイツを回収してやってくんねぇか?」
「俺からもお願いします。せめてキチンと弔ってやりたい」
『……んむ、よかろう。但し指揮官として、職員をそこに送り出すことは危険すぎて許可出来ん。お前さんらのどちらかが連れて来い』
安倍はあくまで指揮を執るために作戦に参加している。感情だけに流されて決を下すわけにはいかない。
顔を見合わせた二人は何も言わず頷きあう。
「俺が時間を稼ぎます。どちらにしろ最後に残るのは俺ですから」
「頼む」
「ひひっ! 作戦タイムはもういいかな」
右手を開いたり閉じたりしながら笑般若が言った。
「のんびり話をしてもらったおかげで、再生させた腕が馴染んだよ。ひひひひっ!」
一歩一歩、般若が迫る。
「行ってください!」
指を大きく開いた鳴海が般若へと飛び掛る。同時に京一郎は鳴海に背を向けて走り出す。向かうは静かに眠る少女の元。
「スマン!」
京一郎は少女を抱きかかえると階段へと走る。
軽い。
いくら子供と言ってもこんなに軽い訳がない。
怒りが更に込みあがるが、今はやるべきことをする。
京一郎は背後の戦闘音を振り切り、地上を目指した。
*
京一郎は、少女の遺体を0課職員へと預けると背後のテナントビルを振り返る。
周囲にはビルの中から追い出されたと思しき人間がいるがあまりその数は多くは無い。外国人マフィアのアジト代わりになるようなビルだ。真っ当な会社なら怪しんで店舗や営業所を置くようなことは避けるだろう。入っていたのも殆どスナックやホストクラブのようなものだったようだ。
「非難は終わっとるぞ」
「ばーさんか」
いつの間にか京一郎の横に安倍が立っていた。彼女は京一郎を見上げると、優しげな微笑みを向けた。
「随分、優しくなったようじゃの?」
「ちっ……。ただの気まぐれだ。たまたま知った顔だったからよ」
「それで、いいのじゃよ。袖を振り合う縁があった、だから何とかしたいと思った。寝覚めが悪いからとかそんなものでいいんじゃ。そうやって人間は繋がりを持つ。繋がって、強くなっていく」
「悟ったよーな事を」
「ワシくらい長く生きるとの、そんなことばかり考えるもんじゃ。時々、人が羨ましくなるよ」
「ばーさん……」
「ほれ、何をぼさっとしとる? 後は鳴海が何とかすると言っても暇ではないぞ。マフィア共の連行が難儀しとるでの、手を貸しや」
京一郎の尻をポン、と叩き、着物の袖をひらりと翻すと、安倍は背を向けた。
「人使いの荒いこって……。全く、可愛げのないババアだ」
京一郎は早足でその背を追いかける。が、歩幅が違いすぎる所為で直ぐに追いつき、横に並ぶ。
その様子を見た周囲の人々は、きっと彼等を親子か、歳の離れた兄妹と思ったことだろう。
*
血を吸って力を増した笑般若の猛攻を、鳴海はギリギリの線でかわし続けていた。
余裕を見せているのではない。本当にギリギリなのだ。
この手の人を喰らうタイプの妖にとって、人の血肉は一種のドーピングとなる。一時的とは言え力、スピード、反応速度、再生力、全てを上昇させている。その能力は最早、鳴海に迫るものとなっている。
「ひひっひゃあ! どうしたんだ!? 動きが鈍いんじゃあないか!?」
「うるせぇ!」
飛び上がり、頭上からのスタンピングをかわす。般若のカカトはコンクリートの床を砕く。
足場が砕け、バランスを崩した般若へ爪を振るう。鳴海の爪は般若の胸へと横一文字に四本の赤い線を刻む。
しかし、その傷も見る間に再生が進んでいく。
(クソッ……! あの再生力は厄介だ! このままじゃジリ貧だぜ)
能力に差が無ければ勝つのは体力のある方である。再生力を上げた笑般若は時間を掛ければ掛けるほど、勝機が高まる。逆に鳴海は時間を掛けすぎると、鎧鬼の装着過剰で自身の体に危険が及ぶ。
しかし、無関係の人間に被害を出す訳にはいかない鳴海は耐える。ひたすらに耐える。
『待たせたの! 避難完了じゃ、後は任せるぞ』
そこへ入る安倍からの通信。鳴海には天女の囁きにすら聞こえた。
「了解。衝撃には注意して下さいね」
頬当ての下、鳴海はニヤリと、ほくそ笑む。
「何をこそこそ話してんだい? 辞世の句でも詠もうってぇのかい!」
「いいや、女神が言ったのさ。俺に勝利をくれるってよ」
「戯言を! そいつは死神の呼び声だぜ!」
般若が再び、疾走る。
鳴海の“眼”から見てもそれは速い。しかし、それでは遅すぎる。
そう、今の彼にとって、ただ速いだけでは何の障害にもなりはしない。
「焼き尽くせ、『雷電』」
呟くと同時、鎧鬼の角の間で火花が散る。
その火花は瞬く間に、眩しいほどのスパークとなり、やがて。
轟音と閃光が、地下室全体を包み込んだ。




