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筆の花  作者: 璋雲亭紫竹園
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第五部 名古屋への帰還――教師生活・家族との日々

第一章 東京の日々


 東京で過ごした年月は、熊治にとって、長い修業の一時期であると同時に、それまでの人生を振り返る契機ともなった。



 川端玉章のもとで画を学び、門人たちと交わり、土居香国や正岡子規ら、絵画とは異なる分野に身を置く人々とも知り合った。さらに、玉章の還暦を記念する『玉章画集』の編纂に携わったことで、作品を描くことと、その価値を後世へ伝えることが、決して別々の営みではないと知った。


 それまでの熊治にとって、画とは何よりも、自らの手で描くものだった。幼い頃、金井戸で花や鳥を描いていたときも、三好雲仙のもとで筆の運びを学んでいたときも、奥村石蘭の画塾に通っていたときも、彼の関心は、目の前の対象をいかに捉え、どのように紙の上に表すかということに向けられていた。川端玉章の教えを受けてからも、その根本は変わらなかった。


 しかし、東京での経験は、画を描くという仕事の周囲に、さまざまな営みがあることを教えてくれた。


 対象を観察すること。師の言葉を理解すること。異なる考えを持つ人々と語り合うこと。作品を選び、記録し、後の時代へ伝えること。そうした一つひとつが、絵師としての視野を広げるうえで欠かせないものだった。



 とりわけ『玉章画集』の編纂は、熊治にとって大きな経験となった。


 作品を一枚ずつ見つめ、何をもって優れた画とするのかを考える。個々の作品の出来栄えだけでなく、玉章翁が長年にわたって積み重ねてきた仕事を、どのように伝えればよいのかを考える。そうした作業を通じて、彼は師の画業を改めて見つめ直すことになった。


 その一方で、東京に暮らし続けることが、自分にとって最善なのかという思いも、次第に胸の内に生じていた。


 学ぶべきことは、まだ多い。玉章のもとで過ごす日々には得難い価値があり、東京には絵師や画家、文人たちとの交流もある。しかし、どれほど優れた師のもとにあっても、いつまでもその背中を追い続けるだけでは、自分自身の道を切り開くことはできない。学んだものを、どこで、どのように生かしていくのか。それを考える時期に差しかかっていたのかもしれない。



 明治三十七年、熊治は東京を離れ、名古屋へ戻ることになった。


 名古屋は、彼にとって初めて訪れる土地ではない。奥村石蘭のもとで修業した場所であり、逓信省の仕事を通じて生活の基盤を築いた土地でもある。そして、妻たきとの暮らしを営むうえで、縁の深い土地でもあった。東京で学んだことを胸に、再び名古屋で暮らす。



 それは、かつての生活へ単純に戻ることではなかった。熊治のなかには、金井戸を離れた少年の頃にはなかった経験が積み重なっている。師たちから学んだ技法も、人々との交流から得た考えも、すべてが彼のなかで少しずつ形を変えながら根を張り始めていた。


 名古屋での生活が、その蓄積をどのような形に変えていくのか。熊治自身にも、まだ明確な答えはなかった。ただ一つ確かなのは、これからは学ぶだけでなく、自らの力で仕事を築いていかなければならないということだった。




第二章 名古屋へ帰る


 東京を離れる日、熊治は列車の窓から流れていく景色を眺めていた。


 家並みが遠ざかり、見慣れた町の姿が少しずつ後ろへ流れていく。東京で過ごした日々を思い返せば、胸に浮かぶものは一つではなかった。師との学び、画家たちとの交わり、香国や子規との語らい。そして、画集の編纂に追われた日々。


 それらは、名古屋へ戻ったからといって、失われるものではない。これから先、画に向き合うときにも、人と話すときにも、折に触れて自分を支えるものになるだろう。


 隣に座るたきが、窓の外を見ながら口を開いた。



「東京は、やはり人が多いですね」


「ああ。どこへ行っても人の姿がある」


「名古屋へ戻れば、少し静かに感じるでしょうか」


「そうかもしれないな」熊治はそう答えてから、少し考えた。


「だが、静かなところにも画はある」


 たきは夫の顔を見て、微笑んだ。


「それは、東京にいても名古屋にいても同じですね」


「そうだな」熊治も笑った。



 画を描く者にとって、土地が変わることは、必ずしも画題を失うことではない。見慣れた景色のなかにも、目を凝らせば新たな発見がある。長く暮らした場所であっても、見る側の心が変われば、これまで気づかなかったものが目に入ることもある。


 熊治は、そうしたことを、これまでの修業のなかで少しずつ学んできた。


 名古屋へ戻った熊治は、愛知県意匠図案調製所に身を置くことになった。意匠や図案を扱う仕事は、絵師としての修業とは異なる面を持っていた。絵画では、描き手の感覚や表現を生かしながら、一つの画面を作り上げていく。しかし、図案の仕事では、見た目の美しさだけでなく、用途や目的に応じた形を考えなければならない。対象となるものが実際に使われることを前提に、線や形を整える必要があった。


 とはいえ、熊治には、まったく縁のない仕事というわけでもなかった。



 形を見極め、線の性質を考え、全体の調和を整える。そうした作業の根底には、画を描くときと共通する感覚があった。対象をよく観察し、余分なものを取り除き、必要なものを適切な位置に置く。その判断は、これまでの修業によって培われてきたものだった。



 ある日、熊治が図案を眺めていると、同僚が声をかけた。


「矢吹さん、何か気になるところがありますか」


 熊治は、図案の一部を指で示した。


「この線だ。少し固い」


「固い、ですか」


「形そのものは悪くない。しかし、線に力が入りすぎている。もう少し自然に流れるようにしたほうが、全体が落ち着くと思う」


 同僚は、示された箇所を改めて見つめた。しばらくして、納得したように頷いた。


「なるほど。言われてみると、確かに印象が違いますね」


 熊治は笑った。


「形が同じでも、線が変われば印象は変わる。画も図案も、線をどう扱うかが大切なんだ」


 その言葉は、図案の仕事に携わる熊治自身にとっても、改めて確かめるべきことだった。


 絵師として培ってきた感覚が、思いがけない場所で役立っている。自然を写すことだけが画の修業ではない。形を整理し、見る者に伝わる表現を考えることもまた、画を描く力につながっているのだ。


 名古屋での新たな仕事は、熊治に、画を生活や実用の世界から見直す機会を与えていた。そして、その経験は、ほどなく彼が向き合うことになる教育の仕事にも、少なからず生かされていくことになる。


第三章 教育者となる


 明治三十八年、熊治は愛知県名古屋高等女学校で美術を教えることになった。さらに、愛知常磐高等女学校でも教鞭を執った。


 絵師として画を描くことと、生徒に画を教えること。その二つは近いようでいて、実際には異なる仕事だった。


 自分が描くのであれば、長年の修業によって身につけた感覚を頼りに、筆を進めることができる。けれども、生徒たちは一人ひとり異なる。対象をよく観察する者もいれば、何を見ればよいのか分からず、筆を持ったまま戸惑う者もいる。形を捉えることに長けた者が、必ずしも墨の扱いに優れているとは限らない。反対に、筆遣いは拙くとも、対象の特徴を鋭く見抜く生徒もいた。


 教えるということは、ただ自分の技法を示すことではない。


 生徒がどこでつまずいているのかを見極め、必要な助言を与え、その者自身が答えを見つけられるように導くことだった。


 熊治は、教室に入ると、生徒たちの前に一つの課題を示した。


「今日は花を描きます。ただし、すぐに筆を取る必要はありません」


 生徒たちは、少し不思議そうな顔をした。


「まず、よく見てください」


「先生、何を見ればよいのでしょう」


「花だけを見ていてはいけません。枝を見なさい。葉を見なさい。花の向きや、茎の伸び方も見てください」


 熊治は窓の外へ目を向けた。



「風が吹けば、葉はどう動くでしょう。光が当たれば、花の見え方はどう変わるでしょう。同じ木でも、雨の日と晴れの日では、印象が違うはずです」


 生徒たちは窓の外を見つめた。



 木の葉が風に揺れている。葉の表側と裏側が交互に見え、枝先がわずかに動いていた。普段なら気にも留めないような変化だったが、意識して見つめると、植物の姿は決して静止したものではないことが分かる。


「画というものは、見たものをそのまま写すだけではありません。よく見たうえで、自分が何を感じたのかを考える。そのうえで、何を描くべきかを決めるのです」


 教室は静かになった。


 熊治は、生徒たちの顔を見渡した。



 彼女たちは、まだ若い。これからどのような人生を歩み、何を大切にしていくのか、自分でも分からない年頃だったろう。筆を持つことに戸惑う者もいれば、上手に描けないことを恥じている者もいる。人前で自分の作品を見られることに、ためらいを感じる者もいるかもしれない。


 その姿を見ていると、熊治は、かつて三好雲仙のもとへ通っていた頃の自分を思い出した。


 あの頃も、分からないことばかりだった。師の筆遣いを見ては感心し、自分で描いては思うようにいかず、何度もやり直した。それでも、画を描きたいという気持ちだけは失わなかった。



 自分が若い頃に抱いていた思いを、今、教室にいる生徒たちもまた、それぞれの形で抱いているのかもしれない。


 熊治は、技術を教えることをおろそかにはしなかった。形をいい加減に捉えていれば、どこが違うのかを具体的に指摘した。墨を濃くしすぎていれば、その理由を尋ねた。筆を動かすことに迷いが見えれば、いったん筆を置かせ、もう一度対象を見るよう促した。


 しかし、上手に描くことだけを、教える目的にはしなかった。


 技術は、繰り返し学ぶことで身につけられる。だが、対象を観察し、そこから何を見いだすかという姿勢は、ただ手本をまねるだけでは育たない。生徒自身が考え、試し、時には失敗しながら、自分の目を養っていく必要がある。


 教える者がすぐに答えを示せば、生徒はその場では理解したように感じるかもしれない。しかし、次に同じ問題に直面したとき、自分で考えることができなければ、身についたとはいえない。


 そのことは、熊治自身が、師たちとの修業を通じて学んできたことだった。



 教室には、福島テルという生徒もいた。後に華雲と号することになる人物である。テルは、画を学ぶなかで、思うように描けず、悩むこともあった。


 あるとき、彼女は涙を浮かべながら熊治に訴えた。


「先生、どうしても描けません」


 熊治は、彼女の画を見た。描こうとした跡はあるが、筆の運びが定まらず、形を整えようとするほど画面が窮屈になっていた。


「では、今は描かなくていい」


「え?」テルは、思いがけない言葉に驚き顔を上げた。


「……描かなくてもよいのですか」


「描けないと思うのなら、筆を置きなさい。そして、もう一度よく見るのです。何が分からないのかが分かれば、次に何をすべきかも見えてくる」


 テルは、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


 熊治は、彼女が再び花を見つめる姿を見ながら、自分がこれまでに受けた教えを思い返していた。彼は、描かせるよりも見させることを大切にした。筆を動かすことは、後からでもできる。見る力がなければ、何年描いても同じところで止まってしまう。その教えは、後に弟子たちへ伝えていくものと同じだった。熊治自身もまた、そうやって育てられてきたからである。


 雲仙から学んだこと。石蘭のもとで身につけたこと。玉章の画を見て知ったこと。それらを、そのまま生徒に教えれば済むわけではない。自分の言葉に置き換え、相手の理解に応じて伝えなければならない。


 教えることによって、熊治は、自分が学んできたことを改めて確かめていた。師から受け取ったものを、自分のなかで育て、次の世代へ渡していく。


 それは、画を描くこととは異なる形で、絵師の生涯を支える仕事になり始めていた。


続く。。。

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