第四部 東京の画人たち――香国・子規・『玉章画集』
第六章 画集の編纂
最初に取り組まなければならなかったのは、玉章の作品を集めることだった。
作品の所在を確かめ、所蔵する門人や関係者に協力を求め、一点ずつ状態を調べていく。掲載する作品を選び、画集に収めるための準備を整え、原稿をまとめる。さらに、多くの作品をどのような順序で配置すれば、玉章の画業を適切に伝えられるのかも考えなければならなかった。
筆を持って画を描く仕事とは、勝手が違った。
自らの感覚だけで進められるものではない。作品を所蔵する人々との交渉が必要であり、資料の整理には根気が要った。掲載する作品の選定には、絵師としての目に加え、編纂者としての判断も求められた。
画を描く場合には、最終的な表現を自分の手で決めることができる。しかし、画集を作る仕事では、数多くの作品のなかから何を選び、何を掲載しないかという判断が、師の画業全体の見え方を左右する。
一枚の作品が優れているからといって、それだけで画集に収めるべきだとは限らない。異なる時期の作品を並べることで、画風の変化が見えてくることもある。題材や構図の異なる作品を収めることで、玉章の表現の幅を示すこともできる。
熊治は、一つひとつの作品に向き合いながら、何を残すべきかを考え続けた。
集められた作品は三百点を超えた。余りの多さと甲乙つけがたい出来の画に熊治は苦笑しながら、記録を取っていった。
数が増えるにつれ、作業は煩雑さを増していった。それでも、熊治は作品の記録を取り、細部を確かめ、特徴を見極める作業を怠ることはなかった。
その過程で、熊治は玉章の作品を、これまでとは異なる角度から見つめ直すことになった。
師の画には、さまざまな題材と表現があった。対象を丹念に観察した写生、筆勢を生かした伸びやかな描写、画面に広がりを与える構図。長年にわたる画業のなかで培われた技量は、一つの様式にとどまるものではなかった。
個々の作品を見ているだけでは気づかなかった特徴も、複数の作品を並べて比較すると、絵師としての変遷も少しずつ見えてくる。似た題材を描いた作品であっても、筆の運びや構図の取り方には違いがあり、その違いが玉章の画業の幅広さを物語っていたが、熊治がこの仕事を通して知ったのは、それだけではなかった。
作品を集めるたび、その一枚一枚が、誰かの手によって大切に守られてきたことを知った。玉章の画を所蔵する者があり、それを求める者があり、教えを受けた門人たちが、それぞれの場所で画業を続けている。
作品は、玉章の手を離れたあとも、人々の暮らしのなかで生き続ける。贈られた画を大切に保管する者がいれば、その画を通して師の教えを思い起こす者もいる。作品の価値は、描かれた時点ですべてが決まるわけではない。後の時代に誰がそれを見つめ、どのように受け止めるかによっても、その意味は深まっていく。
つまり画集に収められるのは、玉章が描いた作品だけではなかった。その背後には、師を慕い、学び、その仕事を次の時代へ伝えようとする人々の営みがあった。
玉章には、優れた作品を生み出すだけでなく、人を惹きつけ、育て、画壇のなかに確かな足場を築いていく力があったのだろう。
熊治は、編纂の仕事を通して、そのことを改めて思い知らされた。
絵師としての力量は、作品の出来栄えだけで測れるものではない。自らの仕事が他者に何を伝え、どのような影響を及ぼしていくのか。その広がりまでを見渡したとき、玉章という絵師の大きさは、いっそう明らかになった。
作業を進めるうち、熊治は幾度となく師の言葉を思い返した。
――ならば、絵師が画集を作ればいい。
あの言葉には、単なる励まし以上の意味があったのかもしれない。
絵師として画を描くこと。その一方で、絵画の価値を見極め、記録し、後世へ伝えること。いずれも、画を学び、その世界に身を置く者だからこそ担える仕事なのだ。
熊治は、画集の編纂を通して、師の歩みを記録することの重みを知り始めていた。
自分は、これから何を描き、何を残していくのだろう。
その問いに、まだ明確な答えはなかった。絵師としての道は、ようやく自分の足で歩き始めたばかりである。師のように多くの人を育て、後世にまで名を残せるかどうかなど、今の熊治には想像もつかなかった。
それでも、師の作品を一枚ずつ手に取り、その歩みをたどるうちに、絵師として生きることの意味が、以前よりも深く胸に刻まれていった。
画を描くこと。そして、画を残すこと。
その二つの営みのあいだに、熊治は自らの進むべき道の一端を見いだそうとしていた。
第七章 香国への序文依頼
画集の編纂が進むにつれ、熊治は土居香国にも協力を求めることにした。
香国は絵師でも画家でもない。しかし、漢詩や文章に通じ、絵画を専門としない立場から作品を見つめることができる。熊治は、その眼差しを画集に加えることに意味があると考えていた。
「玉章画集の序文を書いていただけませんか」
熊治が頼むと、香国は意外そうな顔をした。
「私が?」
「はい」
「私は絵描きではありませんよ」
「だからこそお願いしたいのです」
「どういう意味です?」
「画にたずさわっていない方が、玉章先生をどのように見ているのか。それも、この画集に残しておきたいのです」
香国は、しばらく考えてすぐには答えなかった。
画を評価するのは、必ずしも絵師や画家だけではない。専門的な技法に目を向ける者もいれば、作品から受ける印象や、そこに表された精神を言葉にする者もいる。異なる立場からの見方を記録しておくことは、後世の人々が作品を理解するうえでも意味を持つはずだった。
香国は、やがて苦笑するように言った。
「雲岳さんは、なかなかうまく人を使いますな」
「そのようなつもりはありません」
「冗談ですよ」香国は笑った。
熊治は深く頭を下げた。
その夜、帰宅した熊治は、集めた作品の記録を机の上に広げた。傍らには、墨と筆が置かれている。
窓の外からは、東京の町が奏でる物音が聞こえていた。
熊治は一枚の作品を手に取った。
そこにあるのは、紛れもなく円山派、川端玉章の筆致だった。
線の運びにも、墨の濃淡にも、長年の修業と経験によって培われた確かさがある。
熊治は、その画を眺めながら、自分が歩んできた道を振り返った。
金井戸で画に心を惹かれ、雲仙のもとで学び、石蘭と出会い、そして玉章の教えを受けている。
流派は異なっていても、それぞれの師との出会いが、今の自分を形づくってきた。
四条派も円山派も、ただ流派の名を掲げるだけで続いていくものではない。
師が何を見つめ、何を大切にし、それをどのように弟子へ伝えるのか。その教えを受けた者が、何を学び、何を自分のものとして残すのか。そうした人から人への営みがあってこそ、画の伝統は次の時代へとつながっていく。
熊治は、画集の編纂という仕事を通じて、その連なりのなかに自分もいるのだと、少しずつ自覚するようになっていた。
第八章 土居香国の序文
画集の制作が進むにつれ、熊治は、自分が取り組んでいる仕事が単なる記念事業ではないことに気づき、その意味を以前よりも深く考えるようになっていた。
作品を集めることは、単に数をそろえることではない。
一枚の画には、それが描かれた時代がある。描き手がその画に向き合った時間があり、画を受け取った人の暮らしがあり、長い年月を経て今日まで守られてきた経緯がある。
もし、誰も記録せず、誰も残そうとしなければ、作品は人の記憶から離れ、やがて散逸してしまうかもしれない。
熊治は、自分がその「残す」という仕事に強く惹かれている事に気づき画集を編む仕事は、自分が思っていた以上の重みがあることを感じ始めていた。
土居香国は、玉章画集の序文に、この画集が編まれることになった経緯を友人である矢吹雲岳が訪ねてきたことから、話は始まったと次のように記している。
「友人矢吹雲岳来りて曰く。
吾が師玉章先生、
今歳壬寅、
華甲に参週す。
門生相謀り将に寿宴を開かんとす。
先生の多年画く所にして他人の珍蔵する所の者を乞い
諸人に汎くせしめ、
其の最も精巧絶妙なる者を抜き
縮写し以て一冊子となし、同好に頒布せんとす。
議すでに熟せり。
請ふ子これに序せよ、
これ門生のこひねがうところにして
先生の至嘱なり。」
この序文は、画集がどのような考えから企画され、誰の働きによって実現へと向かったのかを伝える記録でもあった。
熊治が玉章の還暦を記念して画集を作ろうと考えたこと。それに門人たちが協力し、作品を集め、選び、広く同好の人々に頒布しようとしたこと。そこには、一人の絵師の画業を記念するだけでなく、その仕事を後の時代へ伝えようとする意志が示されていた。
ある夕暮れ、熊治は本郷の道を歩いていた。
秋の風が吹き、道端の木々から葉が舞い落ちていた。一枚の葉が風に翻りながら、地面へ向かってゆっくりと落ちていく。
熊治は、思わず足を止めた。
葉の形だけを描くのであれば、さほど難しくはない。しかし、今、目の前で起きていることを描こうとすれば、葉そのものだけでは足りない。風の流れがあり、葉の重さがあり、落下するまでのわずかな時間がある。葉が空中で翻る一瞬には、目に見える形と、それを取り巻く目に見えない力が同時に存在していた。
熊治は懐から小さな紙を取り出し、簡単な線を引いた。
以前なら、ただ葉が落ちたという景色として眺めていたかもしれない。しかし今は、その一瞬のなかに、いくつもの要素が重なっていることに気づく。
雲仙に教えられたこと。石蘭に学んだこと。玉章のもとで得た教え。そして、東京で出会った人々の言葉。
それらは別々のものとして熊治のなかに蓄えられていたが、日々の経験を重ねるうちに、少しずつ結びつき始めていた。
画に何を描くべきかを考えることは、目の前の形を確かめるだけではない。その形を生み出しているものに目を向け、どこまでを描き、どこからを描かずに残すかを見極めることでもある。
熊治は、紙に引いた線を眺めた。
まだ十分なものではない。それでも、何を捉えようとしたのかは、自分のなかではっきりしていた。
画集の編纂を通して学んだのは、作品を残すことの意味だけではなかった。師の作品を見つめ直し、さまざまな人々の考えに触れることによって、自分自身の目もまた、少しずつ変わりつつあったのである。
第九章 『玉章画集』の刊行
やがて『玉章画集』は形を整え、川端虎三郎の編集のもと、画報社から刊行されることになった。
作品を集め、記録し、選定し、画集としてまとめ上げるまでには、多くの手間と時間が必要だった。一つひとつの作業は目立たないものだったが、その積み重ねがなければ、一冊の画集を世に送り出すことはできなかった。
熊治は、完成を前にして、しばらく原稿を眺めていた。
そこには、師の筆による数々の作品が収められている。個々の画を眺めているだけでは気づかなかった表現の幅や、長い画業のなかで培われてきた技量が、一冊のなかに形を得て息づいていた。
そして、その一冊を実現するために働いた、多くの人々の姿も思い浮かんだ。
作品を所蔵する人々。画集の制作に協力した門人たち。序文を引き受けた香国。編集を担った川端虎三郎。そして、その中心にいる玉章。
一冊の画集は、一人の絵師の作品をまとめたものであると同時に、その仕事を後世へ伝えようとした人々の思いを形にしたものでもあった。
熊治は、静かに息を吐いた。
「できましたね」傍らから、香国が声をかけた。
「ええ」
「満足ですか」
熊治は、すぐには答えなかった。完成したという安堵はあった。しかし、長く取り組んできた仕事が形になったからといって、すべてが終わったわけではない。
熊治は少し考え「満足というより、ほっとしました」と答えると、香国は笑った。
「雲岳さんらしい」
熊治も笑った。
けれども、その胸の内には、安堵とは別の感情があった。
この一冊を作るために、彼は師の作品を数多く見つめ、その画業を辿って
きた。作品の特徴を見極め、互いを比較し、どのようにすればその価値を伝
えられるのかを考え続けた。その経験を通じて、自分が何をしたいのか、
その一端が見えてきたように思えた。
画を描くこと。人と出会うこと。学び、考え、記録し、後の時代へ伝える
こと。
それらは、互いに無関係な仕事ではない。どれも、画を学び、画の世界に
生きる者が担うことのできる仕事だった。
この頃、熊治はまだ「雲岳」と名乗っていた。
その名には、三好雲仙や奥村石蘭のもとで学んだ日々が刻まれている。
そして今、川端玉章の教えを受けながら、絵師としての自分の歩みを模索している。
三人の師は、それぞれ異なる道を歩んできた。しかし、熊治は、その教えのいずれか一つだけを選び、ほかを捨てる必要はないのだと感じ始めていた。
師から受け継いだものを、自分のなかで確かめ、組み合わせ、やがて自分自身の表現へと育てていく。その営みこそが、絵師として生きるということなのかもしれない。
東京の夜には、無数の灯りがともっていた。
その灯りの向こうには、絵師もいれば、詩人もいる。書家も、学者も、名もない人々も、それぞれの日々を送っている。熊治は、そうした町の姿を眺めながら、静かに筆を手に取った。
紙の上に、一本の線を引く。
その線は、まだ大きな何かを語るものではなかった。けれども、雲仙から学んだこと、石蘭との日々、玉章の教え、そして東京で出会った人々の言葉が、その筆の運びのなかに確かに息づいていた。
一本の線から、次の線へ。
やがて画面に山が生まれ、木々が生まれ、遠くの空へと視線が導かれていく。熊治は筆を置いた。
絵師としての道は、まだ続いている。自分がどこへ向かうのか、その先に何が待っているのか、今はまだ分からない。
それでも、師から受け取ったものを自分のなかで育て、次の時代へと手渡していく。その仕事の意味を、熊治は以前よりも深く理解し始めていた。
東京での経験は、彼に多くのものを与えた。
画を描く技術だけではない。画を見る目、人と交わることの意味、作品を記録し、残すことの重み。そして、異なる考えに触れることで、自分自身の表現を問い直す姿勢。
それらを携えて、熊治はやがて新たな土地へと向かうことになる。
まだ「雲岳」と名乗る一人の絵師として。その筆の先には、これから歩むべき道が、静かに続いていた。
続く。。。




