第五部 名古屋への帰還――教師生活・家族との日々
第四章 総社との縁
名古屋へ戻ったからといって、熊治と故郷とのつながりが途切れたわけ
ではなかった。
備中の金井戸で生まれ育った熊治にとって、故郷は、幼い頃に画を描き
始めた場所である。三好雲仙のもとへ通い、絵師としての道を志すように
なったのも、そこから始まった。遠く東京へ出て、名古屋で暮らすように
なっても、故郷は彼の人生の出発点であり続けていた。
総社には、熊治の画を求める人々がいた。
その一人に、儒者・政治家として知られる西毅一、号を薇山という人物
がいた。また、養老糖の製造・販売で知られた三谷興一郎からも、絵馬の
依頼を受けている。
その依頼によって熊治が描いたのが、総社宮に奉納された「二羽の鶴」
であった。
鶴は、古くから吉祥の象徴として親しまれてきた鳥である。特に岡山県
は昔から鶴とのかかわりが強く後楽園で和服男性の側を散歩する鶴の絵葉
書が残っている。
長い首、細い脚、広げれば大きく美しい翼。姿そのものに気品があり、祝いの場を飾る画題としてもふさわしい。
しかし、熊治は、鶴をただ美しい鳥として描けばよいとは考えていなかった。
形を整え、羽の一本一本を丁寧に描いたとしても、そこに鳥の生命が感じられなければ、画として十分とはいえない。鶴がどのように立ち、首を伸ばし、互いにどのような位置関係にあるのか。その姿勢のなかに、鳥の性質や気配を捉える必要があった。
二羽を並べるのであれば、それぞれを独立した形として描くだけでは足りない。互いの距離や向きによって、画面全体の印象は変わる。奥の一羽が右を向き、手前の一羽がわずかに首を傾けているだけでも、二羽のあいだに関係が生まれる。
熊治は、そうしたことを考えながら筆を進めた。
東京で玉章の作品を見つめ、さまざまな画題の扱い方を学んできた経験が、ここでも生かされていた。画面のなかに何を置くかだけでなく、それぞれの形がどのように呼応し、全体としてどのような調和を生み出すか。その判断は、師たちのもとで積み重ねてきた修業によって支えられていた。
描くのは、故郷へ奉納する絵馬である。そこには、注文主の願いがあり、奉納する場所に集う人々の思いがある。絵師が自分の表現だけを追求すればよい仕事とは異なり、絵馬には、それを求める人々の願いや、奉納される場所にふさわしい意味も求められる。
熊治は、そのことを理解したうえで、鶴の姿を画面に定着させていった。完成した絵馬は、総社宮に奉納された。(現在は総社市まちかど郷土館に貸し出され玄関に飾られている)
遠く東京へ出て、再び名古屋で暮らすようになった自分の画が、故郷の総社宮に
納められる。そのことに、熊治は不思議な縁を感じていた。
自分は故郷を離れた。しかし、故郷との関係が消えたわけではない。幼い頃に見た景色も、画を志すきっかけとなった日々も、今の自分のなかに残っている。
その記憶は、直接画面に描かれなくとも、筆を運ぶときの感覚や、対象を見つめる眼差しのどこかに生きているのかもしれなかった。
名古屋での日々は、熊治に新しい仕事を与えていた。一方で、故郷から寄せられる依頼は、これまでの自分の歩みが、遠く離れた土地でも必要とされていることを教えてくれた。
絵師としての道は、一つの土地だけで完結するものではない。学んだ場所があり 働く場所があり、作品を待つ人々がいる。それらをつなぐものが、熊治にとっては 一本の筆だった。
第五章 娘・熱子
仕事を終えて家へ帰れば、たきがいた。そして、娘の熱子もいた。
熊治にとって、家族と過ごす時間は、絵師としての仕事とは異なる安らぎをもたらすものだった。
画に向かっているとき、彼は対象の形を考え、筆の運びに気を配り、何度も構図を見直す。思うように描けなければ、紙を前にして長い時間を過ごすこともあった。画に心を奪われるあまり、周囲のことが目に入らなくなることもあっただろう。
そんな熊治の暮らしを、たきは支えていた。
熊治にとって、それは何よりも大切な日常だった。仕事を終えて帰宅すると、たきが夕食の支度をしている。
「今日は遅かったですね」
「少し仕事が長引いた」
「画のほうですか」
「いや、学校だ」
「学校の先生らしくなりましたね」たきが笑う。
「そう見えるか」
「ええ」
熊治は笑った。教師になるなど、若い頃には考えもしなかった。自分は画を描くために生きている。そう思っていたが、今は違う。
自分が描くだけではなく、若い人たちに筆を持たせている。不思議なものだ、と熊治は思った。
そして家には、娘の熱子がおり熊治は娘をとても可愛がった。
熱子は、父親が画を描く姿を身近に見て育っていた。
ある日、熊治が机に向かっていると、熱子がそばへやってきた。
「お父さん、何を描いているの?」
「花だよ」
「どんな花?」
「まだ決めていない」
熱子は、机の上の紙を覗き込んだ。
「花なのに、まだ決めていないの?」
熊治は笑った。
「描き始めてから、決まることもあるんだ」
「変なの」熱子は不思議そうな顔をした。
「そうかもしれないな」
紙の上には、一本の枝が描かれているだけだった。枝の先には、まだ花も葉もない。
熱子は、納得できないという顔で紙を見つめた。
「これ、花じゃないよ」
「そうだな」
「じゃあ、どうして描いたの?」
熊治は、少し考えてから「この枝が、きれいだったからだ」と答えた。熱子には、父親の言うことがよく分からなかったらしい。けれども、熊治が楽しそうにしていることは伝わったのだろう。彼女は、ふっと笑った。
「じゃあ、花はあとで描くの?」
「ああ、そのつもりだ」
「早く描いて」
「そう急かすものじゃない」
二人のやり取りを、たきは台所から聞いていた。
特別な出来事があったわけではない。父親が画を描き、娘がそばへ来て、他愛のない話をする。それだけのことである。
しかし、熊治にとっては、そのような時間こそが暮らしの確かな手触りだった。
画を描くことは、彼の生涯を貫く仕事である。師から受け継いだ技法を磨き、自分の表現を探り、やがて生徒たちへ教えを伝えていく。それは、彼が自ら選び取った道だった。
けれども、人生には、画だけでは測れないものがある。
仕事を終えて帰る家があること。食卓を囲む相手がいること。自分が描いたものを、巧拙など気にせず覗き込んでくれる娘がいること。そうした日常は、絵師としての名声や技量とは別のところで、熊治の暮らしを支えていた。
彼は、そのことを意識していたわけではない。
家族と過ごす日々が、いつまでも続くものだと考えていたからこそ、特別な意味を与えずにいられたのかもしれない。
熱子が成長し、たきが年を重ね、自分もまた歳を取っていく。そのような変化は、頭では分かっていても、日々の暮らしのなかでは実感しにくいものだった。
明日もまた、家に帰れば二人がいると熊治は、そう思っていた。
第六章 教師として生きる
教壇に立つようになってから、熊治は「教える」という仕事について、以前よりも深く考えるようになった。
師から受け取ったものを、そのまま次の人へ渡せばよいわけではない。雲仙が教えてくれたことも、石蘭のもとで学んだことも、玉章の画から得たものも、それぞれに異なる経験から生まれた教えだった。
そのすべてを、同じ言葉で伝えることはできない。
相手が何を理解し、何に迷っているのかを見極めながら、自分の経験を相手に届く形へと変えていく必要がある。教師としての熊治は、その難しさに少しずつ向き合うようになっていた。
ある日の授業で、一人の生徒が描いた花を、熊治はしばらく見つめていた。
「先生、どうでしょうか」生徒は、少し不安そうに尋ねた。
「よく見ているね」その言葉に、生徒の顔が明るくなった。
しかし、熊治は続けた。
「ただ、ここをもう一度見てごらん」彼は花の茎を指さした。
「少しまっすぐすぎるようだ」
「まっすぐではいけないのでしょうか」
「まっすぐな茎もある。けれども、自然のなかでは、風や花の重み、光の当たり方など、さまざまな力を受けながら植物は伸びている。その姿をよく見てみなさい」
生徒は、花の茎を見直した。
「花だけを見ていると、形を整えることに気を取られてしまう。しかし、植物は花だけで生きているのではない。枝があり、葉があり、根がある。それぞれが関わり合って、一つの姿をつくっているのです」熊治は、そう説明した。
植物を単なる形として捉えるのではなく、自然の力を受けながら生きているものとして描く。その考え方は、彼がこれまで学んできた写生の精神にも通じていた。
花の茎が少し曲がっていることにも、理由がある。花の重みを支えようとしているのかもしれない。風に押されたためかもしれない。あるいは、光を求めて伸びた結果かもしれない。
自然の形は、ただ整っているから美しいのではない。その形が生まれた背景を想像するとき、そこには生き物としての確かな姿が見えてくる。熊治は、生徒たちに、そうした眼差しを身につけてほしいと考えていた。
もちろん、すべての生徒が絵師を志しているわけではない。学校で画を学ぶことは、必ずしも職業として絵画を続けるためだけのものではなかった。それでも、対象をよく見ること、自分の目で確かめること、目に映ったものを安易に決めつけずに考えることは、画を描く場面だけに限らず、さまざまなことに通じる姿勢である。
熊治は、教えることによって、そのことを改めて知っていった。
自分が師から学んだ技法は、ただ自分一人のためにあるのではない。誰かに伝え、その者がさらに自分の工夫を加えていくことで、初めて次の時代へとつながっていく。
師の教えを守ることと、師のまねをし続けることは同じではない。
学んだものを理解し、自分の力として育て、そのうえで次の人に伝える。そうして初めて、教えは生きたものになるのだろう。
熊治は、生徒たちが自分の助言を受け、少しずつ筆の運びを変えていく姿を見守っていた。
すぐに上達する者もいれば、何度も同じところでつまずく者もいる。教えたことが、すぐに理解されるとは限らない。時には、こちらの意図が伝わらず、思いがけない方向へ進むこともある。
それでも、教師は、相手が自分で歩き始めるまで見守らなければならない。
熊治にとって、それは、師たちから受け継いだものを自分なりの形で生かす、新たな修業でもあった。
かつて彼は、師の背中を追いかける立場にあった。
今は、自分の前に生徒たちがいる。
その生徒たちが、自分の言葉や筆遣いを見ている。自分が何を教え、どのような姿勢で画に向き合うかが、彼女たちの学びに影響を与えるのかもしれない。
そう思うと、熊治は、自らの仕事に新たな責任を感じた。
絵師として、ただ自分の画を描いていればよい時期は、少しずつ過ぎようとしていた。描くこと。教えること。その両方を通して、自分が受け取ったものを次の世代へ渡していく。名古屋での教師生活は、熊治にとって、絵師としての生き方を改めて考える時間になっていた。
第七章 日常のなかで
名古屋での日々は、仕事と家庭を中心に、穏やかに過ぎていった。
意匠図案調製所での仕事。女学校での授業。故郷から寄せられる画の依頼。そして、家に帰れば、たきと熱子がいる。
東京で暮らしていた頃のように、絵師や画家、文人たちと頻繁に交わる機会は少なくなったかもしれない。しかし、熊治は、その生活を物足りないとは思っていなかった。
若い頃は、師に認められることを願い、少しでも多くを学ぼうとした。東京へ出てからは、玉章の教えを受けながら、自分の画をどのように育てていくべきかを考えてきた。
そして今、熊治の前には、生徒たちがいる。
彼女たちは、熊治の教えを受けながら、自分自身の目と手を養おうとしている。やがて学校を離れ、それぞれの生活へ戻っていくだろう。その先で画を描き続ける者がいるかどうかは分からない。それでも、彼女たちが画を学んだ経験は、何らかの形でその後の人生に残るはずだった。
自分は、何を残すのだろう。その問いは、以前よりも強く、熊治の胸に浮かぶようになっていた。作品を残すこと。教えを残すこと。そして、自分が生きた証を、何らかの形で後の時代へ伝えること。
それは、すぐに答えが出る問いではなかった。
熊治は、まだ絵師として自分の表現を探り続けている。師たちから学んだことを、すべて自分のものにできたわけではない。描くたびに新たな課題が生まれ、以前は分かったと思っていたことが、別の経験を経て、違った意味を持つこともある。
絵師としての道に、終わりはないのかもしれなかった。
ある夕暮れ、仕事から帰った熊治は、庭先に立っていた。秋の風が吹き、木の葉が一枚、枝を離れて地面へ落ちた。熊治は、その葉を見つめた。
東京にいた頃にも、同じように葉の落ちる様子を見たことがある。あの頃は、画にするならば、どのような構図がよいか、どのように筆を運べば、その動きを表現できるかと考えたかもしれない。
今も、葉の形や落ちる様子に目を向ける自分がいる。しかし、そのとき胸に浮かんだのは、画の構図だけではなかった。
季節は巡る。木々は葉を落とし、やがて新しい芽を出す。人もまた、時とともに歳を重ね、少しずつ変わっていく。
熱子も成長する。たきも歳を重ねる。そして、自分もまた、いつまでも若いままではいられない。
それは、誰にとっても当たり前のことである。けれども、日々の暮らしのなかでは、当たり前であるがゆえに、深く考える機会は少ない。
熊治は、地面に落ちた葉を見つめていた。
葉は、風に吹かれてわずかに動いた。それから、静かに地面に留まった。
「お父さん」背後から熱子の声がした。
熊治は振り返った。「何だ」
「お母さんが呼んでる。ご飯ですよって」
「もうそんな時間か」
熱子は頷いた。
「早く来てね」
「ああ、すぐ行くよ」
熱子が家のなかへ戻っていく。その向こうから、たきの声が聞こえた。いつもの夕食。いつもの家。いつもの家族。
熊治は、庭をもう一度見た。
落ちた葉を拾うことはしなかった。ただ、その姿をしばらく目に留めてから、家のなかへ戻った。
食卓には、たきが用意した食事が並んでいた。熱子は、今日あったことを話している。熊治は箸を進めながら、その声に耳を傾けた。
明日も、同じような一日が来るだろう。
朝になれば仕事へ出かけ、学校で生徒たちに画を教え、夕方になれば家へ帰る。画を描き、家族と食事をし、また次の日を迎える。
熊治は、その日々が特別なものであるとは考えていなかった。
けれども、師たちのもとで学び、東京で多くの人々と交わり、名古屋で教える立場になった今、彼の人生は、以前とは異なる段階へ進みつつあった。
自分が学ぶだけではなく、誰かに教える。自分の画を描くだけではなく、他者の画が育つのを見守る。師の作品を記録したように、自分もまた、後の時代へ何かを残していかなければならない。
そのことを、熊治は少しずつ自覚し始めていた。
続く。。。




