第三部 東京へ――たきとの結婚・玉章との出会い
第五章 玉章の画室
明治三十年(一八九七)川端玉章の画室に足を踏み入れた熊治は、そこに漂う空気に圧倒された。
静かな場所だった。しかし、ただ静かなだけではない。長い年月をかけて積み重ねられた技術と、絵師たちが互いに競い合う緊張感が、室内に満ちているように感じられた。
熊治は、自分がこれまで学んできたものを胸の内で確かめた。
自然を見る眼。墨の濃淡。余白。そして四条派の筆法。雲仙から学んだこと、石蘭のもとで改めて考えさせられたこと。それらを携えて、熊治は玉章の前に立った。
「矢吹雲岳、本名は熊治と申します」
玉章は、しばらく熊治を見ていた。
「矢吹雲岳という名を聞いたことがある」
熊治は意外に思った。
「ご存じでしたか」
「名は聞いている。だが、名より画を見たほうが早い」
玉章は、目の前の紙を示した。
「描いてみなさい」
熊治は筆を取った。
久しぶりに向き合う白い紙だった。紙の白さが、妙にまぶしく見えた。硯に水を落とし、墨を磨る。墨が静かに溶けていくにつれ、懐かしい匂いが立ち上った。
その匂いを吸い込んだ瞬間、胸の奥にしまい込んでいたものが、次々とよみがえりあふれ出た、それは正に爆発に近い感覚だった。
三好雲仙。
奥村石蘭。
幼い頃の自分。
真金へ通った道。
名古屋で過ごした日々。
そして、二人の師を失った日のこと。
熊治は筆を動かした。
一筆、二筆。さらに筆を重ねる。
長く画から離れていたはずなのに、筆は思いのほか自然に動いた。忘れたと思っていた感覚が、手のなかに残っていたのである。
描き終えた紙を、熊治は玉章の前に置いた。
玉章はすぐには何も言わなかったが、しばらく画を眺めたあと、静かに「よく学んでいる」と口を開いた。
熊治は頭を下げた。
だが、玉章は、なお画面を見つめ「しかし、学んだものを、まだ少し重たく持ちすぎている」と言った。
熊治は顔を上げ「重たい、というのは……」と尋ねた。
「お前には雲仙も石蘭もいる。それは悪いことではない。むしろ大切なことだ。だが、師の筆を背負ったままでは、お前の筆は自由にならない」
熊治は黙っていた。
石蘭に初めて会った日のことが、脳裏によみがえった。あのときも、自分の画を見た師は言った。
――まだ、お前自身の画ではない。
年月を経て、再び似たような言葉を聞いている。
しかし、今度の言葉は、以前とは少し違って聞こえた。師たちから学んだものを捨てろと言われているのではない。受け継いだものを、自分のなかで生かすように求められているのだ。
「玉章先生」
「何だ」
「私は、これまで学んできたものを捨てなければならないのでしょうか」
玉章は首を横に振った。
「捨てる必要などない。捨てるのは簡単だ。難しいのは、受け継いだものを自分のものにすることだ」
熊治は、その言葉を胸に刻んだ。
雲仙も石蘭も、もういない。だが、二人から学んだものは、確かに自分のなかに残っている。師の教えを受け継ぐとは、師と同じ画を描き続けることではない。学んだ技法を、自分の眼と手で確かめ、自分の表現へと変えていくことなのだ。
熊治は、ようやくその意味を理解し始めていた。画を捨てたつもりでいた年月も、決して無駄ではなかったのかもしれない。画を描かずに暮らしたからこそ、自分が本当に筆を必要としていることに気づいた。そして、再び筆を持った今、これまでの修業を新たな目で見直すことができる。玉章との出会いは、熊治にとって、もう一度画の道を歩き始めるための出発点となった。
第六章 天真社
玉章のもとでの修業は、熊治に新たな課題を与えた。
それまでの自分が、四条派の流れのなかで培ってきたもの。雲仙から受け取った教え。石蘭から学んだ技法。それらが、玉章のもとで、少しずつ別の形を取り始めていた。
玉章が修めた円山派は、写生を特に重んじる画派である。自然を丹念に観察し、対象の形や動き、色彩の特徴を捉える。玉章自身も、写生を日課としていた。
東京美術学校へ出勤する際、持参した画帳に十枚、十五枚と画を描いてくることを自慢にしていたという逸話も残されている。
玉章が自然を写生するとき、鳥の姿だけを見ていたわけではない。
鳥が枝にとまる瞬間、足にかかる重み。羽毛が風を受ける方向。鳥の重さによって、枝がわずかにしなる様子。そうした細部を観察し、動きのなかにある一瞬を画帳に留めようとしていた。
熊治は、その姿勢に強く惹かれた。
雲仙から学んだ「見る」ということが、玉章のもとでさらに深まっていく。ただ形を眺めるのではなく、その形が生まれる理由を考える。自然のなかにある動きを見つけ、それを筆で表現する。
そして、目に見えたものをすべて描くのではなく、不要なものを削り必要なものだけを選び、画面に残す。
熊治は、改めて余白の意味を考えるようになった。
ある日の稽古で、玉章は一枚の紙を前にして「画は、描いたところだけで出来ているのではない」と言った。
熊治は黙って聞いていた。
「描かないところがあるから、描いたところが生きる」
その言葉を聞いたとき、熊治は、以前、たきに語った自分の言葉を思い出した。
――画を描く者は、何もないところを見るのが仕事なのかもしれない。
あのとき、自分は、その言葉の意味を十分に理解していたわけではなかった。何も描かれていない紙を見つめながら、ただ漠然と感じていたことを口にしただけだった。しかし、今なら少し分かる気がした。
何もないところには、本当に何もないのではない。描かれていないものが、そこにある。見る者の想像を受け入れる余地があり、描かれたものを生かす空間がある。
熊治は、紙の余白を見つめた。
師たちから学んできたものが、ようやく自分のなかでつながり始めていた。
第七章 二重生活
東京での生活は、逓信省の仕事と画業を両立させる日々となった。
昼間は東京郵便電信局で職務に励み、仕事が終われば玉章の画塾「天真社」へ向かう。帰宅すれば、たきが待っていた。
画を学び直すと決めたからといって、暮らしの責任がなくなるわけではない。家計を支え、日々の務めを果たし、そのうえで画の修業を続けなければならなかった。
身体はとても疲れた。それでも、熊治は以前とは違う充実を感じていた。
仕事と画業。二つの生活を行き来することは、決して楽ではなかった。しかし、画を描く時間が、もはや現実から逃れるためのものではなくなっていた。自分が何者であるのかを確かめるために、筆を持ちたかったのである。
ある夜、熊治は机の上に筆を置いた。
「たき」
「はい」
「私は、もう一度、画をやってみようと思う」
たきは、少しだけ熊治の顔を見た。
「もう一度、ではないのではありませんか」
「え?」
「ずっと続いていたのではありませんか」
熊治は答えなかった。
たきの言葉は、思いがけず胸に残った。
確かに、そうだったのかもしれない。
筆を置いていた間も、熊治は町の景色を見ていた。樹木の枝ぶりに目を留め、川面の光を追い、鳥の姿を眺めていた。逓信省の役所で働きながらも、紙の上の余白について考えていた。
画は、熊治のなかから消えたことなどなかった。ただただ、自分から遠ざけようとしていただけだった。
たきは、熊治がなぜ画を描かなくなったのか、その理由をすべて理解していたわけではない。それでも、彼が画から離れたつもりでいても、心のどこかで筆を求め続けていたことを、感じ取っていたのかもしれない。
「そうかもしれないな」熊治は、静かに答えた。
たきはそれ以上、何も言わなかった。
その夜、熊治は机に向かい、再び筆を手にした。
これから先、絵師としてどこまで歩めるのかは分からない。だが、少なくとも、もう画を捨てようとは思わなかった。
第八章 異なる世界の人々
東京には、さまざまな人々が集まっていた。
絵師や画家だけではない。漢詩人、文学者、医師、書家、学者、俳人、新聞記者。人々はそれぞれの仕事に従事しながら、異なる分野の知識や表現に触れ、互いに影響を与え合っていた。
熊治も、画壇だけに閉じた世界にいたわけではなかった。
逓信省の仕事を通じて知り合った人々のなかには、文学や漢詩をたしなむ者もいた。その一人が土居香国である。
香国は熊治より二歳年上で、土佐国高岡郡佐川、現在の高知県出身だった。名古屋、金沢、東京などで逓信省の郵便電信局長を務め、漢詩や書を通じて各地の文人と交流していた。日本の漢詩人たちが集う随鷗吟社にも参加しており、詩文の世界に広い人脈を持っていた。
香国は、熊治の画を見ては、しばしば言葉を交わした。
「雲岳さんは、画だけを描いていればいい人には見えませんな」
あるとき、香国が言った。
「どういう意味ですか」
「人の話を聞く。文章も読む。書も見る。そういう人は、画にもそれが出るものです」
熊治は笑った。
「私は、ただの器用貧乏ですよ」
「それなら、それも一つの才能でしょう」
香国も笑った。
熊治にとって、こうした会話は楽しいものだった。東京郵便電信局長と通信書記補(一等)。仕事上の上司と部下という関係を離れ、一人の人間として語り合う時間には、画塾とは異なる刺激があった。
絵師や画家だけと話していると、どうしても話題は画の内側にとどまりやすい。しかし、文学や漢詩に触れれば、画面の外に広がる世界を考えることができる。
言葉では表せないものを画にする。画では表しきれないものを、言葉によって考える。その往復が、熊治のなかで少しずつ始まっていた。
やがて熊治は、交友関係を広げていった。森鷗外の漢詩・漢文の師として知られる佐藤元萇、俳人の正岡子規、真宗大谷派の僧侶で書家としても知られる北方心泉らとも交わるようになる。
彼らは、それぞれ異なる分野に身を置いていた。漢詩人は言葉によって世界を捉え、俳人は日常の一瞬を短い句に留め、書家は筆の運びと墨の濃淡によって精神を表す。
熊治は、その一つ一つに興味を抱いた。
漢詩は漢文で、俳人は俳句で、書家は文字と墨で、そして絵師は画で表現する。方法は異なっていても、彼らは皆、目の前の世界から何かを見いだし、それを自らの方法で形にしようとしていた。
東京は、熊治にとって、単なる修業の場所ではなくなっていた。さまざまな人々が、それぞれの方法で何かを表現しようとする場所だったのである。
その交流は、熊治の画を直接変えるだけではなかった。人の話を聞き、文章を読み、異なる考え方に触れることによって、ものを見る視野そのものが広がっていった。画の外にある世界を知ることは、画の世界を深めることにもつながっていた。
第九章 芽生える予感
ある夜、仕事を終えた熊治は、仲間と別れ一人帰路についていた。
東京の町には、少しずつ夜の灯りが増えていた。表通りには人の往来が残っていたが、路地へ入ると、あたりは静かだった。
熊治は空を見上げた。
雲の切れ間から、月が見えた。
その月を眺めているうちに、三好雲仙のことを思い出した。
雲仙が東海道を旅しながら描いた風景。それを見て、自分も画を学びたいと思い、真金へ通うようになった若い日のこと。
そして、奥村石蘭。厳しくも、時折、温かな言葉をかけてくれた師。
その二人は、もういない。
しかし、二人から学んだことは消えていなかった。玉章のもとで修業を重ねるようになってから、そのことを以前よりもはっきりと感じるようになった。
師とは、いつもそばにいる人だけではない。
亡くなった後も、その教えは弟子のなかに残り、筆の運びやものを見る眼に生き続ける。熊治は、月を見上げながら、そんなことを考えていた。
――いつか、自分も誰かに何かを渡すことができるだろうか。
まだ、その答えは出ていなかった。
それまで熊治は、ひたすら画を学ぶ側だった。雲仙から学び、石蘭から学び、そして今は、玉章から学んでいる。
けれども、絵師として生きるのであれば、いつかは自分の筆によって、次の世代へ何かを伝えなければならない。
それは、まだ明確な目標というほどのものではなかった。ただ、自分のなかに生まれた問いとして、熊治の胸に残った。
その問いが芽生えたこと自体、彼にとっては小さくない変化だった。
雲仙も石蘭も、そして玉章も伝統を受け継ぐ絵師として、その流れを後世へ伝える役割を担っていた。
熊治自身もまた、雲仙の弟子であり、石蘭の弟子であり、玉章の弟子である。しかし、それだけではない。師たちの名を連ねるだけでは、自分の歩んできた道を説明したことにはならない。
熊治という一人の人間として、そして雲岳という一人の絵師として、これから何を描くのか。
雲岳という名には、若き日の修業が詰まっている。雲仙の教えも、石蘭のもとで過ごした時間も、東京での再出発も、その名と結びついていた。だからこそ、簡単に手放すことはできない。
けれども、人が変われば、画もまた変わるのかもしれない。
家に着いた熊治は、自室に入り机の上の筆を手に取った。
白い紙を広げ、筆先に墨を含ませる。
一呼吸置いて、紙に筆を下ろした。黒い線が、静かに走る。
その線には、雲仙から学んだものがあり、石蘭から受け継いだものがある。そして今、玉章のもとで学び直しているものがあった。
それらは、ただ過去から受け取ったものとして、熊治のなかに積み重なっているのではない。彼自身の眼と手を通して、少しずつ別の形になろうとしていた。
師の教えを受け継ぐことと、自分の画を描くこと。その二つは、別々の道ではなかったのである。
熊治は、紙の上の線を見つめた。
まだ、自分の画と呼べるものが確立したわけではない。道半ばで迷いも残っている。これから先、何を描き、どのように生きていくのか、すべてが見通せているわけでもない。
それでも、筆を持つ手は、もう迷いだけに支配されてはいなかった。
雲岳という名を背負いながら、その名にとどまらず、自分自身の画を探していく。その歩みは、ようやく始まったばかりだった。
続く。。。




