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筆の花  作者: 璋雲亭紫竹園
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第一部 金井戸の少年――三好雲仙との出会い

第五章 雲岳


 修業を重ねるにつれて、熊治の画は少しずつ変わっていった。


 初めの頃は、雲仙の手本を追うことだけで精いっぱいだった。しかし、繰り返し模写をし、師の筆遣いを観察するうちに、線の強弱や墨の濃淡を意識できるようになった。枝を描くにも、ただ輪郭をなぞるのではなく、幹の太さや枝の伸び方に応じて筆を使い分ける。鳥の姿を描くときには、羽の形だけでなく、首や脚の動きにも注意を払うようになった。



 もちろん、思いどおりに描けるようになったわけではない。描けば描くほど、自分に足りないものが見えてくる。それでも、以前には気づかなかった違いを見つけられるようになったことは、熊治にとって確かな進歩だった。


 やがて、師の仕事を手伝う機会も増えた。後輩の弟子たちから、筆の運びや墨の濃さについて尋ねられることもあった。


「熊治先生、ここはどうすればよいでしょう」


「墨を少し薄くしてみたらどうかな」


「この枝は?」


「線を途中で止めないで。枝がどこへ伸びていくのか、先まで考えて描いてごらん」


 まだ自分も学ぶ身である。人に教えることに戸惑いがなかったわけではない。しかし、誰かに説明しようとすると、自分が何を理解し、何をまだ分かっていないのかが明らかになる。


 人に教えることは、自らの学びを確かめることでもあった。


 雲仙は、熊治のそうした成長を見ていた。



 ある日、雲仙は熊治を呼び寄せた。


「熊治」


「はい」


「お前に画号を与える」



 熊治は、手にしていた筆を置いて姿勢を正した。


「画号、ですか」


「そうだ」



 絵師にとって画号は、本名とは別に、作品に署名するときなどに用いる名である。それは単なる呼び名ではなく、絵師として生きていくうえで、自らの立場を示すものでもあった。


 熊治は、師がどのような名を考えているのか、黙って待った。


「雲岳」雲仙は、二文字を静かに告げた。



 雲岳。


 雲と、岳。雲の上にそびえる山を思わせる名である。



 熊治は、その響きを心のなかで繰り返した。


「雲岳……」


「気に入らぬか」


「いいえ」熊治は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます」



 画号を授けられたからといって、すぐに一人前の絵師になれるわけではない。それは、これまでの修業を認められた証しであると同時に、これから先も学び続けることを求められる身になったということでもあった。その日、熊治は、自ら描いた画の隅に初めて「雲岳」と署名した。



 小さな二文字だった。


 しかし、書き終えたあとも、熊治はしばらくその文字を眺めていた。



 熊治という名は、生まれたときから自分に与えられていた。家族に呼ばれ、家の者たちと暮らし、天満屋の息子として成長してきた自分の名である。


 一方、雲岳という名は、画を学ぶなかで師から与えられたものだった。そこには、家の一員としての自分とは別に、絵師として歩んでいく自分がいる。そう考えると、少し不思議な気持ちがした。



 自分のなかに、もう一人の自分が生まれたようでもあった。けれども、それは熊治とは別の人間ではない。これまでの経験をすべて抱えたまま、筆を執るときに現れる、もう一つの自分の姿なのだろう。



 雲岳。


 その名にふさわしい絵師になれるかどうかは、まだ分からない。


 ただ、筆を持って紙に向かうとき、熊治はその名を自分のものとして受け止めようとしていた。


 画号を得たことは、修業の終わりではなかった。


 むしろ、これから何を描き、どのような絵師になっていくのかを、自分自身に問い続ける始まりだったのである。




第六章 師の背中


 三好雲仙は、何でも言葉で説明する師ではなかった。


 弟子にはまず手本を模写させ、筆遣いや構図を身につけさせる。疑問があれば答えるが、初めからすべてを教えることはしない。弟子が自ら考え、目の前の画を見つめ、答えを探すことを重んじていたように思われる。



 熊治も、師の言葉がすぐには理解できず、何日も考え続けることがあった。とりわけ、画のなかに描かれていないものを見るという教えは、心に引っかかり続けていた。



 ある日、熊治は師の画を見ながら堪えきれずに尋ねた。


「先生、どうしてここには何も描かないのですか」


 画面の一角には、白い部分が残されていた。枝や葉を描き込むこともできそうだったが、雲仙はそこに筆を入れていなかった。


「何もないのではない」


「では、何があるのですか」


「見る者に見せるものがある」


 熊治は、もう一度、画面を見た。



 そこには何も描かれていない。けれども、師は何もないとは言わない。描かれた枝の向こうに、まだ続いていく空間がある。鳥の周囲には、鳥が動くための空気がある。山の稜線の先には、さらに遠くの景色が広がっているかもしれない。


 何も描かれていない部分があるからこそ、描かれたものが息づく。余白は、ただ紙を白く残した部分ではなく、画面のなかに広がりを生み出す役割を担っている。熊治は、そのことを少しずつ理解し始めていた。



 しかし、理解したと思ったことが、翌日にはまた分からなくなる。自分で描いてみれば、余白を残したつもりが、ただ描き足りない画になってしまうこともあった。技法を知ることと、それを自分の画のなかで生かすことは、別の問題だった。



 雲仙は、熊治にすぐ答えを与えることはしなかった。


 自分で考え、試し、失敗し、そのなかから何かをつかむ。それもまた修業の一部だったのである。


 やがて熊治は、師の教えを、単に模写を続けるだけのものではないと考えるようになった。


 まずは手本を学び、基本を身につける。次に、その意味を考え、自分なりの工夫を加えていく。そして、いずれは自らの表現を確立する。


 後世に「守破離」と呼ばれる考え方に重ねてみれば、熊治が歩み始めていたのは、師の教えを忠実に学ぶ段階から、自らの理解を深める段階へと移る道であった。


 もちろん、その道筋は、明確な段階に分かれていたわけではない。基本を学び直すこともあれば、自分なりの工夫が思い込みにすぎなかったと気づくこともある。修業は、一直線に進むものではなかった。


 それでも、熊治は描き続けた。



 ある夕方、画塾の外で、雲仙が空を見上げていた。


 夕陽が山の端を赤く染め、雲の縁に淡い光が差している。昼間には青く見えていた山も、暮れかかる光のなかでは、まるで別の姿をしていた。



「熊治」


「はい」


「画は、一生かかっても分からん」思いがけない言葉だった。



 熊治は、師の横顔を見た。


「では、どうすればよいのでしょう」


「分からないから、ひたすら描くんだ」雲仙は、それ以上何も言わなかった。



 二人は並んで、しばらく山を眺めていた。


 雲が動いている。夕陽が沈み、山の色が刻々と変わっていく。同じ山でありながら、昼間に見たときとは違う姿を見せていた。


 熊治は、ふと、幼い頃に庭の花を見つめていた自分を思い出した。


 風が吹けば花は揺れ、陽が陰れば色が変わる。その一瞬を描こうとして、何度も紙に向かった。


 あの頃、自分は何も知らなかった。画の流派も、筆法も、墨の濃淡を使い分ける意味も分からなかった。ただ、目の前にあるものを描きたいと思っていた。その思いは、今も変わっていない。



 しかし、師のもとで学ぶうちに、見ることの難しさを知った。形を写すだけでは、対象の本当の姿を捉えたことにはならない。画面に何を描くかと同じくらい、何を描かずに残すかも大切なのだ。


 画とは、目の前にあるものをそのまま紙に移すことではないのかもしれない。


 今、この瞬間にしかない光や空気、ものの動き、そして、それを見つめる自分の心。そのすべてを、限られた紙の上にどのように表すのか。


 それを考え続けることが、絵師として生きることなのだろう。


 熊治は、師の背中を見た。


 雲仙は、なおも空を見つめていた。長年にわたり画を学び、描き続けてきた師でさえ、画は一生かかっても分からないと言う。その言葉に、熊治は不思議な安堵を覚えた。



 分からないことは、恥ずべきことではない。分からないからこそ、学ぶ余地がある。描くべきものが尽きない限り、筆を執る理由もまた尽きることはない。


 その日から、熊治は自然を見る時間を、以前にも増して大切にするようになった。


 花を見れば、花びらの形だけでなく、その周囲の空気にも目を向けた。鳥を見れば、羽の色や脚の長さだけでなく、次にどのような動きをするのかを考えた。山を見れば、稜線の形だけでなく、光によって変わる色や、遠くへ続く空間を意識するようになった。まだ、すべてを描けるわけではない。それでも、見ようとするものは、確かに増えていた。




第七章 時代の風


 熊治が画の修業を重ねる一方で、日本の社会は大きく変わりつつあった。


 江戸幕府が終わり、明治という新しい時代が始まってから、人々の暮らしにはさまざまな変化が生じていた。政治の仕組みが改められ、交通や通信の整備が進み、外国の文化や技術が流れ込んでくる。町では新しい商売が生まれ、これまで当たり前だった制度や習慣も、次第に姿を変えていった。


 画塾に集まる者たちの話題にも、世の中の変化が入り込んでくる。


 外国のこと。鉄道のこと。新しい政府のこと。これからの日本がどのような国になっていくのかということ。



 絵師にとっても、時代の変化は無縁ではなかった。


 これまで大切にされてきた画法を、これからも学び続ける意味はどこにあるのか。新しい表現が現れるなかで、先人から受け継いだ技術をどのように生かしていくのか。そうした問いは、やがて絵画の世界にも深く関わっていくことになる。



 しかし、熊治にとって、当面の課題は目の前にあった。


 今日の画を、昨日より少しでもよいものにすること。師の教えを理解し、自分の手で確かめること。そして、見慣れたもののなかに、まだ気づいていない姿を見つけることだった。



 画塾での日々は、静かに積み重なっていった。


 熊治は、雲仙のもとで画法を学び続けた。やがて塾長として、後輩の門弟たちを指導する立場も任されるようになった。


 自分が教わったことを、今度は人に伝える。


 その立場になって初めて、熊治は、師が多くを語らなかった理由を考えるようになった。言葉で説明すれば、その場では分かったつもりになれる。しかし、本当に理解するためには、自ら筆を執り、何度も試してみなければならない。


 教える側になったからといって、すべてが分かるわけではない。むしろ、人に尋ねられることで、自分がまだ十分に理解していなかったことに気づかされる場合もあった。


 それは苦しいことでもあったが、同時に、学びを深める機会でもあった。雲岳という画号も、少しずつ熊治のなかに根づいていった。


 画に署名するとき、熊治はその二文字を見つめた。師から授かった名に恥じない仕事をしたいと思う一方で、自分の画がまだ十分なものではないことも分かっていた。知れば知るほど、知らないことが増えていく。



 鳥の姿を描けるようになれば、今度は羽ばたく瞬間を表したくなる。山の形を捉えられるようになれば、光や空気によって変わる景色を描きたくなる。花の姿を描き留めれば、その花が咲いている季節の気配まで表したいと思う。



 画の世界には、終わりがなかったが、そのことを、熊治は少しずつ喜びとして受け止めるようになっていた。


 まだ描いていないものがある。まだ見えていないものがある。自分の筆では表せないものが、目の前にいくらでも存在している。


 そう考えれば、学ぶことをやめる理由はなかった。


 しかし、画塾での修業を続けることだけが、熊治の将来ではなかった。



 家には天満屋の商いがあり、家族の暮らしがある。絵師としての道を進むためには、今いる場所にとどまるだけでよいのか、考えなければならない時期が近づいていた。


 雲仙のもとで学ぶことは、熊治にとってかけがえのない経験だった。師から受け取った技術や考え方は、これから先も彼の画の基礎となるだろう。


 だが、師のもとで学び続けることと、師を越えて自らの画境を拓くことは、同じではない。



 熊治は、まだ自分の画が完成したとは思っていなかった。むしろ、学べば学ぶほど、別の土地に別の画法があり、異なる経験を積んだ絵師たちがいることを意識するようになっていた。


 自分の知らない世界へ出ていく必要があるのではないか。その思いは、胸の内に静かに育ち始めていた。





第八章 旅立ちの予感


 明治二十二年(一八八九)、熊治は三十七歳になっていた。


 この年、矢吹家では大きな変化があった。父の良吉が亡くなり、長兄の竹次郎が分家したことに伴って、熊治が家督を相続することになったのである。八月十八日、熊治は天満屋の家を継いだ。


 家督を継ぐということは、単に家の名を引き継ぐことではない。家族の暮らしを支え、商いを守り、家に関わる者たちに対して責任を負うことでもあった。


 幼い頃、庭先で花を描いていた熊治は、今や一家の将来を背負う立場になっていた。


 天満屋の家。家族。商い。そして、自らの画業。背負うものは増えていた。絵師としてさらに学びたいという願いがあっても、家の責任を顧みずに行動するわけにはいかない。自分一人の思いだけで、すべてを決められる年齢でもなかった。


 それでも、熊治の胸の内には、画を究めたいという気持ちが消えることなく残っていた。


 その頃、東海道本線が全線開通した。鉄道は、人と土地との距離を縮めつつあった。かつては長い日数を要した旅も、交通の発達によって、以前とは異なる形で可能になっていく。


 雲仙も、東海道を巡る画行脚を考えていた。



 旅は、絵師にとって新たな風景に出会う機会である。見慣れた土地を離れれば、山の形も川の流れも、町の様子も異なる。そこで目にしたものは、それまでの画を見直すきっかけにもなる。


 熊治もまた、今いる場所の外に、学ぶべきものがあることを感じていた。


 ある日、雲仙は熊治を呼んだ。


「雲岳」


「はい」


「名古屋へ行ってみないか」思いがけない言葉だった。


「名古屋へ、ですか」


「奥村石蘭という絵師がいる」雲仙は、石蘭について説明した。



 奥村石蘭は、名古屋を拠点に活動する四条派の絵師である。呉春の画僕だった野村玉渓の門で画を学び、京都で横山清暉にも師事した人物だった。呉春直系の画法を受け継ぎ、名古屋の画壇で多くの門人を育てていた絵師である。



「お前が次へ進むには、私のところだけでは足りない」


 雲仙は、言葉を飾ることなく告げた。


 熊治は黙って聞いていた。


 師のもとで学んだ歳月は、決して短くない。画の基礎を身につけ、筆遣いを学び、画号を授けられ、後輩を指導する立場にもなった。熊治にとって雲仙は、画の道を開いてくれた恩師である。


 その師が、自分のもとだけでは足りないと言う。


 それは、これまでの修業を否定する言葉ではなかった。むしろ、学んできたものを土台として、さらに先へ進めという勧めだった。



「新しい土地へ行け」雲仙の声には、迷いがなかった。


「そこで、新しいものを見ろ」


 熊治は、すぐには返事ができなかった。



 名古屋へ行くということは、真金の画塾を離れるだけではない。金井戸の家と、そこに暮らす家族のことも考えなければならない。天満屋の家督を継いだばかりの自分が、遠くの土地へ出ていくことには、当然ながら不安があった。


 家を守る責任と、絵師として学び続けたいという願い。その二つを、どのように両立させるべきなのか。熊治は、しばらく考えた。



 けれども、胸の奥には、すでに答えがあった。


 もっと画を知りたい。もっと描きたい。今の自分では見えていないものを、見られるようになりたい。それは、幼い頃から変わらない願いだった。


「先生」


「うん」


「行ってきます」


 雲仙は、静かに頷いた。


「そうしなさい」それ以上、師は何も言わなかった。


 熊治は深く頭を下げた。



 画塾の外へ出ると、空には雲が浮かんでいた。その向こうには、いつもの山並みが連なっている。


 雲岳。


 師から授かった画号を、熊治は心のなかで繰り返した。



 幼い頃、金井戸の庭で花を見つめていた日々。川辺の鳥を描こうとして、何度も紙を汚したこと。真金の画塾で初めて本格的に筆を学んだこと。師の言葉に戸惑い、思うように描けず、悔しさを覚えたこと。左馬蔵と互いの画を批評し合い、競い合ったこと。そして、雲岳という名を授けられたこと。それらの歳月が、今の自分を形づくっていた。



 金井戸の少年は、いつしか三十七歳の男になった。天満屋の家を継ぎ、絵師としての道を歩み始めている。


 けれども、まだ自分がどこまで行けるのかは分からない。


 名古屋には呉春直系の奥村石蘭がいる。雲仙とは異なる経験を積み、異なる視点から画を学んできた絵師である。そのもとで何を知り、何を学び、どのような画を描くことになるのか。期待と不安が、熊治の胸のなかで入り交じっていた。



 新しい土地へ行くことは、これまで身につけてきたものを手放すことではない。むしろ、それを携えて、さらに別のものを学びに行くことなのだろう。雲仙から受け取った教えを、熊治は忘れるつもりはなかった。


 描かれているものだけを見るのではない。描かれていないものにも目を向けること。その教えを胸に、熊治は前を向いた。



 この先、どんな事が待っているのか。名古屋で何を学び、どのような人々と出会うのか。


 未知の場所に正直不安はある。しかし、ただ一つ確かなことがあった。画を描くことだけは、やめられない。熊治は歩き始めた。


 金井戸の少年は、故郷を離れ、次の学びの場へ向かう。


 その先には、奥村石蘭との出会いが待っていた。


 空には雲が流れていた。山の稜線は、いつものように静かにそこにある。熊治は、その景色を一度だけ振り返り、再び前を向いた。


 雲岳の名を胸に、新たな道へと歩み出したのである。


続く。。。

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