第8話 崩壊
僕が立ち上がったことで、教室の空気は一縮即発の状態になった。
僕に向けられた視線は、もはや「地味な幼馴染」を見るものではなかった。クラス一の美少女を独占し、世間を騒がせている「謎の男」に対する、剥き出しの敵意と好奇心だ。
「……陽太、もういいよ」
凛が、消え入るような声で僕を止めた。
彼女は震える手で鞄を握りしめ、誰とも目を合わせないようにして教室を飛び出していった。
「おい、待てよ結城!」
野次馬たちが後を追おうとする。僕はその前に立ち塞がり、冷徹な声で言い放った。
「……そこから先は、僕が許さない。彼女にこれ以上構うなら、僕が相手になる」
僕の気迫に押されたのか、連中は舌打ちをして足を止めた。
だが、一度火がついた噂は、もはや物理的な壁では防げない。教室のあちこちで、ひそひそとした囁き声が波のように広がっていた。
凛を追いかけようとした僕の肩を、強い力が掴んだ。
「……陽太、結城さん。二人とも、今すぐ職員室に来なさい」
振り返ると、そこには学年主任が立っていた。その表情は厳しく、手に持ったタブレット端末には、おそらく凛の配信動画か、あるいは掲示板のまとめサイトが映し出されている。
終わった。
そんな確信が、背筋を冷たく撫でる。
僕たちは、全校生徒の好奇の目に晒されながら、葬列のような足取りで職員室へと向かった。
職員室の奥、相談室という名の密室。
向かい合って座る僕たちの前には、担任と学年主任が険しい顔で並んでいる。
凛は膝の上で拳を握り、自分の爪が食い込むほど強く握りしめていた。
「結城。単刀直入に聞く。……ネットで騒がれている『聖女』という活動は、君のことか?」
沈黙が部屋を支配する。
凛は答えられない。この学校において、無断の芸能活動は厳禁だ。何より、彼女が必死に守ってきた「普通の高校生活」が、今この瞬間に形を変えていく。
「……先生、それは――」
「君に聞いているんじゃない、陽太くん。君についても、事情を聴く必要がある」
主任の声は低く、事務的だった。
凛がゆっくりと、震える唇を開いた。
「……はい。……私、です」
認めてしまった。
その瞬間、凛の頬を大粒の涙が伝い落ちた。
「……でも、陽太は関係ありません。私が、無理やり手伝わせていただけで……。彼は、ただの幼馴染なんです」
それを凛は一人で背負おうとしている。
「協力者が誰であれ、校則違反は事実だ。さらにこれだけの大騒ぎになり、学校側としても放置はできない。……結城、君には本日付で『無期限の停学処分』を言い渡す。状況が整理されるまで、自宅待機だ」
「停学……」
凛の顔が、紙のように白くなった。
「陽太くん、君もだ。明日から指導が入るまで、登校を禁止する」
指導を終えて部屋を出た僕たちを待っていたのは、怒号でもフラッシュでもなく、ただただ冷徹な「視線の群れ」だった。
廊下の両脇、教室の入り口。
そこには無数の生徒たちが立ち並んでいたが、声を上げる者は一人もいない。
ただ、僕たちが通り過ぎるのを、品定めするような、あるいは蔑むような目で見つめている。
「……っ」
凛が僕の背中に隠れるようにして、顔を伏せる。
昨日まで「聖女様」と憧れの眼差しを向けていた連中が、今は一転して、スキャンダルを暴かれた罪人を眺めるような冷たい目をしている。
その無言の圧力に、僕は吐き気がした。
誰も何も言わない。けれど、その沈黙こそが「お前たちはもう、僕たちの仲間じゃない」と告げているようだった。
僕は凛の肩を抱き寄せ、彼女の震えを遮るようにして歩き出した。
「……大丈夫だ。帰ろう、凛」
僕の囁きに、凛は僕のシャツの裾をギュッと握りしめ、一度だけ小さく頷いた。
校門を出るまで、その氷のような視線が僕たちの背中に突き刺さり続けていた。
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