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『さよなら、偽物の聖女様。』〜Vtuberをしている幼馴染を守るために、世界最強の裏方になります〜  作者:


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第6話 カウントダウン

「……よし、マイクチェック完了。音声の返りも問題ない。凛、いけるか?」


僕の部屋に置かれたサブモニターには、待機画面ですでに十万人を超えようとしている狂乱のチャット欄が映し出されていた。

対する凛は、僕のデスクの隣に設置した特設ブースで、お気に入りのペンギンのぬいぐるみをこれでもかと強く抱きしめている。


「……陽太、手が震える。どうしよう、あんな男の人と、恋人ASMRなんて……」


「台本通りにやればいい。……嫌なら、僕が回線を切る。凛がそう言えば、今すぐにだ」


僕の言葉に、凛は小さく首を振った。

彼女はぬいぐるみを放り投げ、鏡を見ることもなく、一瞬で「結城凛」としての背筋を作り上げる。


「いいえ。これは、私が選んだ道だもの。……見てて、陽太。私が世界で一番の、お嬢様だって証明してくるから」


21時ちょうど。

配信開始のシグナルが灯り、画面にはプラチナブロンドの聖女と、漆黒の衣装に身を包んだ王子――皇レイが並び立った。




「皆様、ごきげんよう。今夜は素敵な騎士様をお招きして、少しだけ……背伸びをした夜を過ごさせていただきますわ」

凛の声は、完璧だった。

一点の曇りもない、気高く、それでいて可煉な響き。

コラボ相手の皇レイもまた、手慣れた様子で甘い言葉を重ねてくる。


『聖女様、そんなに赤くならないで。……僕の隣にいる間は、義務も使命も忘れていいんです』


チャット欄は阿鼻叫喚だ。『助けて、尊死する』『公式が最大大手すぎる』『お似合いすぎて泣けてきた』。

僕は、コンソールの前で拳を握りしめていた。

画面の中で、二人のキャラクターが手を重ねるエフェクトが流れる。台本に従い、凛が吐息混じりに「……もう、強引ですわね」と呟く。

その瞬間、僕の視界の端で、現実の凛が自分の腕をぎゅっと抱きしめたのが見えた。

彼女の指先は白くなるほど強く食い込み、瞳には今にも零れそうな涙が溜まっている。

リスナーには見えない、彼女の拒絶反応。

けれど、仕事として、彼女は声を震わせることなく「理想のヒロイン」を演じ続けている。




配信が中盤に差し掛かった頃、視聴者参加型の「究極の選択」コーナーが始まった。

『恋人に作ってほしい料理は?』という、ありふれた質問。

皇レイが「僕は、君が作ってくれるものなら何でも」と王道な返しをした時、凛の返答がわずかに遅れた。


「……私は、そうですね。……パラパラのチャーハンとか、少し焦げたハンバーグがいいです」


それは、聖女のイメージとはかけ離れた、あまりにも庶民的な、そして――僕が昨夜彼女に作った献立そのままだった。

『え、意外!』『聖女様、実は家庭的?』と湧き立つチャット欄。

皇レイが少し困惑したように笑い、彼女を深追いしようとしたその時だ。


「……ねえ、陽太。そこのお水とってもらえる?」


凛が、マイクがオンであることを忘れたかのように、小さく呟いた。

僕の心臓が、今日一番の音を立てて止まる。

「……凛、マイク!」

僕は反射的にミュートスイッチを叩いたが、遅かった。

ほんの一瞬。ノイズに紛れるような小さな声だったが、十万人の耳には、彼女が「誰か」の名前を呼んだ事実だけが刻み込まれた。

配信は機材トラブルということで終了した。




配信終了のボタンを押した瞬間、部屋は耳が痛くなるほどの静寂に包まれた。 さっきまでスピーカーから流れていた、賑やかなBGMも、皇レイの甘い声も、数万人のリスナーが書き込むチャットの流れる音も、すべてが嘘のように消え去った。

ただ、凛が喉を鳴らして、必死に呼吸を整えようとする音だけが響いている。


「……あ」


凛が、力なくヘッドセットを外した。 デスクに置かれたその手は、まるで氷に触れたかのように白く、激しく震えている。 彼女はそのまま、椅子から崩れ落ちるようにして床に膝をついた。


「……陽太、私……なんて言った?」


その声は、震えて、かすれていた。 学校で見せる凛とした響きも、僕の部屋で甘える時の幼い響きもない。ただ、取り返しのつかない罪を犯した子供のような、絶望に満ちた声。


「……気にしなくていい。機材のノイズか、あるいは空耳だってことで押し通せる。僕がネットの書き込みを監視して、不自然なものは全部――」 「無理だよ……!」


凛が叫び、自分の顔を両手で覆った。 指の間から、大粒の涙が溢れ出し、床に点々と染みを作っていく。


「はっきり呼んじゃった……。あんなにたくさんの人が見てる前で、陽太のこと、一番呼んじゃいけない名前を……っ。運営さんにも、皇さんにも、何より……私を信じてくれてたリスナーさんに、なんて言い訳すればいいの?」


彼女は床に額を擦りつけるようにして、丸まっていた。 「聖女」として積み上げてきた努力、事務所の期待、そして僕との「安全な共犯関係」。それらすべてを、自分の一言が粉々に砕いてしまったという事実に、彼女は押し潰されていた。




僕は彼女の隣に膝をついたが、すぐには触れられなかった。 今の彼女は、触れればガラス細工のように粉々になってしまいそうだったからだ。


「……ごめんね、陽太。私のせいで、陽太まで巻き込んじゃう。明日から、学校でもきっと変な目で見られる。私が、陽太の居場所を奪っちゃった……」


彼女は泣きながら、何度も自分を責めた。 ズボラで、わがままで、僕に甘えてばかりだった彼女が、今は自分という存在そのものを消し去りたいと願っている。その姿を見るのは、どんな炎上騒動を見守るよりも僕の胸を締め付けた。

たしかに彼女の特徴、そして俺の名前から察する人も出てくるだろう。


「……凛、顔を上げろ」


「嫌……見ないで。今の私、世界で一番惨めなVtuberだもん……」


彼女の拒絶を無視して、僕はその細い肩を掴み、無理やり自分の方へ向かせた。 涙でぐちゃぐちゃになった顔。鼻を赤くして、震える唇。 「聖女」の欠片もない。けれど、これこそが、僕だけが知っている結城凛の真実だ。


「……惨めじゃない。お前は、最後までやり遂げようとした。嫌なコラボも、台本も、全部飲み込んで、みんなのために笑おうとした。……その途中で、少しだけ限界が来ただけだ」


「でも……っ、失敗したのは事実だよ……」


「その失敗のケツを拭くのが、マネージャーだろ。……いや、違うな。隣の家に住んでる、腐れ縁の幼馴染の役目だ」


僕は、彼女の冷え切った手を、自分の両手で包み込んだ。 彼女の絶望をすべて肩代わりすることはできないけれど、せめてこの震えが止まるまで、離さないことだけはできる。

凛は僕の手を握り返す余裕すらないようだった。 ただ、僕の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣き続けた。 何十分、何時間そうしていたかわからない。

窓の外では、夜の闇が一段と深まっていた。 SNSでは今頃、「陽太」という言葉がトレンドを駆け上がり、憶測と誹謗中傷が渦巻いているだろう。


「……ねえ、陽太。私、もう明日から学校に行けないかもしれない」


泣き疲れて、呆然とした目で壁を見つめる凛が、ポツリと零した。


「……それでも、いい。学校が地獄になっても、活動ができなくなっても……陽太だけは、私のこと、嫌いにならないでいてくれる?」


その問いは、愛の告白などという甘いものではなく、暗い海の底で、唯一の命綱にしがみつくような必死の懇願だった。

僕は彼女の頭をゆっくりと撫でながら、静かに、けれど逃げ場のない確信を込めて答えた。


「嫌いになるわけないだろ。……お前がどんなに失敗しても、どんなに世界中に嫌われても、僕だけはお前の味方だ。……約束する」


凛は、僕のシャツの裾をギュッと握りしめたまま、また小さな涙を零した。


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