奪われた「体」
モニターの中で、見慣れたアバターが、聞き慣れない声で笑っている。
おっとりとした気品のある所作。凛が半年かけて、少しずつ指先の動きまで調整してきたその「ガワ」が、今は見知らぬ誰かの操り人形に成り下がっていた。
「ひどい……あんなの、私じゃない……」
凛は画面を直視できず、僕の腕の中で顔を覆った。
事務所にとって、タレントは代替可能なパーツに過ぎない。けれど、凛にとっては、あのプラチナブロンドの少女は、もう一人の自分そのものだったのだ。
追い打ちをかけるように、新しい「聖女」の初配信予定が告知された。
そこには、凛が一度も使ったことのない冷徹なコピーが躍っていた。
『前任者の未熟な振る舞いを、完璧な聖女が浄化いたします』。
「……汚されてる。私の思い出も、リスナーさんと作った時間も、全部……」
スマホのバイブ音が、静まり返った部屋に響く。
ベランダの下でこちらを見上げていた皇レイからの、二通目のメッセージだ。
『事務所は「結城凛」というブランドを完全に破壊し、リセットするつもりだ。君たちが昨日やったような“素顔の配信”なんて、巨大な資本の前では一瞬でかき消される。……助けが必要じゃないか?』
「……陽太、どうするの。この人、信じていいの?」
「正直、わからない。でも、現状を変える手段を僕たちは持ってない」
僕は皇レイに『話を聞こう。ただし、凛には指一本触れさせない』と返信した。
数分後、彼は僕の家の裏口に現れた。アバターの「王子様」とは違い、現実の彼はひどく冷めた目をしている。
「……単刀直入に言おう。俺も、あの事務所のやり方には反吐が出るんだ。……凛さん、君が捨てたのはガワだけじゃない。あのキャラに関連するすべての商標と権利だ。今の君が『本物です』と言ったところで、法的にはあっちが本物なんだよ」
皇レイはポケットから一枚のUSBメモリを取り出した。
「これには、現運営が隠蔽している『二代目』の不祥事と、前任者――つまり君に対する不当な契約解除の証拠が入っている。俺が表立って動くわけにはいかないが、裏方の君なら、これを有効に使えるだろ?」
皇レイが去った後、僕たちはUSBの中身を確認した。
そこには、事務所が「二代目」として用意していた新人の裏アカウントでの暴言や、凛を辞めさせるために仕組まれた会議の録音データが含まれていた。
「陽太、これを使えば……あっちを潰せるの?」
「潰せる。でも、それと同時に、凛がVtuberだったっていう証拠を、一生消えない形で世間に晒すことになる。……本当にいいのか?」
凛は、自分の震える手を見つめた。
学校からは停学。事務所からは追放。失うものは、もう自分の名前以外に何も残っていない。
「……いいよ。私、偽物の聖女が、私のふりをして笑ってるのが一番耐えられない。……汚い手を使ってでも、私、私の場所を取り戻したい」
彼女の瞳に、初めて「聖女」ではない、復讐者としての冷たく鋭い光が宿った。
その夜。
二代目「聖女」の初配信が始まった。
同時視聴者数は数万人。事務所が広告費を注ぎ込み、祝福のコメントで埋め尽くされている。
その盛り上がりが最高潮に達した瞬間、僕は凛の新しい、フォロワー数千人の弱小アカウントで、一つの動画を投稿した。
タイトルは――『偽りの聖女へ、本物の私からの遺言』。
「陽太……いくよ」
「ああ、……ぶち壊してやろう、凛」
僕がエンターキーを叩くと同時に、二代目の配信チャット欄に異変が起きた。
僕たちが流した「真実の録音」と「裏アカウントの証拠」へのリンクが、用意していたボットによって一斉に拡散され始めたのだ。
画面の中の二代目が、異変に気づいて表情を凍らせる。
その不細工な動揺こそが、凛が決して見せなかった「人間」の顔だった。
「……皆様、ごきげんよう」
凛が、暗闇の配信画面で口を開く。
今度は、偽物の気品ではなく、地を這うような静かな怒りを込めて。
「……わたくしの名前を騙る泥棒さんに、本当の『聖女』を教えて差し上げますわ」
僕たちの「停学期間」は、もはやただの休止期間ではなかった。
それは、偽りの世界を焼き尽くすための、逆襲の準備期間へと変わった。
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