六話
「……あぁ、やっぱり縁ちゃんだ」
縁が答えられないでいるのに、彼女は気にした様子もなく小走りで距離をつめてくる。
そして――。
「会いたかった、縁ちゃん……!」
なんのためらいもなく、縁に抱きついてきた。
「はぁ!?」
驚いたのは縁だ。最初の印象は、落ち着いた雰囲気の和装美人だったが、異性にとんちゃくせず抱きついてきて、さらには至近距離で見上げてくるその姿はどこかあどけない。
「ちょ、離れて……! え? どちら様?」
すると、女は拗ねた子どものように唇をとがらせた。
「もう、忘れちゃったの? 朝灯だよ」
「あ、あさひ、さん?」
「なぁに、その呼びかた。変なの。昔は、朝ちゃんって呼んでたじゃない」
「昔? いや、人違い――その前に、ちょっと離れて……」
だが、朝灯は「どうして?」と不思議そうに首をかしげる。
「だって、やっと会えたのに。私、ずーっと縁ちゃんを待ってたんだよ。中に入るんでしょう? それなら、一緒に行こう」
一方的に話を進めると、朝灯はやっと縁から体を離した。
だが、彼女の手は縁の手をしっかりと握っている。
そして朝灯は何の躊躇もなく石門をくぐった。
この堂々とした様子から、間違いなくこの家の住人だとは思うが……。
(なんで、俺を知ってるんだ?)
尋ねようと思ったところ、かーんかーんと鐘の音が響いた。すると、朝灯は次の門をくぐったところで足を止めた。
じっとどこかを見つめていたかと思うと、ふぅとため息をつく。
「……ごめんね、縁ちゃん。わたし、行かないと。……あのね、ここは一の門だから、真っ直ぐ歩いて次の門まで行くといいよ。色んな建物があるけれど、真っ直ぐね? 門のところで声をかけたら誰かかしら出てくるから。それじゃあ――また後でね、縁ちゃん」
ぎゅっと一度だけ手を強く握られて、縁が混乱している間に朝灯は小走りで去っていく。
我に返った縁は、辺りを見回した。朝灯が言ったとおり、倉や離れた所に平屋が見えた。
荒れているようには見えないので、今でも誰かが使っているのか、よく手入れされているのだろう。
真っ直ぐと言われたので前を見れば、離れたところに木造の門構えが見えた。あれが次の門かと、足を進める。
(一般家庭とは思えない敷地面積だな……――いや、一般家庭じゃないのか)
そんなことを考えつつ到着した門。やはりインターホンは見あたらない。
縁は朝灯に言われたとおり声をかけた。
「すみません」
一分も待たず、割烹着姿の年配女性が顔を見せた。
この近くにいたのだろう彼女は、縁の姿を認めると上から下までジロジロとながめ回す。
そして、嫌そうな表情で口を開いた。
「お外のかたでしょう? ここは立ち入り禁止でございますよ?」
「え?」
「こんなところまでかえり様を追いかけてくるなんて、その他者を出し抜きたいという卑しい心は穢れですよ」
また、かえり様。
間家が鉤路の話に出てくる伝承者とやらの一族で、かえり様という神子的な人物を擁しているのは確定だった。
島民が、間家とかえり様を敬っているのだろう様子がうかがえるが、同時にお外のかたという呼び名や、道を聞いた島民たちの態度などから、島の外から来た者をよく思っていないことも伝わってきた。
それというのも、かえり様に会いに来たと思われているからだ。
ここに来るまでに見てきた建物は、外から来たお客さんを留め置くためのものだったのかもしれない。
そして、都合を考えずかえり様とやらを追いかけて、我先に奇跡にあやかろうとしている者がいる――いわゆる迷惑客が存在し、自分はそれと勘違いされている。
縁はそう推測し、慌てて用件を口にしようとしたのだが……。
「いえ、俺は……」
「言い訳は結構! 本当に、お外のかたは穢らわしい」
女の顔が、さらに不愉快そうに歪む。
「あなたがたがうろついていいのは、この門より外側までと言われているはずですよ」
「いえ、違います。俺が会いたいのは、間 仁一朗さんです!」
話も聞かず追い払いそうな様子に、縁は僅かばかり声を大きくした。
すると、女は一瞬口をつぐんだ。
「……旦那様にお会いしたいと? あなたが?」
「そうです」
「はぁ……」
お前のような者が会えるわけがないだろうという、小馬鹿にした笑い。
それが分からないわけではなかったが、縁はつとめて冷静に、取り次ぎを頼んだ。
「まぁ、無駄だと思いますけど……どちらさんで?」
「有沢です。仁一朗さんから手紙をいただいています。有沢 縁が来たと伝えていただければ」
「有沢ぁ?」
名乗った瞬間、粘つくような声。
しわの刻まれた顔に、隠すことなく侮蔑を浮かべた老女は「あの阿婆擦れの」と吐き捨てた。
「……なにか? こちらの間 仁一朗さんに呼ばれたのは事実ですが?」
縁のなかで不快度数が上がる。気をつけて顔には出さないようにひたすらかしこまった表情を作り、自分に届いた手紙の封筒を見せる。
「……はぁ、これはこれは……。かしこまりました、少々こちらでお待ちください」
旦那様に確認してくると言って女は踵を返す。
「……まったく、この忙しいときに、どうしていまさらあの阿婆擦れの子が」
独り言のつもりだったのか、あるいは聞かせるつもりの嫌味だったのか――老女が吐き捨てた言葉は縁の耳にもしっかり届いていた。
チリリと、頭の片隅に焼け付くような痛みが走った。
『我らはカミツナギの一族だぞ! それなのに貴様は外に逃げ出したばかりか、そんな阿婆擦れとの間に子を成していたというのか!』
ふと耳の奥で蘇った声。
不快感で脳みそを引っかかれるような、嫌な感覚。
「――っ」
縁はハッとして顔を上げるも、当然そばには誰もいない。
幻聴……いや、忘れたとばかり思っていた記憶か。
(そういえば、そういう家だった)
自分たちは選ばれた一族、由緒正しき一族、そんな意識が強い人たちだった。特に、間 仁一朗――この家の当主であり、縁の祖父にあたる男は、それが顕著で……島の外の女と勝手に結婚し、子どもまでもうけた父に腹を立てていた。当然、交流などあるはずもない。
それなのに、あの夏、この島に家族を連れて来たわけは――。
(あの時は、そうだ……父さんの母親が亡くなったからって――それで……)
母親の死を知って、父は糸布座島に戻ることを決めたのだ。せめて、墓に手を合わせたいと思ったのだろう。
だが……まさか、時代錯誤なじいさんが支配する性悪屋敷だなんて思わなくて、家族三人でノコノコやって来てしまったのだ。
まぁ、最悪な記憶だ。だからこそ、記憶の隅に追いやっていたのだ。
(あの人のおかげ……っていうか、あの人のせいで思い出した。最悪だ)
有沢という名前に反応したところを見ると、十四年前もこの家で働いていたのだろう。広大な敷地や島民の態度から分かるように、間家は当時からかなりの金持ちだった。
使用人と呼ぶ人たちを大勢雇っていた。あの年配女性は、以前縁たちがこの屋敷を訪れたときのことを覚えていたのだ。
そしてその時、母がなんと罵られたかも。
だから、わざわざ口に出したのか。
(有沢でピンとくるのも怖いし、わざわざ罵り文句を覚えてて口に出すのも気持ち悪い……。この様子じゃ、まともな取り次ぎも期待できないな)
門前払いをくらいそうだ。
「……呼んだのは向こうなんだけどな……」
縁はぽつりと呟いて空を仰いだ。
だが――と思う。
あれだけ嫌っていたのに、今になって連絡してきたのはなぜか。
手紙に書いてある用件ならば、それこそ本人名義でまだるっこしい手紙を出すよりも弁護士などの専門家から連絡してもらったほうが手っ取り早いはず。
(……間 仁一朗が、俺を呼んだんだよな?)
今になって、一抹の不安を覚えた縁の元に、嫌みったらしい笑みを浮かべたあの老女が戻ってきたのはそれからさらに十分以上経過してからだった。




