四十八話
糸布狭島の一件は、驚くことにニュースになっていなかった。
縁が調べたのはあの島から帰還して何日も過ぎた後だったが――小さな島のことなど、ネットのどこにも書かれていなかった。
まるで、初めからなにごともなかったかのように。
けれども、あれは現実だったと縁は知っている。
――船の中で、縁はあの夫婦と再会し、謝罪された。特に、妻である春菜はなんども謝ってきた。夫である颯太は怪我をしていたものの、春菜の攻撃性がなくなっており、寄り添うふたりの表情は憑き物が落ちたように見えた。
春菜は死んでしまった我が子に、どうしても会いたかったらしい。
帰ってくると言われて、もうそれしか考えられなかったと――与えられたあの石は、たくさんの恨みを吸ったものだ。
それを、子どもを思う母親に与え大切に慈しませたのは……囚われ癒やされることのない悲しみや痛みを、ほんの少しでも紛らわせたいと願ったゆえの行動だったのか……それとも、いいように操るためだったのかは、分からない。
縁には想像しかできないが、感情的に泣き叫んだあの異形を思えば……もしかしたら、前者だったのかもしれないな、と思った。
船が本土に到着すると、それぞれ複数ある指定の病院に運ばれるということで、夫婦とはそれっきりになった。他にも船に乗っている人たちは念のための検査ということでいくつかの病院に回されていた。縁もそのひとりで、灯夜ともそこでお別れとなった。
幸いどこも異常はなかったが、入院中に浅利が顔を見せたことが意外と言えば意外だった。特に関わりがない相手だったからだが――彼女は、自分をしがない公僕と称し、灯夜も元気であることを伝えてくれた。
そのついでか、世間話と前置きして他の情報も教えてくれた。
たとえば、糸布狭島のこと。
『かえり様という存在は、人々に忘れられるだろう。そしてあの島も、いずれ沈む』
あそこは神の力で無理矢理支えられていた島で、今すぐというわけにはいかないが年月をかけて海の底に消えるだろうという話だ。
元々、そうなるはずだったのを、大昔、たまたま異能を持つ人間が島に現れ、島の人々から神と崇められる存在に目をつけた。島民の命を盾にして、その人間は神と呼ばれていた存在を島の底に封じ込めた。
そして、神の力も漏れ出る加護もいいようにして、島の支配者となった。
『これが、あの島の……カミツナギと呼ばれる一族のなりたちだ。神を食って力を手に入れ、神を語る――それが一族の悲願だったが……いつしかそれは呪いに変わったんだろうな。結局、積み重なった恨みが神如き力を振るい、神を騙って……島の全てを呪い尽くした』
『……そう、ですか』
『あぁ、それと……間 琴絵に関しては、残念だった』
突然出てきたのは、縁にとっては馴染みが浅い人物の名前だった。
『え?』
『えっ、て……。アイツから聞いてないか? 間 琴絵は、民間の協力者だったんだが……』
『あの人が?』
『――間 琴絵は、仁一朗の亡き妻である百合絵の連れ子だった。百合絵が亡くなってから、間という家の在り方に思うところがあったんだろう。灯夜を外に出したのも、彼女だった』
思い返せば、琴絵は縁にはやく島を出て行くように言っていた。
最期の、あの時も――。
『それに、お前にとっては祖母にあたるだろう』
『――は?』
物思いにふけっていた縁を引き戻したのは、浅利の発言だった。聞き間違えかと縁が怪訝な顔をすると、浅利はぎょっとして――それから、口元を抑えた。
『……失言だった、忘れろ』
『忘れろって、でも……』
『忘れろ。時間をとらせて悪かった。これからまた、診察があるんだろう』
『えっ……はい。これでなんともなければ、退院だと』
『そうか。無事に戻れるように、祈っているよ』
含みのある言葉だ。
だが、縁がなにか質問を口にする前に、浅利がドアの前で振り返った。
『そういえば、知っていたかな』
『……なにをですか?』
『青は、カミサマの色なんだそうだ』
『…………』
それだけ言うと、浅利は部屋を出ていって――縁はすぐに診察を受けて退院することになった。正直、最後の診察で目の前で何度か光をピカピカと照射されたのには辟易したが。
そして、縁は元の生活に戻り、あの島での一件から二ヶ月が経つころには以前の生活を取り戻していた。
ただ、一度だけ。
彼ら名前を検索したことがある。
それはあの島に行く船で知り合った者たちの名前だが――出てこなかった。
著名人というわけでもないだろうから仕方がないことだが……かえり様に関する情報も、そんな人がいるという形から、そんな人がいたという形へと……変わっていた。
そして、当初は動画配信者を名乗っていたあの男の名前も、どこにもなかった。ベイ・サイダーなる配信者を、縁は広大なネットの海では見つけられなかった。
そしてなにも見つけられなかったことを、縁は区切りにした。
もうどうしたって、自分では知りようがない――そうすると、自然と普段の生活に戻るようになったのだ。
縁の手元に、あの島との繋がりを思い起こすものはなにもない。送られてきた手紙も、あの島に置いてきた。
気がかりだった父は――きっと、青い鳥が連れて行ってくれた。それなら、今頃母に会えているはず。
だから、ここで区切り。
縁はそう決めて過ごした。
あの夏の出来事は、今ではもう遠い夢のようになっていた。




