三十九話
真っ赤に染まった女が、立っていた。
着物は血で汚れ、ぐっしょりと濡れており、あちこちになにかの欠片が飛び散っている。
凄惨なかっこうの彼女の首元には赤い石が輝いていた。
縁には見覚えがあった。
仁一朗がつけていたものだ。
それを、彼女が持っていると言うことは――そういうことだろう。
女は、縁が赤い石を見ていることに気付くと、微笑む。
「これ、綺麗よね。命の色なのよ。これは欠片だけど、社の石にはもっともっとたくさんの命が入ってる。でもね……アレを壊したら、支えがなくなっちゃうわよ? 縁ちゃんは、それでもいいの? 支えがないと、この島がなくなっちゃうわ!」
いいの? と子どものように無邪気に訪ねてくる彼女に、縁は頷いた。
「それが、約束だ」
「ふふ、うふふふ」
女は縁の答えを聞くと、嬉しそうに笑い声を上げた。
「やっぱり……やっぱりそう! 縁ちゃんなんだ! ねぇ、約束を覚えていてくれたのね? ここから、連れ出してくれるって! わたし、ずっとずっと待ってたの! 来てくれるって、信じて待ってたの!」
「――っ」
怒るかと思いきや、彼女は心の底から喜んでいるようだった。
「でも、ちょっと待っててね。まだ、もっと、遊ばないと」
「……え?」
「生きてる命で、遊ばないと。今までの分、全部」
深海のような青の目が、暗く鈍い光を宿している。
唇がつり上がり、嗜虐的な笑みを浮かべた彼女に対し、顔をしかめたのは灯夜だった。
「うわ、終わってるわ。つーか、お前。その格好はなんだよ、きたねぇな」
言葉こそ気安いが、態度はかたく、警戒していることが明らかだった。
けれど、相手はそんなこと気にも留めず小首を傾げる。
「あれ? ずいぶんな挨拶だね、お兄ちゃん」
「その呼び方、マジ気持ち悪い」
近くに立つとやはり面立ちが似通っている双子だ――その姿形だけは。
だが、アサヒの姿は真っ赤に染まっていて灯夜は明らかに警戒を滲ませている。
「わたしだって、一度は着替えたのよ。きれいなかっこうで、縁ちゃんに会いたいじゃない。それなのに、それなのにねぇ? ひどいの! 役立たずばかりなのよ! あの母親も、信者たちも、お祖父様だって。そう、お祖父様! 死にたくないって言うから、せっかく縁ちゃんのお父さんと混ぜてあげたのに、きれいに混ざらないの! だから中身を食べさせて、これでよくなったと思ったのに、縁ちゃんを連れてこられないんだもん! 役立たずもいいところ! そう、そうなの! この島のものは全部役立たず、全部汚い、全部いらない! 全部、全部、ぜーーんぶっ!!」
地団駄を踏んで叫んだかと思うと、アサヒはパッと縁のほうを向いて笑みを浮かべた。血がこびりついた顔で。
「だから、全部壊してやろうと思って」
「は?」
「でもね、ちょっと待ってね、縁ちゃん。屋敷だけじゃない、島の人間も全部、もっと苦しめてやらないと。わたしたちが受けた苦痛にはまだまだ全然足りないの――」
アサヒの体が真っ赤なのは――。
ぼとり、と着物の袖口からなにかかがおちた。
それは、人間の手だった。
それだけではない、ぼとぼとと、袖口から血にまみれた肉片や臓物が落ちてくる。
そして最後に、ぞろりとのぞいたのは人の頭。これは、アサヒの腕から生えたものだった。
なにを食べていたのかは明白で、口の周りを真っ赤にしていまだにぬちゃぬちゃと咀嚼している。
「化け物……!」
灯夜が吐き捨てると、アサヒは笑った。つり上がった唇の両端が、そのままメリメリと切れ目は耳まで広がって、そこからウネウネとした小さな腕のような触手が何本も生える。体のあちこちから、似たような触手が生えていた。先端は頭そのものだったり、口だけだったり目だったり、あるいはなにもなかったり――様々な形状をしている。
アサヒの体は、異形と呼ぶベきものに変化していた。
変わらないのはあの暗く深い青目だけだが、双眸は爛々と輝き危うさを孕んでいる。
「幻想を、安寧を、幸福を、そしてそれを踏みにじるほどの苦痛を。穢れた命を輝かせるための飴と鞭を、もっとたくさん与えてあげるのよ? わたしたちがそうされたように。かえしてあげましょうよ。みんな、きっと喜んで受け入れるでしょう、だって自分たちに返ってきただけなんだから!」
「……きみは、誰だ」
「縁ちゃん? なに言ってるの? また忘れちゃった? 朝灯だよ」
「違う」
「違わないよ? 朝灯だもの」
縁が否定すると、異形の声が悲しみを帯びた。いやいやと首を振るように、無数の触手を蠢かせる。
「きみは、違う」
「違わないよ! かえってきたの。かえってきただけ! 縁ちゃんだってそうでしょう? わたし、覚えてるのもの! 目を開けたら、縁ちゃんがいたの。わたしの手を握っていてくれたの! 憎くて寒くてつらくて……でも、縁ちゃんは温かくて……だから、かえしてあげないとって……――あれ?」
思い出すように語っていた異形だったが、なにか引っかかりを感じたのか、言葉が途切れてしまう。
「十四年前、儀式とか抜かしたじーさんに、朝灯は殺されてる。……首を切られて生きてるわけないだろうが!」
「逃げた奴は黙ってて! ――助けてくれなかったくせに! 見捨てたくせに!」
「あぁ、そうだよ! オレは朝灯も縁も叔父さんも、みんな見捨てて逃げた臆病者だ! でもな、だからこそ分かることもあるんだ。お前は、朝灯じゃない。ガワを使ってるだけだ! アイツの中に一番強く残ってた、たったひとりの友だちとの記憶を見て、知った気になって執着している、別のなにかだろうが!」
――違う!!
その叫びは、いくつもの口から放たれた。
「違う、違う、違う! わたしはアサヒだもの! 縁ちゃんが会いに来てくれた。ここから連れて行ってくれるって――ここから逃げて、一緒になろうって……――島を捨てて……――さらって逃げて……――駆け落ちしよう……――幸せに幸せに幸せに」
数ある口から、好き勝手な言葉が飛び出す。まるでなにかを思い出すように、口は勝手に記憶を語る。
「縁ちゃんあなたお前あんたおいきみなぁよすがちゃんねぇよすがちゃんよすがちゃんよすが――」
異形がぞわりと動き出し縁に近づいた。
壊れたように呼びかけを繰り返すそれに、縁は手を差し伸べる。
「ぁ」
触手がざわめきを止めた。
「――――」
無数の触手が、差し伸べられた縁の手に我先にと群がるように集まる。
「縁……!」
肉の壁に覆われて見えなくなった縁に向かって、灯夜が声を張り上げた。
それとほぼ同時に、声が響いた。
――縁ちゃん!
それは、たしかに、澄んだ少女の声だった。




