三十五話 灯夜④
幾重にも重なる声が、社を中心に広がっていく。
その声に呼応するように地面が激しく揺れ、空が真っ黒くなり風が吹き荒れ始めた。
それは島で暮らしてきた灯夜が、初めて目にする異変だった。
原因があの社にあるのは明らか。けれどギリギリで繋いでいた心の糸がぷつりと切れてしまった灯夜は、社に背を向ける。
何度も転び、土に汚れ、とうとう激しい雨が降り始める頃に、灯夜は屋敷に帰り着いた。
母は、汚れた灯夜を見て「寒かったでしょう、お風呂に入りなさい」と微笑んだ。そんな母に、灯夜は朝灯のことを話したが――「あの子はお役目を果たしたの」と、話を打ち切られた。
その一言で灯夜は悟った。
知っていたのだと。
もうひとりの伯父は、まるで隠れるように姿を見せない。その家族は、島の祭に出かけているはずだ。
伯母は――いつものように、へらへらと笑って……いなかった。
「……灯夜、ひとりなの?」
そう問いかけた伯母の顔は、真っ青で……こんなに真剣な表情をしている伯母を、灯夜は初めて見た。
その剣幕に萎縮し答えられないでいると、母に抱きしめられる。
「あの子はお役目を果たしたの。これで、私たちの安泰は約束される。母さんは平気よ、だって灯夜がいるもの。……そのために、双子に印が現れるんだものね」
灯夜はゾッとして母を見上げたが、母は笑うだけ。
――ここは、おかしい。
――ここは、異常だ。
そう、思ったけれど。
「お願い、通して! 聞きたいことがあるの!」
「ですから、お部屋にいて下さいと……!」
言い争う声に、母が眉をひそめる。
「なんの騒ぎ?」
「あぁ、絹花さん……! 灯夜くんが帰ってきたって聞いて」
「余所者である貴方になんの関係が?」
「縁は? うちの子は一緒じゃありませんでした……!?」
――止める使用人を振り払うようにして近づいてきたのは縁の母だった。
「ねぇ、灯夜くん! 縁を知らない!? あの子も、うちの人も、どこにもいなくて」
「――っ」
「やめて下さい。間の子は七つまでは神に近しい清らかな存在なのです。余所の穢れがうつったらどうするのですか」
「だから、縁のことを聞きたいだけで……!」
必死に言い募る縁の母親の顔を見ていられず、灯夜は自分があの場所から逃げ出してきた罪悪感から目をそらす。
その時、あのふたりが現れたのだ。
「その穢れを早く片付けろ」
一体、いつ戻っていたのか。祖父が何食わぬ顔で屋敷の奥から出てきて居丈高に指示を出す。
「待って下さい、お義父さん! 篤志さんと縁を見ませんでしたか!?」
「貴様なんぞに義父などと呼ばれる筋合いはないわ! 篤志を誑かせたからといって、間の家に入れると思い上がるなよ! ――まったく、篤志も島の外になんぞ行かなければ、こんな淫売に誑かされることなどなかったのに……! 気分が悪い!」
「まぁまぁ、親父……。えーと……篤志の嫁さん? ふたりのことは知らないな。お山は立ち入り禁止だし、こっち側には来てないと思うぜ。祭にでも行ったんじゃないか?」
数馬が言って、祖父がにたりと顔を歪めた。母もおかしそうに口元を隠して笑い出す。
そして、縁の母はずるずると使用人たちに引きずられ――。
風が一際強く吹き荒れ、雨が激しさを増し――地面が大きく揺れた。
島を大きくかき混ぜるように、ぐるりと回るように揺れたかと思うと地鳴りのような音がした。
「大変です旦那様!」
土砂崩れが起きたという報告が入り、祖父の顔が青ざめた。
「……バカな、儀式は完璧だったはず……」
「旦那様!」
「今度は、なんだ……!」
「神子様が……神子様が土砂と共にこちらに……! その、お外のかたを連れて……」
祖父は青い顔のままかたまり、数馬も絶句したまま動かない、そして母は「うそ」と小さく呟いてその場にへたり込み――使用人に引きずられる途中だった縁の母が、一番に反応する。
「どこ!?」
「え?」
「どこにいるの!」
報告に来た使用人は、その迫力に気圧されたのか離れにいると口走った。それを聞くなり、灯夜は走り出す。
縁の母は、その後を追うようについてきた。
嵐のような酷い天候の中、彼女はしっかりした足取りでそこに立っていた。
真っ白な顔色で、体中に無数の傷があり――白い装束を真っ赤に染めて、立っていた。
追いついてきた大人たちが、息を呑む。
「お前、朝灯か……?」
祖父が問いかけると、それはにこりと笑った。
「ええ、お祖父様。わたし、かえってきたのよ? ――ねぇ、嬉しい?」
朝灯の返事を聞いた祖父は、ひくっと喉をならし――それから、相好を崩した。
「そうか……! そうか! やった、やったぞ! ついにやった! 偉業を成し遂げたんだ!」
縁の母は、朝灯のすぐそばで倒れている縁を抱きしめると異様な風体の朝灯と狂喜狂乱している祖父を見比べ――朝灯に「大丈夫なの?」と声をかけた。
朝灯はにこりと微笑むと、縁の母に何事かを耳打ちする。
次の瞬間、縁の母は息子を抱きしめたまま朝灯から距離をとった。
異常なものを見るような目で朝灯を、そして祖父を見て……彼女は、逃げる様にその場を離れて――朝灯の帰還と共に嵐が止むと、逃げる様に島を出て行った。
それを聞いたとき、朝灯はつまらなそうに唇を尖らせ――。
「あれ、あの人縁ちゃんも連れて行っちゃったの? せっかく、もう少し待っていたら旦那さんを作ってあげるねって言ったのに」
「……は?」
「旦那さん、篤志叔父さんを作ってあげようって。だって、前のは壊れちゃったでしょ? だから新しいのをプレゼントしようと思ったの。それなら、縁ちゃんがいなくても寂しくないでしょ?」
「なんだ、それ」
「縁ちゃんはわたしがもらうから。そしたら、あの人ひとりになるじゃない。ひとりは寂しいでしょ?」
会話が成立しているようで、噛み合っていない。
それまでは、だいたい妹のことは理解出来た。
けれど、今の彼女は……傷痕が無数に残る体で、以前よりもさらに上等の着物を身につける彼女のことは、なにも分からない。
「船だってわたしがお願いしたのになぁ。ありがとうもないんだ」
「船を?」
「そうだよ。夜中にお話ししてね、ここは余所から来た人には居心地が悪いところだから、家がゴタゴタしている間に出て行ったほうがいいよって。琴絵伯母さんにお願いして最速のチケット取ってもらったの。頼んだのはひとり分だったんだけど……伯母さんうっかりしたのかな?」
「……朝灯」
「うん? なぁに?」
「お前、朝灯だよな?」
灯夜の呼びかけに、それはニタリと唇の端をつり上げ笑った。
「うん、そうだよ。変なお兄ちゃん」
自分を見つめ返す青い目は、ぎらぎらと暗く輝いているように思えた。
たくさんの負の感情を混ぜ込んだように、刺すように鋭くきつく、ギラギラと。
――逃げた代償は、重かった。
それでも自分が背負わねばならないのだと灯夜が覚悟を決めたのは、それからほどなくしてだった。




