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三十二話 灯夜①


 間 灯夜が、その子どもと会ったのは夏のある日だった。


 いつも通り、離れに住まう双子の妹に「おもしろい話」を教えに行く途中のこと。立ち入り禁止のはずの離れの敷地で、所在なさげにぷらぷらしている姿を見たのが最初だ。


 子どもは、離れをぐるりと囲む林とそこから続く山に興味を示したのか、とことこと歩いて行く。山に立ち入るには、当主である祖父の許可が必要だ。そして、山を神聖な場所としてとらえている祖父は、絶対に許可を出さないことも知っている。


「おい、お山にはじーさんの許可がないと入っちゃいけないんだぞ」

 

 ――思わず声をかけたのは、見知らぬ子どもへの警戒心と、少しの好奇心を刺激されたからだった。


「え?」

「お前、誰だ? 離れだって、本当は立ち入り禁止なんだぞ」

「え、と」


 のしのしと近づいていくと、相手は困ったように眉尻を下げた。

 矢継ぎ早の質問に戸惑っていたのだと今なら気付けたが、この時の灯夜は大人びた口の利きかたをするとはいえ、まだ七歳。そこまでの機微は分からなかった。


「おい、聞いてるのか」


 だから、無視されたのかと焦れてちょっと肩を小突いたら――相手はそのままぺたんと尻餅をついてしまった。


 まさか、そんな風に簡単に倒れるとも思ってなかった灯夜は驚いた。だが、相手は灯夜以上にびっくりしたようで、大きくまん丸になった目に驚いたように見上げられ……今度は、灯夜がしどろもどろになる番だった。


「……」

「……」


 双方が無言で見つめ合うという、灯夜にとっては緊張感のある時間が流れた。それは、本来とても短かったのだろうが、この時の灯夜には長い時間のように思えた。

 少なくとも、灯夜は自分から相手になにを言っていいのか分からずにいたからだ。


「え、えと」

「……お、おう」


 だから、相手が沈黙を破ってくれたことに内心感謝した。


「入っちゃいけないって、知らなくて。ごめんなさい」


 そして、相手が泣いたり怒ったりせず、また過度にへりくだった様子もなく――自然な態度で謝ってきたことに驚いた。


「わ、分かればいいんだ」


 だが、口をついて出たのはえらそうな言葉。

 こんな強い口調では、もうそれ以上会話が続くはずもない。


「すぐに出て行くね」

「ぇ……ぁ……ま、待て……!」


 引き止めたが、次の言葉が出て来ない。

 島にいる子どもたちは、灯夜がなにも言わなくても一方的に話しているのが常だった。だから、これまでは自分が会話の切っ掛けを作ることなどなかった灯夜は、呼び止めたもののなにを言えばいいのか分からず焦った。


 助け船が出されたのは、いよいよ焦りが最高潮に達して泣きたくなってきた時だった。


「灯夜、遅い!」


 高い声がして、自分と背丈の変わらない双子の妹が駆け寄ってきた。

 妹は近くまで来ると、見知らぬ存在に気がついたのか足をとめる。


「だぁれ?」

「知らない奴。勝手に入ってたから注意した」

「そうなの? ねぇ、この島の子? 遊びに来てくれたの? お名前はなんて言うの?」


 危うく泣きそうになっていたことを誤魔化すようにわざとツンケンした口調で言った灯夜の答えに、妹は青い目をきらきら輝かせる。

 そして、知らない子どもに対して矢継ぎ早に質問を浴びせた。


「えぇと……島の子じゃないです。ここには、お父さんの親戚に会いに、家族で来ました。名前は、有沢 縁です」


 灯夜はようやく、見慣れぬ子どもの招待が分かった。


「なんだ、使用人たちが話してた、外からじーさんに会いに来た余所者ってお前のことだったのか。今さらオクサマの墓参りに来たのかって、古参面のばーさんが言い回ってたぞ」

「ちょっと待って灯夜。……お父さんの親戚に会いに来たって……」

「そう。えっと、お父さんのお父さん……お祖父ちゃんに」


 珍しい来訪者の情報を握っており妹に教えてやろうと思っていた灯夜は、合点がいったと頷いたが、なにも知らされない妹はそうではなかった。さらに好奇心を刺激されたようで、灯夜を押しのけるように身を乗り出すとさらに質問を重ね――それから、祖父という言葉を聞くとパンと両手を合わせて嬉しそうな声を上げた。


「それじゃあ、ボクたちイトコ同士なんだね! すごい! お外にイトコがいたなんて! 初めまして、ボクは間 朝灯! 病気で外に出ちゃダメって言われてて……だから、お外のお話を聞かせてくれたら嬉しいな!」

「え、あ……」

「ダメ?」

「ダメじゃない。いいよ、うん」

「本当? 嬉しい! ありがとう、縁ちゃん! 島の子は、みんなボクとはお話ししてくれないから……灯夜以外の子とお話するのは、初めてなんだ!」


 妹は――朝灯は、はしゃいだ様子で相手の手を握ると飛び跳ねる。

 

「おい、朝灯! お前、勝手に知らない奴に会ったらダメだってじーさんが」

「知らない人じゃない。縁ちゃんだもん。それに、イトコならいいでしょ? だって、伯父さんちの子どもは、ここに近づいちゃダメって言われてないじゃない――ただ、近づかないだけでさ」


 ふん、と拗ねたように唇を尖らせる朝灯。

 

「ね、縁ちゃん。灯夜の言うことなんか気にしないでね?」

「え……と……」

「……もう! 灯夜のせい! 灯夜が変なこというから!」


 縁が戸惑った様子を見せると、朝灯は灯夜をにらみプクーと頬をふくらませた。かと思えば、えいっと灯夜の足を蹴ってくる。


「いたっ、蹴るなよ! 分かった、もう、好きにすればいいだろ!」

「灯夜、偉そう!」

「僕が兄なんだから、偉いんだよ!」

「双子なんだから、たいしてかわんないよ!」


 灯夜も蹴り返して応戦したせいで、小競り合いが発生しようとしていた。

 

「あ、あの、ふたりともケンカは……」


 オロオロとした縁が仲裁しようとして二人に声をかけ……・


「うるさい!」

「下がってて!」

「わっ……」


 振り払われて、転んでしまう。

 まず、ハッと我に返ったのは朝灯だった。

 元々、気の優しい朝灯はすぐに「しまった」という顔になりしゃがみ込む。


「ご、ごめんね縁ちゃん……! 痛くした?」

「ううん、平気」

「でも……服が汚れて……」

「あ、それはさっき転んじゃったから」


 一瞬、小突いて転ばせたことを言われるかと思った灯夜だったが縁は笑顔で「大丈夫」としか言わなかった。

 だが、双子の妹にはバレていたようでジロリとにらまれる。さすがにバツが悪くなる灯夜だが、縁はにこにこと笑って立ち上がると言った。


「ケンカが終わってよかった」


 ほんわかしたその表情は、初めて見る類の笑顔だった。

 家の人間はみんなどこか張り詰めた表情をしているし、島の大人は腫れ物扱い、子どもたちだってご機嫌取りをするだけで灯夜と本当に親しくなりたいとは思っていない。


 朝灯にいたっては、生まれ持った青い目のせいで神子という特別を押しつけられている身だ。祖父から穢れに弱い身だからと言われ……病弱を理由に屋敷の外には出られないため、灯夜よりもさらに接する人間が限定されている――この屋敷の、限られた人間だけだ。


 だから、灯夜が抱いた感情は朝灯の抱いたものでもあった。ふたりはしばし、にこにこ笑う縁を見つめていた。


「えっと……じっと見て、どうしたの? おれの顔、なにか変?」

「変じゃないよ! かわいいよ!」


 人と接する機会が少ない朝灯は身を乗り出してフォローにならない言葉を口にする。案の定、縁は少し困惑した顔になり――それから、おずおずと口を開いた。

 

「かわいいって……それはきみ……えっと……朝灯ちゃんでしょ」

「わー!」


 名前を呼ばれたからか、それとも褒められたからか。朝灯は嬉しそうに歓声を上げ、頬を染めた。縁も、照れたようにほんのり顔を赤くしている。

 なんだか仲間外れの気分に、灯夜は「なんだよ」とぼやく。


「そういうの、お世辞っていうんだろ?」

 

 そして、ついつい余計なことを口にしてしまう。すると案の定、朝灯がまたぷくーっとフグのようにふくれる。


「お世辞でもいいもん!」

「お世辞じゃないよ? かわいい」

「えへへ……」


 ケンカになると思いきや、縁がすかさず褒めたので朝灯の機嫌はコロリとなおった。単純とぼやけば、朝灯は灯夜のほうを見ないで足を踏んづけにきた。


「いっっ……!」

「縁ちゃんも、とってもかわいいよ!」


 呻く灯夜を放り、朝灯は上機嫌で縁に話しかける。

 朝灯が同年代の子どもと会話するなんて、滅多にない機会だ。朝灯なりに、相手を褒めたつもりだったのだろうが――さきほどから、言葉の選びかたを間違っているのだ。


「え、っと……」

「……? ……ごめん、わたし、なにか嫌なこと言った?」


 縁の変化を敏感に察知した朝灯はすぐに謝り、けれど原因が分からず助けを求めるように灯夜にチラチラと視線を送ってくる。

 灯夜は先ほどの自分の失態は棚にあげ、やれやれと肩をすくめた。

 そして、こそっと朝灯に耳打ちする。


(かわいいなんて言われて、うれしいわけないだろ)

(ボクは嬉しかったもん!)

(だーかーら……!)


 こそこそと話し合う双子の声は、縁にも届いていたようだった。

 朝灯に悪気がないことが伝わったのだろう、縁は意を決したような顔で「あのね」と声を上げる。


「おれ、男だから、かわいいじゃなくて……かっこいいがいいな」


 少しだけ大きな声を出したかと思うと、真面目な表情で言った。

 朝灯は、ハッとした表情になる。

 

「かっこいい! 縁ちゃんはかっこいい!」

「ありがと、朝灯ちゃんはかわいいよ」

「えへへ。あっ、灯夜は?」


 ご満悦な朝灯が、とんでもないことを言う。

 縁はパチパチと瞬きして、それからまた笑った。


「灯夜くんはかっこいい」

「んんっ! ……僕のことはいい。けど……まぁ、お前も、悪くはないんじゃないか?」


 顔色をうかがって発された言葉ではない。

 ふにゃっとした力の抜ける笑顔を向ける相手には、嫌味も媚びもない。

 それが、嬉しかった灯夜だが、朝灯のようにはしゃぐのはかっこ悪いと思ったので、大人ぶった咳払いで誤魔化した。


 だが、そんな照れ隠しは双子の妹には通じなかった。照れているのが丸わかりだったようで、結局朝灯から「喜んでる!」とバラされてしまう。

 だが、嫌な気分ではなかった。

 それは朝灯や縁も同じだったようで――結局三人で顔を見合わせ大笑いした。


 それは、初めての体験だった。

 有沢 縁は、灯夜が初めて出会った外からきた子どもで――灯夜と朝灯に初めて出来た、友だちだった。


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