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三十一話


 暗闇の底から、ごぼごぼと気泡がわいてくる。

 それに押し上げられるように、沈むだけだった縁の体が浮き上がる。


 理屈ではなく、感覚で、ここは海だと理解した縁は、水底に()()を見た。

 赤と黒が縄のように絡みつき、動けないそれは――大きな鳥だった。

 認識した瞬間、唐突に子どもの声が頭の中で反響する。


『ここはね、牢獄なんだよ。カミサマを閉じ込めておくために、昔の人が作ったの』

『なんでカミサマを閉じ込めるの? かわいそうだよ』

『自分のものにしたかったんだって』


 これは、自分の声だと縁はすぐに気がついた。話している相手は――。


『だから、たくさんの命で今も縛るの。命で染めて、よごして、動けなくするの』


 そうやって繰り返してきたから、カミサマは今もここにいると、歌うように語るのは、青い目の女の子。

 

『カミサマが言ってたの。カミサマは、ボクと時々お話してくれるんだよ。今まで誰にも教えたことはないけど……縁ちゃんは、ボクの初めての友だちだから、特別。――内緒だよ?』

『内緒なの?』

『そう。内緒。……灯夜にも、言っちゃダメ。ふたりだけの、秘密ね?』


 秘密の話だった。

 内緒話だった。

 不思議な話だった。

 

『カミサマが教えてくれたの。だから、こわさないとダメ。にげないとダメだよって。でも……どうやるんだろうね』


 青い、海を映した青い目が自分を見つめていた。

 その時、自分はなんて返したんだっけ、と。縁は記憶を辿る。


(それじゃあ……おれが……)


『――おれが、手伝うよ』

『え?』

『それで、にげるときは一緒ににげよう』

『……ここから出してくれるの?』

『うん』

『……約束?』

『うん、約束』


 小指を絡ませて、青い目の女の子はもう一度繰り返した。


『約束。――ずっと、ここで、待ってる』


 その時の声は、あの子の声ではなくて……もっと、別の――そう、あれは、あの子の……朝灯のいう、カミサマの声だった。


 ――や く そ く


 子ども達の声がパタリと途切れ、頭の中に響くのは薄い膜に包まれたような遠い声。

 

(分かってる)


 浮いていく、浮いていく、浮いていく。


(俺は、このためだけに、かえってくることを許されたんだから)


 全てを振り切り、縁の体が、意識が、浮上する中。


 ―― おかえりなさい


 という声が、どこか遠いところで聞こえた気がした。



「――っ!」


 目を開ければ、うっそうと生い茂る木々と隙間から見える分厚い灰色の雲。

 縁は自分が仰向けに寝転がっていることに気がついた。

 

 どうやら転がっている間に気絶していたらしい――大きな怪我などもなく、すぐに動けそうだ。なにより父の姿をした化け物に捕まらなかったことは運がよかった。冊子もしっかり抱えているし……と現状を確認したものの「あれ」と気付く。

 服が濡れていない。


(俺は、海に……――いや、海なんて、どこにも……。じゃあ、あれは)


 気絶している間に見た夢。

 常の縁ならば、そんな風に考えて自分を納得させていただろうが……。


「……カミサマ」


 ぽつりと縁は呟いた。

 たった一言。だが、それだけで、それまで押さえ込んでいたものが噴出するように、記憶があふれ出す。


 十四年前の出来事を、鮮明に。


「……あ、ぁ、そうだ……そうだった」


 あの時、土砂災害を引き起こしたのは――朝灯だった。

 そして、自分はその時に死んでいたことを、縁は今、はっきりと思い出した。



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