三十話
自分の顔を、まるで粘土でもこねるようにいじり、姿形すら変えて見せた目の前の相手。
それはあまりにも異質だ。
おぞましい変化を見てしまった縁の声は、引きつり震えていた。
「なんなんだ、お前は――!」
「お父さんに、お前なんて言ったらいけないぞ」
だが、相手はどこかズレた返答をするだけ。
まるで、上っ面の役割をなぞるだけのように。
――お父さん、と自称する言葉はあまりにも軽かった。
「違う……お前は、父さんじゃない……!」
「おや? ふたつとも全部食べたから、ちゃんと再現できているはずだけど? こちらを残しておけとかえり様が言ったから、記憶もまるごと食べたのに……やっぱり、ふたつとも昔すぎたのかもしれないな。……あぁ、そうだ、縁。縁がいるじゃないか。縁、教えておくれよ」
おいでおいでと手招きしたその手が、ぶちゅりと三つに裂けた。そしてそこから、穴……ギザギザとした歯のようなものがついた、まるで人間の口のような器官が現れる。
「大丈夫――ちょっと食べさせてくれたらいいんだ」
「――っ」
「だってお前は、とってもオイシソウなにおいがするんだものなぁ」
無遠慮に伸びてくる、手だったものから身をよじり、縁は後ろに下がって距離をとる。
だが、ぐらりと体が傾いだ。ハッとして見れば、これ以上は下がることが出来ない――斜面になっていた。
「危ないから、こっちに来なさい」
化け物が言う。まるで本物の父のように。
だが、気味の悪い腕はうねうねと動いている。素直に従ってしまえば、アレは自分に噛みついてくるだろう――だったら、と縁は冊子を腹に押し当てるようにして抱き込む。
そして。
「お断りだ!」
「縁? なにを――おいっ……!」
自ら斜面に転がり落ちた。
脳みそまでぐるんぐるんと回るような不快な感覚を堪えつつ、冊子だけは離すまいと腕に力を込め、丸まった姿勢をとる。
勢いがついた体は止まらず、そのままごろごろと転がり続け――とぷん、と水の中に落ちた。
(水の、中?)
体が、どんどん沈んでいく。
(なん、で……)
縁はかなづちではない。泳ぎは得意なほうだった。
だが、体は浮き上がる気配がなく下に下に、底へ底へと落ちていく。
ぽちゃん、と遠くで水音がした。
なにかが投げ込まれた音だ。
上を、見る。
(ぁ)
人、だ。
ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん――。
人、人、人。
投げ込まれるのは、たくさんの人。
そこからどんどん赤い染みが広がり、やがて水も変質していく。
赤が溶け出し、暗闇が入り交じり……逃がすまいというかのように、絡みついてくる。
苦しい。
それは、縁の声だけではなかった。
いくつもの声が重なっている。
苦しい、悔しい、怖い、痛い。
折り重なった声が、赤が、暗闇が、絡みつく。そして、引きずり込む。
奥底へと。
『縁ちゃんにだけ、教えてあげる。ここはね、牢獄なんだよ。カミサマを捕まえておくために、昔の人が作ったの』
――どうして、今こんなことを思い出すのか。
『カミサマが教えてくれたの。だから、壊さないとダメ。にげないとダメだよって。でも……どうやるんだろうね』
青い、海を映した青い目が自分を見つめていた。
その時、自分はなんて返したんだっけ、と。縁は記憶を辿る。
(それじゃあ……おれが……)
なにもしらない無邪気な自分が、なんらかと答えたとき――あの子は青い目を煌めかせ、小指を差し出した。
『約束』
『うん』
『待ってる』
交わした約束。
ひとつは果たされず、もうひとつは――今も海の底で、待っている。
縁は思い出した。理解した。
ここは、海だと。
そして、カミサマは今も、ここで、待っているのだと。糸布狭島という、牢獄の底にて縁が約束を果たすのを。
ここから出して。それは、カミサマとの約束だ。
死の先を行くかわりと交わされた、絶対に果たさなければいけない約定。
あぁ、忘れていたと、縁は水の中で呟いた。
(俺は、シノサキ様に……カミサマに会ったことがある)
七歳のあの夏。青い目の少女とカミサマに、有沢 縁は巡り会っていたのだ。




