二十九話
縁が灯夜と共にたどり着いたのは山の中にある小さな社だった。
鍵はかかっておらず、簡単に中に入れる。中にはしめ縄がかけられた石があった。
「縁、その無駄にでかいのが血鳴石だよ」
赤と黒が混じった色合いの大きな石は、ただそこにあるだけで異様な圧迫感を与える。そして、石の周りには板などが張られておらず、自然の状態のまま土がむき出しになっていた。だが、土や草などの自然の匂いはしない。
かわりに、なにかお香のような強い匂いが、不自然なまでにきつく漂っている。
そして、縁は気付いた。
むき出しの土、そこには草花は一切生えていないかわりに、無数の赤い石のかけらが散らばっていることに。かえり様を信奉する者が持っている石に、かなり近いものだ。
ここでとれた石を渡しているのかも知れない。だが、縁はなにか胸騒ぎのようなものを覚える。ただの石とは、今さら思えないからだろうか。
そっと石を視界から外した縁は、壁際の棚を探す灯夜に気付いた。
彼は黄ばんだ冊子を取り出すと、パラパラとめくる。
「これに……儀式の内容が書いてる。これは写しだ。じじいが、バカみたいに何度も何度も書き写してるから同じものが何冊もある」
ほら、と見せられて、縁はそこに書かれた文字を目で追った。
冊子には奇妙なことが書いてある。
「……石に神子の血を捧げる? ……――これって……!」
続く文字はさらに詳しく、凄惨な内容を記していた。
神子の体をめぐる血、そして命、それを神の媒介である血鳴石に捧げることで、神子は神と共鳴する――神はより強く深く島と結びつく。
ところどころに、走り書きで文がそえてある。それは書き写した仁一朗の私見なのだろうが、どれもこれもが気分が悪くなるような内容だ。
《生きたまま血を流させる。これが一番よい。
生にしがみつくという邪な思いを、穢れた願いを、己の血でもって洗い流させる――それこそが、死の先に我らを導いて下さる神への捧げ物であり、神へ至る道……》
限界だと縁は冊子から目を背けた。
「……これを……間 仁一朗は実行したのか?」
冊子を閉じた灯夜に問いかけた――だが。
「そうだ」
返事をしたのは、別の声だった。
縁と灯夜は、ハッとして社の入り口に目を向ける。
入り口には着流しに身を包んだ老人が立っていた。
その姿を認めた瞬間、灯夜の表情が剣呑なものへと変わる。
「――じじい……!」
怒りと嫌悪のこもった灯夜の声に、間 仁一朗はなにひとつ感情を見せない。
「ここは、勝手に立ち入っていい場所ではない。さぁ、それをこっちに――」
「縁!」
突然、灯夜に名前を呼ばれたかと思うと、彼は手にしていた冊子を縁に向かって投げた。
そして本人は、真っ直ぐ仁一朗に向かって突進する。
「行け、縁!」
社から追い出すように勢いよく仁一朗にぶつかった灯夜は叫んだ。
「それを、港で待ってる女に渡せ!
「けど……!」
「大丈夫だから、行けぇ!」
必死の形相で叫ぶ灯夜を目にし、縁は弾かれたように駆け出した。
海を目指し、山を下る。
(大丈夫、大丈夫だ)
仁一朗の体格はがっしりしている。とはいえ、老人だ。それも、昨日倒れたばかりの――。
普通に考えれば、若い灯夜が力負けすることはないだろう。
そこまで、考えてから、はたと気付く。
そう。間 仁一朗は、昨日血を吐いて倒れたばかりの病人だ。
(なんで、普通に起きて歩き回ってるんだ?)
昨日倒れた病人が、ひとり歩いて山の中にやって来た。
着衣に乱れひとつなく、息一つ乱さずに、あの社に現れた。
――奇跡。
そんな言葉が頭をよぎる。
間の家で、そんなことを聞いた。かえり様が仁一朗を治したのだと。
昨日の仁一朗……口から肉塊のようなものをぶら下げて、血を吐いていた姿を思い出す。
(あれが、奇跡?)
そもそも――この冊子に書かれたことが、本当に実行されたとしたら……朝灯は、仁一朗に殺されたことになる。
「……仁一朗に、殺された……?」
言葉にしたとたん、ぞわりと悪寒が背中をかけた。
そうだ。灯夜は言っていたじゃないか。妹の死体を探しに来たと。十四年前に、朝灯は死んだのだと。
自分を殺した相手を、助けたいと思うだろうか?
それ以前に、近くにいることすら恐怖だろう。
それなのに、かえり様は間家で担がれるのをよしとした。
自分を殺した加害者に対する、怒りも恐怖もなく……なんのわだかまりもなく、なんて。
それは――はたから見れば、大きな違和感だろう。聖人君子であると思うより、恐ろしさを覚えるかもしれない。
(……灯夜は……答えなかった)
それなら、今いる彼女は誰だ?
その問いかけに、灯夜は明確な答えを示さなかった。彼自身も分からなかったから、アレと表現したのかもしれない。
いや、十四年前の夏――それ以前の妹知る彼には、別のなにかに見えていたから……妹の死体という表現はしたが、妹とは呼ばなかったのか。
だが、今重要なのは彼女がかえってきた、という事実と――彼女の奇跡を持ってして、仁一朗が救われたということだ。
(奇跡で二度も助かった年寄りだからって……馬鹿みたいに身体能力があがるなんて、そんなことあるわけないよな)
どうか無事でいてくれと思いながら、縁は山を駆け下りていたが、その足が不意に勢いをなくし、止まる。
「……え……? なん、で……」
前方に、涼しい顔をした仁一朗がいた。
灯夜はいない。
「なんで、ここに、灯夜は?」
社にいた仁一朗が、縁の進行方向をふさぐには、縁よりはやく山を駆け下りるしかない。
あるいは、近道的なものがあればそれを利用するかだが、いずれにしても呼吸は少しくらい乱れるだろうし、着流しの裾だって汚れるだろう。
そのどれにも、仁一朗はあてはまらない。音も立てず、縁に近づいてくる。
「灯夜はどうしたんだ……!」
「帰ろう、縁。かえり様が待っているよ。そうだ、またどら焼きを用意しよう。ドタバタして食べそびれただろう?」
仁一朗は縁の問いかけを無視して、場違いなまでに穏やかに笑った。
「……なんのマネだ。貴方は、俺を嫌悪しているはずだろ」
「あぁ、もしかして、中身のことを言っているのかい? 大丈夫、あれはもういないから」
「――は?」
「それとも、この顔だからダメなのかな? 少し待ちなさい」
仁一朗は、自分の顔を手で覆った。
すると、指がぐちゅりと顔の中へめり込んでいく。
ぐちゃぐちゃと粘つくものをかき混ぜるような音がして、目の前でそれは変化した。
引き抜いた指が、赤く粘つく糸を引く。
怖気が走る光景だった。おぞましさに、縁の喉がひゅっと鳴る。
「これでいいかな。さぁ縁、お父さんと帰ろう」
――そこには、父がいた。
いや、十四年前の父によく似た姿の、なにかがいた。
昨日、間家で父そっくりの男を見た。縁はわが目を疑ったのだ。けれど、その異常な事態を流してしまった。父そっくりの男の顔が、老人である仁一朗に変わったというのに、だ。
普通ならば、絶対にありえないことだったにも関わらず、まるでそれが大したことではないかのように――おかしいと思っても、それが段々と薄れていった。
これは異常だ。
改めて、危機感を覚える。
自分が見ているのは幻覚でも、見間違いでもない。
間 仁一朗の姿をしていた者は、今、縁の目の前で父親の姿になった。
どちらもが、この存在が形作っていたにすぎない、作り物だったのだ。




