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二十八話 ???


「お兄ちゃんが帰ってきたのよ」


 ニコニコと笑って触れてくる絹花の手を、彼女はけんもほろろに振り払った。


「触らないで」

「……朝灯……」

「言ったわよね? ここら辺をうろつかないでって」

「でも、私は貴方の母親なのよ?」

「母親? わたしのおかげでいい思いが出来るようになったからご機嫌取りがしたいだけでしょ?」


 絹花は、子どもの癇癪をなだめるように「そんなことを言わないで」と穏やかな口調で話しかけるが、彼女はすぐにそっぽを向く――そして、気がついた。


「……え?」

「朝灯? どうしたの?」

「縁ちゃん……?」


 ここにいてねと、そう言って隠してきた縁がいない。

 

「どうして、どこに……?」


 目の前の絹花のことなど忘れ、ざっと周囲に視線を走らせるがどこにもいない。


「なんで、どうして、縁ちゃん……!」

「朝灯、一体なんの話? そんなことより、お兄ちゃんが帰ってきたのよ? 三年ぶりかしら? ねぇ?」

「黙れ!!」


 わきまえずに、弾んだ声が忌々しい。

 彼女が怒鳴りつけると、ひゅっと息を呑み絹花が沈黙した。

 けれど、彼女の腹の虫は、まだおさまらない。


「そんなこと? そんなことってなに?」

「――っ……ぁ……っ……!」


 この女が吐き出した言葉が気に入らなかった。

 どういう意味だと問い詰めれば、憎たらしく笑っていた顔を凍りつかせ、絹花は魚のように口をパクパクさせる。

 こちらが聞いているのに、かすれた息が僅かな音を立てるだけで答えもしない。喉元を抑えた絹花の顔は、だんだんと青ざめていく。


 その顔を見ていたら、ふと思い出したことがあった。


「あぁ、そういえば、お前、嘘つきだったね。……縁ちゃんを、知らないって言った。今も、縁が誰のことだか分かってるくせに、嘘をついてる」

「~~っ、――!」

「お前はいつだってそう、聞こえないふり、知らないふり、気付かないふり、見ないふり――苛つくけど、面倒な対応をする分には使えると思って多少の自由を与えたのに……この期に及んで、まだ嘘をつくんだ」


 彼女の手が、絹花の顔に伸びた。

 ぴたりと顔を両側から挟み込むように手が添えられる。

 冷たい手だったのか、絹花がぶるりと体を震わせた。


 はじめて、絹花に向かって笑いかけた。

 

「お前、もういらない」


 絹花は目を見開いて、ぼろりと涙を流した。


「――ぁ、ぁあ、許し……」


 ようやく声が出るようになったのか、絹花が震える声で縋ってくるが――それは母親というよりは、主人を恐れる下僕のようだった。

 彼女は絹花と目を合わせた――そして、添えていた両手に力を込める。


 み し っ


「ぃ、だっ、いだ、ぃっ」


 嫌な音がする。

 それでもなお、彼女は両手に力を込める。

 絹花の口から濁った悲鳴が上がったが、やめるどころかますます力を加えた。

 そのまま頭を上に上にと持ち上げる。

 そして――。


「さぁ、穢れは洗い流さなければいけないわ。――お前の命という穢れを、洗い流さないと!」

「――っ!」

「シノサキ様、シノサキ様、赤き水でこの穢れを洗い流します! 新たな糧をお受け取り下さい! どうか我らを死の先もお導き下さい! ――さぁ、どうしようか? 縁ちゃんをこの家から勝手に連れ出した、あのおじさんみたいに体の中から破ろうか? それとも、縁ちゃんをたぶらかしたあの女みたいに、死ぬまで引き裂いて遊ぼうか? それとももっと簡単に――」


 ぶちんっという、なにかを引きちぎるような音と「ぐぎゃっ」という悲鳴はほぼ同時に上がり、真っ赤な血飛沫が上がる。


 彼女は手にした頭部をしげしげと見つめた。


 恐怖と苦痛で引きつった表情だ。


「なによ。このくらいで」

 

 ふんっと鼻で笑うと力を込めて――ぐちゃりとそれも潰してしまった。


 全身真っ赤になった彼女は「あーぁ」と残念そうな声を上げる。


「汚れちゃった。こんな格好じゃ、縁ちゃんに会えない。……ねぇ」


 元は頭部だったものと、首から下だけになって崩れ落ち、いまだ血を流し続ける肉の塊をそのままに、彼女はすぐそばに近づいてきた人影に気付いて声をかけた。


「縁ちゃんを連れて来て。わたしは、着替えるから。足りないなら、補充していいよ。……どうせみんな、洗い流して導いてあげれば喜ぶんだから――死の先に、ね」


 影はなにも言わず、そこから立ち去った。 



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