二十二話
呼びかけしつつ、女はさらに中に入り込んできたようだった。
衣擦れの音が聞こえる。
(どうする……?)
相手は数馬ではなかった。
だから無条件で安全とは限らない。
――だが、縁がなにか行動を起こすより先に、女のほうが存在に気付いたようで「あっ」と声を上げた。
次の行動を予想出来ず、縁は思わずギクリと体を強ばらせたのだが……。
「え? 大変……! 大丈夫!?」
慌てた声が、近づいてくる。
「動かないで! 袋、とりますからね!」
あれほど手こずっていた袋が、他人の手を借りると楽にすっぽ抜けた。
クリアになる視界に、縁は知らず目を細める。
そこには、驚きで目を丸くした若い女がいた。
「――え」
彼女は、パチパチと瞬きを繰り返す。
それから、確かめるように呟いた。
「縁ちゃん?」
小首を傾げた拍子に、真っ直ぐでツヤツヤした黒い髪がさらりと流れる。
――縁も、着物姿の彼女のことは記憶に新しかった。
「……アサヒさん」
名前を口にすれば、彼女はその深い青色の目を忙しなく動かした。
「え? どうして、縁ちゃんがこんなところに……? どうして縛られてるの? た、大変、今解くから!」
混乱した様子でありながら、縁を解放しようとしている。
彼女が間家の縁者であることは間違いないだろうが……。
「……アサヒさんは、聞いてないんですか?」
「なにを?」
なにを、と問われて縁は言葉に詰まった。
なにから説明すればいいのか、それ以前にどれなら言ってもいいのか、皆目見当が付かなかったからだ。
「…………」
「どうしたの? あ、手痛い? キツく縛られてるものね……。ひどい。もうすぐ解けるから……――でも、どうしてこんなところに閉じ込められていたの? だれかの悪戯? 悪ふざけがすぎるわ、ゆるせない」
アサヒは手を動かしながらも、腹を立てた様子だった。
演技なのか、本気でなにも知らないのか、その少し子どもっぽい怒りかたからは、予想できない。
「……それは……――あの、その前に、ここ、どこですか?」
結局、縁は言葉を濁して……それから、逆に質問した。知りたい情報でもあったからだ。
その問いかけに、アサヒは不思議そうに首をかしげる。
「え? どこって、間のお家よ。……といっても、お屋敷の敷地は広いからね、ここは離れの土倉。ここは物置で、人も滅多に通らないのに……今日に限って人が行き来してたから、不思議だと思っていたの。……はい、解けた」
「……間家……」
振り出しに戻った、ということか。ならば、数馬と鉢合わせるのも時間の問題だと思いながら、縁は自由になった両手を動かしアサヒに礼を言った。
「お礼なんていいの。……手首、赤くなってる。縄が擦れたんだね。……待ってて、足も解くから」
「あ、いや、それは自分で出来るんで……。あなたは、もうここを離れたほうがいいです」
「どうして?」
青い双眸が、縁を見上げてきた。
深い、水底のような青が、不安定にゆらゆらと揺れている。
泣き出しそうな表情だと気付いた縁は、ぎょっとして言葉につまった。
「どうしてって……それは、その……」
馬鹿正直に告げることは、ためらわれた。リスクが大きいことは、もちろんだったがそれ以上に……言葉では説明しにくい、感覚がストップをかけたのだ。
この子に、言ってはいけないと。
だが、不自然な沈黙からアサヒはなにかを察したように俯いたかと思うと、ポツリと呟いた。
「……あの人たちが、縁ちゃんに意地悪だから?」
「――え?」
「……わたし、本当は知ってるの。昨日、お仕事が終わってから、縁ちゃんを探したら、どこにもいなかったから。……おばさんも、おじさんも、お母さんも、知らないって。でも、使用人がコソコソなにか捨てようとしてて……声をかけたら縁ちゃんの荷物だった。だから――あの人たちが、なにかしたんだってすぐに分かったの」
アサヒはそこで言葉を句切り、顔を上げる。
――ごめんね、助けられなくて。
陰のある表情で、暗い目で、アサヒは謝罪の言葉を口にした。そのまま縁の両足を縛る縄に手を伸ばす。
(この子は、一体……)
彼女がどこまで分かっていてなにを知らないのか、ますます判断ができない。
縁は、迷ったものの会話を続けることにした。
「……お母さんって……」
気になったのは、彼女の立ち位置だった。
だから、母親か父親が分かればと思って聞いてみたのだが。
「縁ちゃんは、まだ会ってない? 絹花っていうの。着物姿で静かな人なんだけど……」
数馬から教わった兄弟姉妹の名前と、あの洋室で会った者たちの顔の中で一致したのは、容赦なく他人を打ち据えていた女。
やつれた様子の――だが、常にうっすらと笑みを浮かべていた……あの女だと。
「あの人が、アサヒさんの……母親? じゃあ俺たち、イトコってことですか……」
ようやく、アサヒの立ち位置が分かった――だが、アサヒは特に言及することはなかった。彼女は知っていたのだろうか……。
縁がもう少し尋ねようとしたところ、アサヒが先に話し出した。
「やっぱり、会ってたんだ! ……それなのに、知らないなんて……」
縁が自分の母親と会っていたことを知ると、ぱっと笑顔を浮かべている。
(そんな、いい出会いじゃなかったんだけど)
この様子では、彼女はなにもしらないのかもしれない――そう思った縁だったが、不意にアサヒが視線を外し、俯いた。
「……? どうし……」
声をかけた縁にも反応しないで、ともすれば聞き逃しそうな、小さな呟きを零す。
「――やっぱり、あの人、嘘ついた」
感情豊かな面が強かったアサヒから出たとは思えない、低く冷ややかな物言いだった。
雰囲気に飲まれて、縁がなにも言えずにいる間に、彼女はするすると縄を解き終えてしまう。
「……ぁ、申し訳ない、結局、どっちも……」
「いいの! わたしが、やりたかったの。それより、手首の消毒しよう?」
「これくらいは、なんともないです。……それより俺の他に、もうひとり連れてこられた人がいるはずなんです。その人を、探さないといけないから――」
堂々と闊歩できる身ではないので、コソコソと隠れて探すことになるが……トーヤには恩がある。ここで見捨てるわけにはいかないと、縁はアサヒの申し出を断った。
すると、アサヒはすっと表情を消す。
「…………それ、そんなに大事な人?」
「――え?」
低く、静かで、冷たい声。
思わず縁が聞き返すと、アサヒはハッとして首を横に振る。
「ごめんね、なんでもないの! ……でも、それならやっぱり、わたしのお部屋においでよ」
「部屋? いや、俺は間の家に立ち入るのは、あんまりいい顔をされないんじゃないかなって」
いい顔をされないどころか、殺される危険性すらあるのだが……アサヒは「違うよ~」と笑った。
「わたしのお部屋は、お屋敷とは離れたところにあるの。お屋敷の奥、お山の石の近くにね。そこなら、あの人たちは来ないから大丈夫。縁ちゃんの荷物もちゃんととっておいたし……わたしが、人の出入りを聞いてみるから、ね?」
「……なんで」
「え?」
「なんで、アサヒさんは、なんで俺にそんなに親切にしてくれるのかなって……」
いとこ関係ではあるものの、縁はこれまでなんの交流もない、昨日突然現れた相手だろう。アサヒが、ここまで肩入れする理由なんてないはずだった。
だが、そんな縁の指摘をアサヒは笑って「違うよ」と否定した。
「会ったこと、あるよ。だから、わたしは……ずーっと待ってたんだもの」
「アサヒさん?」
「ね、わたし……多分、もうひとりの人がどこにいるか分かると思う」
「? どういう……」
「ここはね、人が来ないからわたしのお散歩コースだったの。……人の来ないところにある物置は、ここだけじゃないの」
だから、わたしと一緒に来てよ。
アサヒは、ごく自然に縁の手をとった。
まるで小さな子どもを誘うように、倉の外へと縁を連れ出す。
外は、水の匂いがした。
打ち付けるような激しい雨はとうに止んでいたが――どんよりとした分厚い雲が、空をおおっていた。




