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十二話


 琴絵が戻ってきたのかと思ったが、そこに立っていたのは和装で細面――どこかやつれた様子の女だった。


「――チッ」

「あら、なんのお話ですか」


 数馬が舌打ちすると、女はおっとりと首をかしげる。

 

「なんでもねぇよ。それより、かえり様は見つかったのか」

「はい。今、父さんのところに向かってくださいました」


 その言葉を聞いて、誰よりも安堵した様子を見せたのは宗平だった。


「あぁ、よかった……! かえり様が来て下さったなら安心だ。前に倒れた時だって、すぐに回復したんだ。今回だって……!」

「……前は奇跡だって、お医者様だって言ってたじゃない。奇跡はなんども続かないから奇跡なのよ? あなたも、いい加減お義父さんに頼ってばかりいないで、当主としての自覚を……」

「敦子さん」


 弱気な夫にカツをいれようとした敦子の言葉。

 それを遮った女は、しずしずと敦子の前に向かうと……突然、右手を振り下ろし敦子の頬を打った。


 ――バシン。


「きゃっ!」


 バシン、バシン、バシン。


「やめてっ……あなた、助け……っ……!」


 一度だけではない、往復して二度、三度。

 突然の暴力に驚き、呆然としたのは当事者である敦子と部外者である縁。

 敦子の夫である宗平は助けを求める妻から逃げる様にソファから立ち上がる。数馬は無関心にその光景をながめているだけ。


 その間も女の暴力は続き、縁は見ていられず止めに入った。


「ちょっと……! いきなり、なにをしてるんですか……!」

「……あら?」


 頬を真っ赤にし口の中が切れたのか端から一筋血を流している敦子が、怯えた様子で見上げてくる。

 反対にそれまで敦子を打ち続けていた女は、平然と……自身だって叩き続けた手の痛みがあるだろうに、それすらなかった風体でおっとりと首をかしげた。


「まぁ、どちら様? わたくし、この身の程知らずに躾をしなくてはいけないの」

「躾って……」

「獣でも分かる序列を、この方はどうにも理解できないようで。……ねぇ、敦子。使用人あがりのお前が、どうしてこの家のことに口を挟むのかしら?」

「だ、だって、それは……私は、宗平さんの妻で……」

「妻? 妻ですって? ふふふ」


 女は面白い冗談でも聞いたかのように、品良く笑う。突然暴力を振るう人間には到底見えない仕草だった。

 だからこそ、一瞬前の彼女の行動が恐ろしい。

 そんな恐怖を感じているのは縁と――敦子だけ。


 やはり、ここはおかしい。


 そんな感覚が強くなる。


「思い上がりもそこまでになさい、敦子。お前は妻という役目を与えられた、使用人でしかないのだから」

「――な、にを……なにを、言うんですか。いくら、いくら絹花(きぬか)さんでも、侮辱っ、侮辱だわ……わたし、わたしは、宗平さんの……」

「でもねぇ、そんなことはどうでもいいの」


 おっとりと微笑んだ女は、縁を振り返った。

 自分の右手を押さえている縁の手に左手を重ねてそっと撫でる。

 ぞわりとした寒気がして、思わず縁が手を離すと「あら」と少しだけ残念そうな声を上げ――それから、再び敦子を打った。


「おいっ……!」

「ごめんなさいね、お見苦しいところを。でもね、かえり様がお怒りなの。だから、これは必要なことなのよ」

「ちょっ……! だから、やめろって! ――あんたたちも、なんで止めないんだよ! おかしいだろ、どう見ても!」


 傍観者と化した男ふたりを怒鳴りつければ、宗平は逃げる様に背を向けた挙げ句、耳をふさいでしまう。

 だが、数馬はいらいらと頭をかくと舌打ちして――口を開いた。


「絹花、その辺にしとけ」

「ええ? どうして?」

「お客さんには、刺激が強い」

「…………」

「ただでさえ、最近記者だかなんだかいうのが島に入り込んでは、かえり様の周りを探ってんだ。由緒正しい一族の在り方を、カルトだなんだってかき立てられたくないだろ」

「……数馬兄さん。それは、この子がそちら側だと言っているの?」

「そうじゃない。そうじゃないが、どこに目や耳があるか分からないってことだ」


 すると女は「そうね」と呟いて、微笑んだ。


「こっちはいいから、お前はかえり様に付いてろよ。神の代行人って言ったって、やっぱり母親がそばにいたほうが心強いだろう」

「そうかしら? ……そうだったら、嬉しいわ。……それなら、そうしようかしら」


 ふふふと笑って女は来た時と変わらないしずしずとした足取りで扉の外に出ていった。

 残ったのは沈黙する男三人と、すすり泣く敦子だけ。


「ったく……だから姉貴が忠告したろうが。さっさと手当てしろよ、みっともねぇ。……おい」


 最後の「おい」は縁に対しての呼びかけだった。


「ここにいても仕方ねぇだろ。ちょっと付き合えよ」


 くいっと顎で外を示された縁は、でも……と逡巡した。

 泣いている敦子と、動く気配がない宗平。彼らをふたりにしても、手当てがきちんとされるかという不安が残った。

 すると、数馬は呆れたと言いたげにため息を吐き、宗平の背中を叩く。


「兄貴、敦子のツラぁ、なんとかしとけよ」

「っぅ、ぁ」

「じゃ、ちょっと出てくらぁ」


 青い顔でなにも言えない宗平の返事を待つこともなく、数馬は「これでいいだろ」と言って縁の肩を掴むと強引に部屋を出たのだった。


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