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十話


 かっこん、と一定の間隔でししおどしの音が聞こえてくる。

 手入れされた庭が見える室内で、縁は正座して仁一朗と向かい合っていた。


 茶菓子があるといった通り、ふたりの前にはすぐにお茶とどら焼きが用意されたが縁は手をつけられずにいる。


「遠慮せずに食べなさい。縁のために買ったものだ。好きだろう?」

「……お気遣いありがとうございます」


 なんとかその一言を絞り出す縁は、冷や汗を浮かべていた。

 どら焼きが苦手で、これは嫌がらせだ……というわけではない。逆だ。

 どら焼きは、子どもの頃からの縁の好物なのだ。


(なんで、知ってるんだ……)


 この島の親戚がそんなことを知っているはずがない。こちらとは絶縁状態だったのだ。好物を教え合うような関係が構築されているはずもない。


 チラリと顔を盗み見れば、その容姿はやはり老人だ。三十代などと、若く見積もるにも無理がある。見間違えるなんて……自分の正気を疑う。

 

 間 仁一朗に会うまで向けられた不躾な視線、態度。

 あれは、間 仁一朗が有沢家に隔意を持っているからこそ、その下で働く者も意を汲んで行動した……少なくとも、縁はそうなのだと思っていた。


 だが、間 仁一朗は好意的だ。あの老女が喚いた内容から、縁たち有沢家の人間を嫌っていたのはたしかなのだが……。


(意味が分からない)


 なにかがおかしい。

 どこかが歪だ。

 ひどく、居心地が悪い。


(はやく、はやく本題を……)


縁はごくりとツバを飲み込むと口を開いた。


「――あの。手紙には、遺産相続に関する話があるとか」

「あぁ、そうだな。私の遺産分与の話だ」

「そういうのは、貴方の子どもたち……俺から見れば叔父叔母と話し合うことであって、俺は関係ないのでは?」

「そういうわけにもいかないのだよ、こと間の家は」

「でしたら、書類でもなんでも書きますから、俺は一切を放棄する手続きを……」


 ――かっこん。


 ししおどしの音が、やけに響く。

 

「縁」

「……」

「だからね。――そういうわけにも、いかないのだよ」


 笑顔で、仁一朗は同じ言葉を繰り返した。

 その時、それまでの静けさを打ち破るように騒々しい足音が複数響いたかと思うと、障子戸が勢いよく開かれた。


「どういうことですか、父さん! 相続で外の奴を呼んだって!」

「そうよ! 余所者の血を混ぜた篤志には一切の権利がないって、あの時言ったじゃない! その子どもなんて、畜生以下だってあんなに気持ち悪がってたのに!」


屋敷のどこかで話を聞いたのか、中年の男女が現れた。

男のほうはスーツを着て髪を後ろに撫でつけている。女は大ぶりの宝飾品で自身を飾り立てていた。


「……ここは人払いしたはずだが?」


 仁一朗はふたりの乱入者に視線を向けず、低い声を発した。

 勢い込んでいたふたりは、それだけでビクッと肩をゆらして愛想笑いを浮かべる。


「や、やだぁ、あたしたち家族でしょう? 篤志の息子が来てるって聞いたから、心配になっただけよぉ。来て正解だったでしょ? だって、この子がなにかうまいことを言って財産をだまし取ろうとしてるんだもの。そうでしょ?」

「――まったく、油断も隙もないネズミだな。十四年前は、篤志が行方不明だって知るなりさっさと本土へ逃げておいて、今さらになって顔を見せるなんて。……母親に似て金の匂いを嗅ぎ分けるのは得意か!」

「…………」


 縁は黙って言いたいように言わせた後、仁一朗に頭を下げた。


「俺には、貴方の財産をもらう理由がありません。十四年間、なんの関わりもなかったんです。これからも、そうしてほしいし、そうしたいと思っています。身内に渡すのが嫌なら、どこかの慈善団体への寄付でもしたらいいじゃないですか。……俺がここに来た目的は、父が見つかったと書いてあったからです。父の遺骨を引き取りに来ました」


 仁一朗はじっと縁を見ていた。激昂するかと思いきや、やはりそんなことはない。ただ無言で、縁を凝視している。こんな状況だというのに、笑顔で。


「と、父さん?」


 黙る老人に、乱入者も不安になったのか恐る恐る呼びかける。

 だが仁一朗は反応しない。

 まばたき一つせず、縁を見つめたまま。

 

「ぁ」

「え?」

「ぅ、ぇっ――」


 仁一朗の声が、濁りを帯びる。様子がおかしいと腰を浮かせた縁だったが、異変に気がつかなかったのか……それとも、無視されていると思ったのだろうか、どこか焦った様子でスーツの男のほうが視界に割って入ってくる。


「父さん、そんなことまで教えたんですか!」

「…………」

「あいにくだが、篤志の骨はもう埋葬がすんでいる。一族から逃げた奴だが、無縁仏は気の毒だろうと恩情をかけてやったんだ。それなのに、全て終わってから、遺骨を寄こせとは……」

「ちょっと待ってください、様子が――!」


 ごほっ。

 それまでしゃっきりと背筋が伸びていた仁一朗が、突然背中を丸めて咳き込んだ。


 ごほっ、ごほっ。


 続けざまに何度も咳き込むので、女が「どうしたの?」と訝しげに声をかけ、男が手を伸ばすが――ごほっごほっ……。

 咳き込みながら顔を上げた仁一朗は、次の瞬間口を大きく開き。

 ごぼっっと、大量の血を吐いた。


「うわああっ!」


 悲鳴が上がる。


「と、父さん!? おい、誰か! 誰かいないか!」


 口から血を噴出した仁一朗は、自分の口の周りも着物も、畳もよごしてゴホゴホ咳き込む。

 この時、仁一朗はギラギラと怒りを宿した目をしていた。


「――……なぜ……――っっ」


 途切れ途切れにそんなことを言い、ぐっと喉を詰まらせたかと思うと――なにかを吐き出した。


「――ぇ」


 口から吐き出したものは、中にまだ残っているのかダランと伸びている。

 それは、赤い粘液にまみれた、肉のかたまりような……。


 手まで血で汚した仁一朗は、縁をギラつく目でにらみつけたまま、ノロノロと手を伸ばす。


「――ぁ、お……っう゛ぇぇおっ!」


 なにか言った。

 だが直後に、嘔吐いたかと思うと不自然に体が上向きに折れ曲がった。

 目玉がぐりんとまわり白目を剥き、仁一朗の口から血が吹き出た。公園の水飲み場で蛇口を思い切りひねったときのように、勢いよく口から血があふれ出る。

 

 自身を汚し、畳を汚し、そして間 仁一朗は、不自然な体勢のままガクリとその場に崩れ落ちたのだった。

 口から垂れ下がった肉のかたまりが、この時ぴくりと動いた気がした――。

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