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九話


 縁の動揺をよそに、男は穏やかな笑みを浮かべ親しげに声をかけてきた。


「大きくなったなぁ、縁。会いたかったよ」

「――っ」


 伸びてきた手を、縁は思わず避けてしまう。

 あの大きな物音は十中八九この男がやったのだろう。

 この部屋の中で暴れ、老女に怪我をさせたような男。そんな相手が、何事もなかったかのような笑顔で、親しげに話しかけてくる。それも、父によく似た顔で。

 とってつけたようなそれが、気持ち悪い。


(なんだよ、これは。なんなんだよ、ここは……!)


 自分の頭がどうにかなったのかと、自分自身に疑いすらわいてくる。


 縁のなかで緊張感が高まり身構えるように相手の出方をうかがうと――手を避けられた男は、僅かに目を見張った後……寂しげな笑みを浮かべ、その手を所在なげに下ろした。


「……あぁ、そうか……いきなり頭を撫でられたら嫌か。ごめんな、縁」

「……いえ」


 これは、誰だ。

 自分は一体、誰と会っているんだ。

 外見は三十代――父にそっくりの男。

 彼が祖父の間 仁一朗だなんて、そんな馬鹿なことはないだろう。

 だったら、親戚の誰かか――たしかに父には兄弟姉妹がいたはずだが……。


(ダメだ……分からない)


 十四年も前の、子どもの頃の記憶だ。父があんなことになり、ショックを受けたせいもあるのだろう――縁の当時の記憶は霞がかかって不鮮明。

 これが、誰かなど分かるはずもない。

 だが――少なくとも老人である間 仁一朗ではないことは確かだと縁は考えた。


「……あの、仁一朗さんは、どちらに?」


 別の人物のところに連れてこられたのかもしれない。案内役だったあの老女の、最後の嫌がらせだったのだろうか――本人が痛い思いをしていたが……などと考えつつ、男に問いかけると、彼は「え?」と驚いたような声をあげ、それから苦笑して腕を組んだ。


「私が仁一朗だよ。……そうか、縁はあの頃まだ小さかったから……私のことは忘れてしまっても無理はないなぁ」

「……は……?」


 そんな馬鹿な……という言葉は、驚きのあまり続かなかった。


(年齢が、合わない)


 呆然としていると、縁の背後から声がかかった。


「旦那様、別室の準備が整いました」


 驚いた縁が振り返ると、着物姿の女が立って頭を下げていた。

 すると、部屋の中にいた男が廊下に出てきて縁の隣に並ぶ。


(あれ? なんか……)


 そこで、ふと違和感を覚えた縁は隣にチラリと視線をやって――絶句した。


「あぁ、ご苦労。あの痴れ者のせいで部屋が汚れた、片付けさせておけ」

「かしこまりました」

「それと、私は彼と話がある。いいと言うまで、誰も近づけるな」


 流れるような自然さで命令する男の姿は――先ほどの、中肉中背のどちらかといえば優男の部類に入っただろう父によく似た容姿とは一変、背筋はしゃんと伸びており立派な体躯ではあるものの老齢の域と疑いようのない容姿になっていた。


(は? え? なんで?)


 見間違い?

 ならば、どっちが。

 自問自答し――そんな、考えずとも分かることを自問した自分自身に驚き……そして、ぞわぞわと恐怖心が広がり背筋が冷える。


(父さんの遺骨のことを聞いて、引き取れるようにして……さっさと帰ろう)


 明らかな老人を、どうして在りし日の父と見間違えたのか。

 きっと疲れている。この屋敷のおかしさに、慣れ慣れない状況に、精神が消耗しているのだ。

 長居はしない。

 これは、最初から決めていたことだったが、より強く思う。


 屋敷に踏み入れたときに向けられた視線、案内役の言葉――その端々から、自分は歓迎されていないと伝わってきたのに、旦那様と呼ばれたこの男……自称「間 仁一朗」の態度は真逆である。気持ちが悪いくらい好意的なのだ。


「こちらの客人の部屋を準備するように」

「かしこまりました」


 命令することに慣れた口調。

 そして、従うことが当然という態度。

 別世界のようにそのやり取りを見ていた縁だが、自分のことを言われていると気付き我に返る。


「あの、すぐにお暇するので」


 部屋など用意してもらわなくても結構……などと正直に言えるわけもなく、午後の最終便で本土に戻る予定だと告げると男は、なぜか笑った。


「今日は午後から荒れる。船は休航だ」


 断言される。


「え? ……こんなに晴れてるのに、ですか?」


 思わずそこから見える庭に視線を向ける。青空が広がる静かな景色がそこにあった。

 荒れるようには思えないが……。


「あぁ。かえり様が、そうおっしゃったからな」

「……かえり様」


 また、その名前だ。

 あちこちで聞いた名前に縁が反応すると、仁一朗は「知っているのかい」と目尻を下げた。


「その石も……まさか――」

「あぁ、そうだ。かえり様の赤石というものだ。気になるのかい?」


 仁一朗は、なにを思ったか自分の首から下げていた赤い石を、縁の前に差し出した。


「なら縁にあげよう」

「え?」

「かえり様のお力が宿る石だ。お守りというのかな、それのかわりに」

「旦那様、それは……!」


 赤い石は、船で女が握りしめていたものより大きく、色が鮮やかだった。

 縁が手を出しあぐねているうちに、控えていた女が思わずといった様子で声を上げる。

 すると、仁一朗の顔から感情が抜けた。まったくの無になり、女をいちべつする。


「お前ごときが、意見すると?」

「い、いえ、滅相も。……ですが、それは、お外のかたに渡すには立派すぎるかと……」

「外?」


 表情は無い、けれど仁一朗の声は不快そうな色を帯びる。

 肌で感じるほど空気がピリつく。女は頭を下げてぶるぶる震えており、縁は意を決し「あの」と割って入った。


「そんな立派なもの、俺は受け取れません。お気持ちだけで」


 なんとか言葉を続ければ、仁一朗は縁をみて……また、笑った。


「そうか。それなら、これは一度下げておこう。では別室に行こう。茶菓子もあるぞ」


 仁一朗は頭を下げて震えている女には目もくれず、貼り付けたような笑顔で縁を促す。

 チラリと縁が肩越しに振り返れば、女はその場にへたり込んでいた――。


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