其の漆
陽が山の端に隠れた。
とたんにあたりに闇が広がる。
舞台の回りの薪に火が入れられた。篝火までの荘厳さはないが、時間を巻き戻す荒々しい炎が舞台とその周辺を浮き上がらせた。
悦男が舞台の後ろに座り鼓を打ち、謡を始めた。
立烏帽子を被り、白鞘巻を差したトオルが現れた。
祖母の使用した衣装はトオルには小さかったが、先代の踊り手が大柄であったことが幸いした。箪笥の奥に大切にしまわれていた薄い絹の紫の水干が、トオルの身体を覆うようにして包んでいる。
見事な踊りだ。
芝居の舞いとは違い、女が男に扮したときの強さを表しながらも弱々しさを内に秘めた、心が押し潰されるような踊りが焚火の明かりの中にある。
村人も、調査に来たという男たちも、見とれるだけの説得力のある舞いだった。
踊りを終えたトオルが話しはじめた。
「さて、調査にいらした方々に一言申し上げます。揃いの制服に身を包んでいらっしゃいますが、お足元が見事にばらばらでございます。そちらの方は登山靴、そちらの方は工場などで履く安全靴、スニーカーの方もいらっしゃいます。仮にも公的な機関から派遣されたのであれば、制服を揃えたからには足元も揃えるはず。皆様方が寄せ集めの方々だということが一目でわかってしまいます」
「なんだって、俺たちがにせ物だというのか」
一味の首領であるらしい背の高い男が、半歩進み出た。
「何かを調べに、いいえ、何かを探しにいらしたのでしょうね。ご丁寧にダイナマイトまで用意なさって」
ダイナマイトと聞いた村人たちがざわめいた。
「そうかい、マイトを持ってることまで知っているんだ。だったらせっかくだから使わせてもらおうかな、おい」
男が目で合図した。ダイナマイトを取りに車に向かおうとした三人の男の前をウマがふさいだ。
「だめだよ、雷管をちょうだいしてきた。これがないと、ただの棒切れだ」
男の口惜しさが固く結んだ口元に現れた。
「やるぞ」
男が仲間に小さく声をかけた。二、三人の男が舞台に登ろうとした。
「あなた、これを使いなさい」
監物老人だ。事の仔細を話しておいたのだ。
老人が手渡したのは、乗馬に使う鞭だったが、柔らかさなどない硬鞭と呼ばれる強固なものだった。
トオルは二、三度素振りをしてみた。鋭く空気を裂く音がした。
トオルが舞台からの階段をゆっくりと降りる。途中で足元を狙って襲いかかった男が額を打たれ悶絶した。階段を下まで降りて鞭をぴたりと構えて首領の男の方を向いた。
さらに男がふたりトオルに襲いかかる。スコップを手にしている。軽く身をかわすと喉元を素早く突いた。スコップを手にしたままふたりとも地面に倒れた。尖った部分でトオルを突きさすようにした男の手から巻き上げられるようにバールが空を飛んだ。剣道の巻き技に似た動きだ。茫然としている男の額に鞭が振り下ろされた。息ひとつ乱さず、まるで舞いの延長のような動きは、それ自体が美しいものだった。
雷管を取り戻そうと数人の男がウマを取り囲んだ。
ツルハシの尖った先が不気味だが、ウマは身構えもしない。振り下ろされたツルハシを待った男の肘を軽く身体の外にそらすようにすると、同時にみぞおちに小さいが鋭い突きを入れた。「ぐふっ」という呻き声がした。
ウマの古武術は、戦国時代、鎧を着た相手と戦うために考えられた特殊な技だ。
おりんは柔道の技でトオルたちの戦いを手伝うこともあるのだが、今回は、「親に心配をかけることになるから手出しをするな」
と、ウマにきつく言われて我慢していた。
「やるな。お前ら一体何者だ」
「ただの旅役者だよ」
さらに襲いかかって来た男の右足を軽く蹴っただけなのに男は空中で真横になってから落ちた。その腹を踏みつけるようにしてウマが答えた。
「そうか、それじゃあこれはどうだ」
首領の男が懐から拳銃を取り出してゆっくりとウマに狙いを定めた。
ウマは軽く首を振った。笑ったようにも見えた。飛び道具相手ではどうにもならないといった表情だ。
と、舞台の横の草むらがガサと音を立てて黒い影が現れた。
「犬養さん」
悦男が小さく叫んだ。
ジーンズのつなぎの上に黒い毛皮のベストを着ている。
「県に頼まれて鹿の駆除に行ってたもんでな。帰って来たらこれだ。事情は良くわからんが、おいお前、そんなおもちゃみたいな鉄砲じゃどうしようもないぞ」
犬養が肩に銃床を当てたのは二連射式のライフルだった。
銃身が焚火の明かりで重く鈍い光を放っている。反対側の肩には鹿の足がぶら下げられている。一目で猟師とわかる出で立ちだ。
「この引き金を引くと、鉄砲を持ったお前の腕ごとなくなるぞ。いいのか」
凄んでいるのではないが、十分に、不気味なまでの貫禄がある。
しかし、男はまだ薄笑いを浮かべている。
「それじゃあ、これでどうだい?」
少し離れた場所にいた男に目配せをする。
その男が懐からやはり同じような拳銃を取り出して、犬養に照準を向けた。
「二挺だ。一発撃つ間にもう一挺がお前を打つ」
犬養は微動だにしなかった。ライフルを構えたままで、
「ゴン太、あだ!」
と、短く命令した。あだとは仇とか敵とかいう意味のようだ。
犬養の足元に居た黒い犬が、伏せに近い姿勢をすると、低く唸り声を上げた。犬養の命令に答えた声にも聞こえる。
「こいつは甲斐犬のゴン太だ。イノシシにでも構わず向かって行く。俺が何も命令しなくても何か動きがあればそっちの男の喉笛に食らいついて噛み切るぞ」
ゴン太がさらに身を低くした。徐々に四肢に力が入っていくのがわかる。
まず初めに銃を下げたのはゴン太に狙われた男だった。続いて首領の男が首を振りながらゆっくりと銃を下げた。
「地面に置け」
犬養に言われて、男たちは銃を足元に置いた。
「悦男、ロープを持って来い」
言われるままに、悦男が家からロープを持って来た。
「イノシシを縛る時の縛りだ。ちょっとやそっとじゃ解けないぞ」
犬養が男たちを縛り上げている間、ゴン太は男たちの顔を順に見据えるようにして低く唸り続けていた。
トオルもウマも出番はなくなっていた。
「よし、監物さんの蔵に入れとけ」
犬養の言葉に、村人の何人かが呼応した。
「ゴンちゃん」
おりんがゴン太を呼んだ。
ゴン太は一目散におりんの元へ駈け寄り、顔を必死で舐めている。腹を見せて甘え声になった。全身で再会の喜びを表現している。先程までの精悍さなど微塵もない、仔犬のような動きになっていた。
「昨日会えなかったもんねえ、そうか元気してたの」
おりんはゴン太の一番の友達だ、と言うよりは、仲間だと犬養が説明した。
長ケ部が事の次第を警察に連絡した。
夜は行けないと言われたのだろう、「確保してある」と警察用語のような台詞を嬉しそうに話している。
おりんの家では悦男が、犬養の持って帰って来た鹿肉を料理するから、と台所に立っている。
おりんの祖母はトオルの膝に手を置いて、
「どうして、あんたは、男なの」
と、泣きそうな声で、惜しい、口惜しいを繰り返している。
おりんが横で複雑な表情になっていた。




