其の終
翌日トオルたちは、監物が昨夜貸してくれた鞭を返しに行った。
「素晴らしい鞭ですね。でも乗馬用ではないように思いましたけど」
「普通は戦に鞭は使わなかったそうです。でもこの鞭は闘いにも使われたと聞いています。古い物だということしかわかりません。もし気に入ったのなら差し上げます」
「いいえ、僕なんかにとんでもない。もったいないですよ。それに僕には父が遺してくれた鉄の扇があります」
監物の家を出た所で、ウマが石垣に腰を下ろして、考え始めている。
「不思議な村だな。あの鞭は、もしかしたら義経が使った物だったりしてな。鵯越の戦でさ」
「義経の?」
「そうだ、俺らも千本桜で演じるやつだな。この村は義経に関係があるのかもな」
ウマが額の汗を拭った時だった。
「こらあ、罰当たりが!」
声に驚いて振り向くと小柄な老婆が立っている。
「石垣に尻を乗せるなんて、なんだ」
剣幕に押されて、ウマが飛び上がった。
「本当にもう、おや、また生えてるよ、やだねえ」
老女は、石垣に生えた白い花火のような花を付けた草を、乱暴に引き抜いた。
まだ文句を言っている老女から逃げるように遠ざかってから、
「おりん、なんだあの婆さん」
ウマが、咳込みながら、おりんに聞いた。よほど驚いたらしい。
「私たちも、小さい頃から、石垣の上に立つのも座わるのも駄目だと教えられました。お母さんは、崩れると危ないからじゃないかと言ってました」
「なるほどな。それとさっきの婆さんが引き抜いた花だけどな、何だかわかるか」
「知りません」
ウマがまた考え事をしている。珍しい光景だ。
あとの事は村人に任せてトオルたちは村を後にした。途中で村に向かう警察の一団に出会った。
「鈴木選手ですよね」
警官の一人が、おりんに声をかけた。
「どうして柔道を止めてしまったんですか。本当に期待していたのに」
おりんは地元では有名らしい。お陰で面倒なことは何も聞かれることなくバス停へと向かうことができた。
幾つ目かの坂を越えた所で、トオルが振り返った。何かに呼ばれたような気がしたのだ。
視界の中の村の石垣に何か模様のようなものが浮き出している。烏帽子を被った人物が扇をかざしているようにも見えた。
「あっ白旗様だ」
おりんが嬉しそうに言う。
「珍しいんですよ、見えるの。私も毎日この道を通っていましたけど、見たのは、たったの二回だけです」
石垣に使われた角張った石と丸い石が朝露を吸い込み、それが乾く時間の差を利用したものらしい。影も出来るようにしてある。明らかに計算して作られたものだ。
それを見たウマがまた考え事をしている。
「ウマさん、さっきからずうっと考えてばかりだね」
「あの村には本当にお宝があるかもしれないぞ」
「どうしてさ」
「村の住人たちの名字、それと、お前が借りた鞭、なによりあの踊りだな。みんな源平の時代につながっているように思えるんだ」
「それで、さっき義経って言ったんだ。でもここは義経とは関係のない土地でしょう」
「そうでもないんだ。静岡は義経と頼朝が再会した場所だし、母親の常盤御前ゆかりの場所もあるんだ。隣の神奈川の藤沢には義経の首を納めたという白旗神社もあるしな」
「そう言えば源平は赤と白だよね。ここも白旗、源氏の色か」
「そうだ、平泉に逃げる時に一緒だった供の者たちが、この地を選んで住んだとも考えられるな」
「弁慶とか静御前とか」
「お前も不勉強だな。義経ほどの男だ、静御前の他に女がいても不思議はない。確か、浄瑠璃姫とかいうのもいたな。きつい逃避行に付いていけなくなって、村を作りそこに住んだ。さっきあの婆さんが引き抜いていたあの草な、あれは『一人静』じゃないかと思うんだ。女として静御前への対抗意識があったんだろう。それに……」
ウマがまた石垣を見る。
「石垣は神聖な場所だったんだろう。だから座るなと伝えられた。それとあの絵みたいな模様を、お前の親父さんも見たんじゃないかな。だから村の事が心配で、こんな辺鄙な所に興行に来てたんじゃないかと思ってさ」
「村を見守ってたということ?」
「そうだよ、言っただろう、橘という名字は木曽義仲、つまり源の義仲につながるからな。ボンあの絵の扇が示す方を良く見てみろ」
トオルが石垣の模様をじっと見た。
「あの扇の先に何がある?」
「何って山だよ」
「その先は?」
「ええと、その先は……伊豆半島?」
「その先は?」
「ええと」
「海、相模湾だな。その先は?」
「江ノ島。もう、なんなのさ、教えてよ」
「つまり鎌倉だ。あの道祖神も同じ方向を向いていただろう。覚えているか」
「そう言われればそうだね」
「もし義経が帰ってきて、鎌倉に行くときには馳せ参じる。軍資金と一緒にな。あるとすれば祠の中だな」
「なんか話しが大きくなってきたね」
「これが歴史ロマンってやつだ。でも雪之丞さんはお宝を探さなかった。そのままにしておくのが一番だと考えたんだろうな。あの人らしいや」
「でも、ウマさんらしくないね、せっかくの宝を探さないなんてさ」
「馬鹿にするなよ、俺だって世の中で何が大切かぐらいはわかってるさ。歴史ロマンとかじゃない、朝起きて働いて夜眠る。山の自然に囲まれてな。その権利があの村の人たちにはあるんだ」
「ウマさんらしくないなあ」
「それにな、お宝は競馬場の土の中に埋まっているんだ。それが俺の埋蔵金だ」
「いつ掘り出すの」
「場所がわからん」
「バス行っちゃいますよ」
ペンギン走りで戻って来たおりんが、ふたりに声をかけた。




