第四話「明るみ。」
※本作品は「カクヨム」にも掲載しています。
しゃがみ込んだショートカットの小柄な影。
暗闇で丸まった背をスマホのライトが差す。
「最上さん……。」
びくりと震えるその背に、私は静かに口を開いた。
「一人、なの?」
「最上、何してんだ?」
顔も見られない様子で最上さんがゆっくり立ち上がる。
私たちの前に、一歩、出て。
「あぅ、わ、私……」
「やっぱり、最上さ——」
私の言葉を待たず、最上さんの後ろからおずおずと、
色褪せた制服姿で、真っ白な顔が現れた。
「ひっ⁉︎」
私は跳ねるように、真也の腕にしがみついていた。
「蓮、どうした⁉︎」
「そ、その子!」
「その子?最上、の事じゃないよな?」
わけもわからずあたりを見渡す真也。目を丸くして私を見つめる幽霊。
『……見え……てる、の?』
「しゃっ、こ、声!」
「あっ、青野さん聞こえてるの⁉︎」
「は?なんだよ、お前ら何言ってんだ?」
幽霊。その声、その姿、目の前に。
意思に沿わない体。上手く声が出ない。手が汗ばみ、
肌が粟立つ。酸素を求める胸が苦しく、視界が狭まる。
『ごめん!』
張り詰めた緊張を、大きな声が切り裂いた。
え?
『あーし!この間!怖がらせてごめん!』
「み、美奈。」
月光が深々と下げる頭を照らす。静寂。現実じゃないような光景。
ぽかんと口が開いたまま、思考が戻ってくる。
え、え、何これ?幽霊……なの?
もっとこう、怨念?とか。
不気味に笑って追い回したり。でも一昨日は……?
私はこくりと喉を鳴らし、口を開いた。
「あ、あれ?あなた……幽霊、よね?」
「おい、誰と話してるんだ?まさか……。」
幽霊は頭を下げたまま、まだ両手を握り……震えてる?
それを見た私は、力が抜けて真也から手を離していた。
待って、私今幽霊に謝られてる?
なんで?最上さんに取り憑い……てたら謝る?
ど、どういうこと?
『あーし、あたし、あの時、興奮してて、つい、調子に……本当にごめん!』
すぐさま最上さんが声をあげた。
「あっあれは私の為なの!」
え?何この子、怖く、ない?幽霊なのに、泣きそう?
その前にちょっと、その口調。
「あーし?マジ?って、ぎゃ、ギャル語?幽霊が?」
「……あ、あはは!」
呆然とする私、素で出た言葉に、
最上さんが何かを思い出したように笑ってる。
「最上、何笑ってるんだよ。ギャル語ってなんだ?ちょっとまて、今、何が起きてんだ?」
「あ、アンタ見えてないの?」
「見えてって……なにを?」
私と真也は眉をひそめ、お互いを見る。
『この子には、あーし、見えてない?』
真也に見えてないことを安堵しているようにみえた。
最上さんが短く切りそろえた髪を、左右にさっと払い、一呼吸置いて私を見ながら。
「えっと。ね、ねえ青野さん、どう見えてるの?」
「え、ええ。真っ白い髪で、透けるような肌?褪せた様な色の……旧制服かしら?」
「は?お、おい。お前らマジで言ってんのか?」
「真也くんは、見えてない?」
「だから、どこにだよ?」
やっぱり、真也には見えてないんだわ。
なんで?もしかして霊感とかそういうの?でも、私今まで特に……。
俯いて、お腹の辺りで指先をいじってる。
この仕草、幽霊というより、ただの……
『あーし、今までずっと……いずみが来るまで誰にも。』
「ずっと……」
私は顔も背けられず、気づけば指先が制服の裾を握っていた。
「と、とりあえず!説明させて!」
『いずみ?』
「う、うん美奈、言って良い?」
『お願い!』
「あ、あのね、この子幽霊なんだ。」
「……それは、わかるわ。」
「っ!そ、それでね!一昨日の夜は忘れ物取りに行って、でも青野さんが来て……咄嗟に怖がらせちゃって……」
真也の眉間に皺が寄る。
「あん?どういう事だよ。……二人して揶揄ってんのか?」
「ちがうの!」
「違うわよ!」
私と最上さんの声が同時に上がった。
「ハモんな!で、なんだよ。」
「それでこの子は?」
『あ、あーし、結城美奈。』
「美奈、さん?」
『……!そー!美奈!えへへ!』
「あー、俺にもわかるように教えてくんねーか?」
「あっあのね真也くん。今ここに美奈が居て、この子は……ゆ、幽霊なの。」
「私も……見えてるし、聞こえてるわ。」
「俺には見えねぇ、聞こえねぇ。本当に居んのか?」
『あーし……居る、もん。』
「あっ!真也くん⁉︎」
美奈さんの笑顔からふっと表情が消えた。時折見せた悲しげな顔よりも、ずっと儚く、存在すら消えてしまいそうに。
ふうっと息を吐き、腕を組んだ。
「アンタ、女の子にそれは無いわ。」
美奈さんの瞳から光が戻り、目があった。
『あーし、幽霊だよ……?女の子って言ってくれるの?』
「なんか普通すぎて……怖くなくなったわ。」
真也はバツが悪そうに、近くの椅子に座りながら。
「要するに、ここにゆう——女子がいるって事か?」
真也が目を凝らし、空間を見つめてる。
「……見えねぇ。」
『てゆーかあーしの事、なんで二人は見えるの?』
「なんでだろう?」
「なぜかしら……」
あまりに色々起きすぎて、混乱してるわ。
一度冷静に……。
「ちょっと整理させてくれる?最上さんは忘れ物を取りに、夜に来たのよね?」
「う、うん。そう、一昨日、課題のノートが」
「そこは今はいいわ。それで——」
あれ?最上さん〝一昨日〟忘れ物をって言った?じゃあ、あの日最上さんは教室に居た?
一昨日、あの男子を追って校内に、そこからあの男子を見かけてない。そのあと教室で追い返された日。
じゃあ、あの男子は。つまり、最上さんは——?
嘘、でも、もし、もしそうなら、私は。
「ね、ねえ、美奈さん。なんで今日は追い返さなかったの?」
『あーし、二回も、怖がらせるなんて……出来なかった。』
俯き、ぐっと拳を握りしめる最上さん。
最上さんが言った〝私の為〟やっぱりこの子、庇ったんだ。
私は息を呑み最上さんに目を合わせた。
怖い。けど、知りたい、知らないと、私は。
「もし、もしかして。だん……し?」
「はあ⁉︎どう見ても女子じゃねえか?」
『い、いずみ……』
「私……。」
視界が滲む。耐えるように、深く、強く手を握りしめた。
感情が暗い雲のように広がっていく。
いつかは誰かにバレるかもって、そんな事は覚悟……してたつもりだった、けど、私、まだ私でいたい……。
『い、いずみはいずみだもん!』
美奈……。そうだ……僕、私なんだ。そう美奈が、教えてくれてたのに。
目元をぐいっと裾で拭い、肩を震わせながらも笑顔を作り。
「うん、私、男の子なんだ。い、言わないで。」
「はぁ⁉︎」
「そう、なのね。」
青野さんの声が落ち、どこか残念そうに見えた。やっぱり、私……。
「ちょっ、ちょっと待て。最上は、その、なんだ、〝女子〟で合ってるのか?」
「あんた。」
「俺もわかってるけどよ、いや、悪ぃ。」
「あの、そう……じゃなくて……」
『いずみはっ。男の子が好きじゃなくって!』
「えっ?」
「あ、あぅ……」
「なんだ?なんだよ?」
「えっ、美奈さん、本当に?」
こくりと頷く美奈。
ふっと青野さんの口元が上がった。納得、というより何か別の安堵感のように見えた。
「あの日、一昨日。男子の制服着てたのは、最上さんで間違いない、かしら?」
「——!み、見られてた?あ、あはは……」
『男子制服⁉︎あーしそれ見てない!あ!あの時のバッグそれ⁉︎』
「か、帰りにお店寄ろうと思ってたから……。」
「ちょ、ちょっと待て、色々わけわかんねーよ。」
「ああ、あんた聞こえてないんだったわね、美奈さんが言うには、最上さんは男子が好きじゃないんだって。」
「ああ⁉︎……気持ちは女子、でもないのか?ならなんで声も見た目も女子なんだよ?」
「それは……」
再びみんなが私を見て、言葉を待ってる。
「私、よくわからないの。でも、かわ、いく……いたい。」
「あー、うん。すまん、わからん。」
頭を掻きながら、腰に手を置き言い放った。
「最上はただの女装趣味、って事なのか?」
「ばっ——」
『ばかー!いっぱい台無しにすんなー!』
美奈の言葉が空気を裂き、ペちん。
一枚のプリントが真也の頬に飛んだ。
「むぁ⁉︎」
「み、美奈⁉︎」
滲んだ目元のまま、美奈のかざした右手がゆっくりと下がっていく。顔も、俯いて。
『……せっかく……さっきもうちょっと……』
「もうちょ——」
二人だけの教室の空気を思い出し、思わず赤くなるいずみ。
「もうちょっと?」
真也が顔に張り付いたプリントをひっぺがして。
「なんだ今の⁉︎……は?」
プリントを剥がすと、そこに薄っすらと見える女の子の姿。
「は、え?」
「馬鹿真也っ!もう黙ってて!それよりもうちょっとって?」
「いや違、そ、それ。」
「それ?」
「そ、いや、その……子?」
『へ?あーし?』
ぼやっと輪郭が浮き出てくる。
次第に、真っ白な顔、色褪せた制服姿が現れる。
「みえ……る。聞こえる。」
「え⁉︎」
「はあ⁉︎」
今度はやや近づき、再び目を凝らす真也。びくりとする美奈。
「ん?美奈どうしたの?」
『う、ううん。なんでも、ない。』
真也は椅子に腰掛け直し、少し距離を置いた。
「薄く、半透明?のだよな?脚は……あんまり見えねぇ。」
「ええ、そう。半透明、色の滲んだ水のように。」
「え?美奈、脚あるよ?」
『どゆこと⁉︎』
「最上さんの見えてるものが、私達とは違う?」
「つうか、なんでいきなり見えたんだ、俺?」
「なんでだろう?」
『あーしもわかんない。』
美奈を包む淡く蒼い光に溶け込むように、
いずみの胸のハンカチが同じ色に、淡く、滲んでいた。
何も答えの出ないまま、言葉を探す。
真也が手に持ったままだったスマホをチラッと見た。
自分はともかく、二人が言い訳出来る時間はとっくに過ぎている。
「そろそろ帰らねーとやべぇな。」
「う、うん。」
「邪魔して、悪かったわ。」
『ね、ねえ!』
三人は美奈の呼びかけに振り向いた。
『あーし、これで終わりじゃ無いよね……?』
『また明日だよね?また話せる、よね?』
「うん!美奈、また明日。」
『絶対、絶対だよ!ふふっ、また明日!』
にこりと微笑むいずみに対して、二人は何も言えなかった。
校舎の横手、人気の無い路地を出て歩きだす三人。
ポツリと真也が呟いた。
「最上よぉ、毎晩会うつもりか?」
「えっ、そうだけど……」
「きっ、危険だわ。あの子がじゃなく、最上さんが。」
ギクリとした。確かに今日だけでも二人にバレている。
もし先生なら?通報?親にもバレる。
まだ言えない、そこまで覚悟……出来てない。
「あの子、どうするつもりなの?」
「どうって……」
「色々……あるでしょう?」
真也は無造作にポケットに手を突っ込み、二人を見た。
「まあよ、明日さ、放課後集まんねーか?話してから夜、結果を伝えにいけばいいだろ?」
「そう……ね。毎回夜中に忍び込むのは危ないわ、風紀委員として。でも放っておけないわ。」
最上さんは男の子……あの姿、もう一度見たい、かも。え?でも夜二人で会って?
なんだろう、今の私、嫌……。
一人で横に首を振る青野、真也がそれを見て話した。
「どうした?何一人で唸ってんだ?」
「青野さん、大丈夫?ごめんね、怖がらせて。あと私、変だよね。」
「あっ、ち、違うわ、最上さんの事じゃ……なんでもないの。」
「俺はまだ信じらんねーよ、幽霊も、男子って事もよー。」
「うぅ、え?信じられない……?」
「だってどう見ても女子にしか見えねぇし。」
「えっあっ、そ、そう?」
女子にしか見えない。ちょっと、ううん凄く嬉しい。
嬉しい……けど。
私が、僕が私でいられるのはいつまでなんだろう。
「幽霊も……あれ幽霊か?」
「ゆ、幽霊……なんだよね。」
歩きながら足元を見る。考えてしまう。
出れないって言ってた。二、三年ずっと話せてなかったって。知りたい、けど、知りたく……ない。
歩む足が立ち止まり。
「あの……」
二人が振り向きながら。
「どうした?」
「何?最上さん。」
「今日の事……言わないで、いてくれる?」
二人は息の合ったように穏やかに笑った。
「言うほど馬鹿じゃねーよ。」
「あの子の事を含めて、ね。」
「……ありがとう。」
「じゃあ、また明日な。」
「嫌でも校舎で会うわよ。」
「ふふ、またね。」
二人の自然な顔に少し、ほっとした。まだ、私で居られる。けど美奈は?
振り返って校舎を見た。
いずみ達を眺め、窓から手を振る美奈の姿があった。
『明日。今日も、明日って言った。あたしのせいでバレちゃったのに。』
『あたし、どうしたらいい?いずみ、どうしてほしい?あたしは、どうしたいの?』
『……もう、会いたい。離れたくないのに。』
窓に腰掛けるように浮く美奈。
見つめる先の三人の姿が小さく、消えていく。
夜がふけ、明るみが指し、
明日は、今日もやって来る。
——まだ言えない、それぞれの胸中を残し。




