第三話「交錯、青い胸中。」
「もっ——!」
私今何をしようと?こんな夜に?こんな所で?
あの時の男子、夜の校舎に入って行った、何か関係ありますか、って?
声かけたらまるで、探してました。って言ってるようなもんじゃない。
……ほんと私、何してるの。馬鹿みたいだわ。
私に気づかないまま、最上さんは夜の大通りへと消えていった。胸元から、仄かに蒼い線を描いて。
何かしら、あの光?ペンライト?いやもっと淡いわ。
私、なんでこんなに気になってる?あの時の横顔……思い出すと。
ううん、こんな時間に外にいるから。きっと、そう。
言い聞かせるように、自分の胸に手を置いていた。
夜がふけり、街は寝静まる。草木に朝露が滴り、朝を告げる鳥の囀り。
今日も忙しない一日が始まる。
校舎に向かい笑いながら話す生徒、単語帳片手に歩く生徒、様々な登校風景。
門を抜け、欠伸を一つ、少しぼうっとしながらも歩くいずみ。
なんか最近、前より楽しくなって来たかも。
少し、気持ちが楽、前よりも自然でいられる気がする。
あっ。
校舎の上空でブンブン手を振る美奈を見つけ、私も小さく振り返す。
それを見て、美奈が私の前にふわりと降り立った。
『いずみ!ちぃーす!おはよー!』
「おはよう美奈。」
『あーし寝てないんだけどね!』
「あはは!」
『ふふ〜、今日は夜まで待つから!……待ってるね!』
「うん、また夜にね。」
美奈はにま〜と笑い、ふわりと浮くと、校舎の壁をすっと通り抜けて行った。
まばらな生徒達の列。その後方、青野はいずみの姿を見つけてしまう。
最上さん……。一人で喋って、る?
この距離だとよくわからないわ、もうちょっと……近くに。
「よ!蓮!」
「ひゃっ!何いきなり!」
「おま、一瞬浮いたぞ、ははっ。」
「アンタがいきなり話すからじゃない!何よ!」
「いきなり、って。ふつーに話しただけだけど。毎朝の事だろ?」
え?私また周り見えてなかった?
「今、私どうしてた?」
「ああ?べっつにふつーじゃねーの?」
「そ、そう。それなら良いわ。」
「なんだよお前、なんか変じゃね?」
「そっそんな事ないわ!それよりアンタ!髪戻してないじゃない!馬鹿みたいなオレンジやめたら!?」
「ははっ、やーだね。でよ、何みてたんだよ?」
あ!最上さん!最上さんは⁉︎……いない。
がくっと肩を落とし、真也に向き直った。
「もう!あんたが話しかけるから!」
「なんだよ、俺のせいかよ?何してるのか知らねーけど、風紀委員が怪しい事すんなよ?」
「知らない!馬鹿!」
青野は足早に校内に去って行った。距離が離れていき、一人残される真也。
あいつ、また最上見てたよな。何気にしてんだ?
最上って——顔もまあ良い方だよな。まあっていうか、結構、ってそうじゃねえな。
女子同士だし、何かあんのかもな。
真也は気怠そうに、普段と変わらない足取りで教室へと向かっていった。
——同じ時、旧校舎。今は使われてなく、まだ整理もされていない。
教室の机に腰掛ける美奈、窓の外の街並みをぼんやり眺めて。
『此処に居ると、少し落ち着く。なんでだろう。』
喧騒は遠く、止まったまま動かない時計。
人の居ない静かな教室に、蒼い光だけが日に紛れ、寂しげに薄っすらと染みていた。
『あたし、ずっとこのままなのかな。あたしってなんなんだろう……』
俯き、膝を強く抱えながら。
『せめて……触れられたい。』
午前の授業が終わり、わあっと校舎に昼休みの賑わいが広がる。席を立ち、いずみの元へ歩む真也。
「よう最上。」
「あ、真也くん。どうしたの?」
にこりと屈託のない笑みを浮かべるいずみ。
「いや、蓮がさ——」
蓮——、青野 蓮。びくっと肩を震わせた。
「あん?なんだ?喧嘩でもしてんのか?」
「う!ううん!そっそうじゃないけど!」
「けど?」
「あ。え、ええっと、えっと。」
「なんだよ?やっぱなんかあんだ?」
「なにかって……。」
うぅ……だって私が勝手に気まずくなってるだけだもん。
「言えよ?なんとかなるかもしれねーし。」
「えっ?……なんとかって、何?」
俯きながらもじとっとした目でいずみが真也を見つめる。
「あー、そりゃあ、あー。」
え?真也くん今考えてる?ちょっと待って、えっ青野さん?何か気づいてる?
いずみは気まずそうに真也から目を背けた。
そんなことは露知らず、いつも通り話しかけにきた凛。
「やっほ、いずみ!あ、一条君。あたしお邪魔?」
「あ、凛。う、ううん大丈……夫?」
凛に向きなおったまま、目線だけでちらりと真也を見るいずみ。
「おお、いや俺が邪魔か?行くわ、またなー。」
蓮に聞いた方が早いか?放課後行ってみるか。
真也は男子グループの輪へ戻った。にやにや笑う男子生徒が肩を小突く。
「なに最上さんと話してたんだよー?」
「うっせ!いいだろ別によー!」
「いずみー、ねー聞いてよー。」
「うん、なになに?」
いずみは凛たちと楽しそうに話し、柔らかく、あどけない笑顔を浮かべていた。
ふと窓の外を見るいずみ。
校舎から見える風景ではなく、どこか遠くを眺めながら。
美奈は今何してるんだろ。お昼、暇してるって言ってたけど……夜、まだかな。
「いずみー?どうしたのー?」
「なんでもないよ、凛。でね——」
春の陽気に包まれ、教室には穏やかな空気が流れていた。
休憩終わりを告げる鐘の音が鳴る。
今日も授業は容赦無く進み、日々を必死に追いかける生徒たち。
放課後まで時間はあっという間に過ぎていく。
「じゃ、行ってくるね!」
「うん、凛。バレー部、頑張ってね。」
「ありがとっ!レギュラー取れそうなんだ!またねー!」
駆けていく凛を見送りながら、スカートの裾を直しつつ立ち上がる。
私も勉強だけでも頑張らないと。
ほんとに、いつまでこんな事、出来るんだろう。
五月の日差しはまだ高く、部活へ向かう生徒や下校する生徒が行き交い、校舎には笑い声が響く。
その中を、風紀委員の腕章を付け見回りを終えた青野は、教室に目を向けた。
最上さん、今日も夜の校舎に?
あの時の男子、あの日の現象。あれはなんだったの?
普段の教室、寒気も怖さも無かったのよね……夜、だけ?
今日も……どうしよう。
「よ!蓮!」
びくりとした後ゆっくりと向く。笑顔を作るが目は笑っていなかった。
「……もう驚かないわ。何よ真也。」
「なあ、最上となんかあったのか?」
「——っ!もがっ最上さん⁉︎な、何もないわ!何よ、いやらし、え?最上さんと何かあったって……?なんで?」
「昼、最上と話したんだけどよ、最上もなんか様子が変だったし、で、なんかあったのか?」
「何も!……何も無いわ。」
そうよ……私何も無い……勝手に気にしてるだけ。
ただあの日、あの男子がもしかしたら——じゃない!
幽霊の噂が気になるだけ!本人かもわからないし!
「何もないって、んなわけないだろ。」
「別に何もっ……ねぇ、真也。アンタって不良、よね?」
「ああ?いきなり何言ってんだ?不良つっても別にそこまで悪かねーよ?」
私は俯いて無意識にスカートの縁を握った。少しだけ顔を向け、目線を合わせて。
「……夜の校舎、一緒に行ける?」
私一人じゃ……怖いんだもん。
「はっ!?夜のがっこ?」
「……幽霊の噂、知らない?」
「あ!あーあー!あれな!」
夜の校舎に出る、女の子の幽霊の噂。
音の無い筈の教室から歌声、
居ない筈の図書室からページを捲る音、音楽室から鳴るピアノ。
「私、一度行ったのよ、夜。」
「マジで?真面目なお前が?まあいいけどよ、で最上となんの関係があんだよ?」
「も……」
男子を追いかけたなんて言えるわけないじゃない。なんて言ったらいいの?
「その、校舎に人が入っていくの見ちゃったのよ。も、最上さんに似てたから。」
「最上が?……夜に?」
「そう……だと思う。わかんないの。」
「で、中に入ったのか。女一人で?危なかねーか?」
ぐっ、馬鹿真也のくせにまともな事言うな!
「そ、そうよ!だから来てって言ってるの!」
「確かめに行くってか?でもよ、不審者ならがっこに任せればいいんじゃねーの?」
「違うの、教室で、誰も居ないのに机が、プリントが舞って——」
「は!?ははっ、嘘つくなよ、ないない。俺見た事ねーし。」
「私が今までに、アンタに嘘言った事、ある?」
鼻で笑い、揶揄うような真也の顔から表情が消えた。
「……ないな。」
「だから言ってるのよ。」
なんの根拠もない、自信に満ちた顔で真也がニヤリと笑った。
「ああ!任せとけ!」
「何が任せとけよ!ついて来れば良いだけだし……。」
「じゃあまた夜にな!」
手をひらひらとさせ、去って行く普段通りの姿に妙にほっとした。
夜まで、一旦帰る?お店で勉強しようかしら。
私は駅前のカフェへ向かった。
店内には制服姿の生徒がちらほら見える。
カプチーノを受け取り、窓際の席に腰を下ろし、ノートを広げる。
ええっと復習からよね、化学。化学——、あの現象って説明できるの?
それに……もう、どうして、あの姿が焼き付いて。
結局ノートは真っ白のまま。
高かった日差しは傾き、茜色の空はやがて群青へと染まっていく。
待ち合わせの公園に向かい、ベンチに腰掛け吹き抜ける風に身震いする。
「……遅い。」
校舎から少し離れた公園で、ベンチに座り時計を何度も見ては入り口を見つめる。そしてようやくオレンジの頭が見えた。
「よう蓮。」
「よう。じゃないわよ!遅い!何してんの!」
「ああ?幽霊の噂だろ?遅くてもいいんじゃねえの?」
確かにそうなんだけど……なんか落ち着かなくて。
「い、いいの!行くわよ。」
「お前見つかったら風紀委員どころじゃないんじゃねーの?」
「ぱっ、パトロール!巡回よ!」
「無理あるんじゃねーのそれ。ま、いいけどよ。」
「無理なくない!いいの!……いいの。」
「じゃあ行くか。なんかお前と歩くのって久しぶりだよな。」
「え?ま、まあもう高二だし、小中とは違うわ。」
「大体、あんたがっ……なんでもないわ。」
「ま、俺もこんなんだしな。っておい、あれ。」
真也の指差す先には、校舎近くの街灯に照らされ、小柄な女子生徒が歩いていた。
「やっぱり、最上さん……。」
「あれ最上か?こんな時間に?何やってんだあいつ?」
「ね!?気になるわよね⁉︎」
「がっこ……ん?横道入ったぞ?」
「行くわよ真也!」
「お、おい、待てって。」
街灯の無い薄暗い横道に向かういずみ。慌てて駆ける青野、追いかける真也。
「ここ、目立たないな。」
美奈がいずみに教えた人目につかない、横手の抜け道。
「ここ、この時間なら忍び込むのに都合良い場所ね……。」
「がっこに言っとくか?つか最上、ここから入ったのか。」
「常習——?行きましょう。真也、あんた先ね。」
喧騒のない夜の校舎、ガシャンとフェンスの音が大きく聞こえ、胸の音が大きく鳴る。
「なっ何でアンタ平気なのよ!?」
「おっおい、声。」
ハッとして口を紡ぎ、小声で話しかけた。
「教室、行くわよ。」
無言で頷く真也、向かおうとした青野を何かが引っ張った。
「ひっ」
振り向くと、スカートの裾がフェンスに巻き込まれ、
無理に動こうにも捲れてしまいそう。
「……何やってんだよ。」
「いいからっ、とって、動けないっ」
四苦八苦してようやく外し、校舎の中に入る。
ギシギシと床の鳴る音。埃と木の匂い。
旧校舎?入った事殆ど無かったわ。違う学校みたいで……。
最上さんの姿は見失ったけど、道順が違うだけできっとあの教室。
足取りは重く、鳴る足音、夜の匂い。
向かう先の教室に一足早く着くいずみ。
「来たよ、あれ?美奈?」
どこにいるんだろう?音もないし。
教室って言ったよね……言ってない?やだ、私の勘違い?
「み——。」
『ばあ!』
「ひゃぅっ!!」
『あはは!ちぃーっす!驚いた?ふふっ!』
「もぅ。居ないかと思った。」
美奈は目をぱちりとして私を見た。
『え、そっち?じゃ、じゃあ……いずみも待って……』
言葉が出ない。
俯いていた二人がそっと顔を上げ、向かい合う。
静かな月明かりの教室に、慣れない想いが甘く、淡く溶けていく。
赤みの差した頬。無意識のうちに指先を、そっと触れ……られない。
『あ……ごめんやっぱあーし……』
触れれない……けど、あれ?
「み、美奈?なんか。」
『へ?なになに?』
美奈の手に透き通り、重なった自分の手を見つめた。
「なんか、温かい、ぬるい?」
美奈の掌が何度も閉じては開いた。握れない、けれども感触を確かめるように。
『あっ、嘘、あーし、あ、あたしも……』
生温い空間に包まれたような感触。触れられない。
それでも、温もりが、美奈が、確かにそこにあった。
月明かりの中、淡く、蒼い光に包まれた美奈。
言葉無く二人の視線が重なり合う。
音が消え、場所すら忘れ、世界中に二人しか映らないかのように。
今だけ、時間すら置き去りに、長く、短く。
見つめ合う二人。
微睡のような時の中、どちらからともなく、そっと距離を縮め、触れられないとわかっていながらも。
自然と目を細め、顔を寄せ——
——そして廊下では、その空気が嘘かのように二人が緊張していた。
「真也、なんか……聞こえない?」
「ああ、聞こえる、よな?」
足音が床に吸い込まれ、真っ暗な廊下に差す月光の影が、やたらと不気味に感じた。
「最上さん、居るのかな……。」
震える私の手が不意に握られた。
一瞬ビクッと震えたが、その温もりに、強く、握り返していた。
いつしか硬く、頼もしくも感じる幼なじみの手が少しだけ、いつもの私に戻してくれた。
「……確かめるぞ。」
こくんと喉が鳴る。
覚悟を決めて、静かに、真っ直ぐと答えた。
「……ええ。」
廊下に立つ真也の頬に、つうっと汗が一筋落ちた。
目を瞑り、深く、長く息を吸い込み、吐き、再び教室を見る。
微かに教室から聞こえていた声が不意に止んだ。
真也が目で合図する。私も応えるように頷いた。
「最上!居るのか!」
「最上さん?」
教室の甘い空気が一瞬で吹き飛んだ。ばっと声の方向へ振り向き固まる二人。
『へ?えっえっ、今、えっ?』
今の声青野さんと真也くん!?
夜中、校舎……通報?いやそれより美奈は?見え——ない?かっ隠れなきゃ!
咄嗟に美奈の手を掴もうとしたが通り抜ける。
『あたし……あーし多分見えないよ?』
「わっ、わかんないけど、隠れて!」
教室の引き戸がゆっくり、ギィ、と開き始め、
一瞬真也君の顔が見えて一気に開き咄嗟に机の影に隠れた、昼ならとっくに見つかってた。
ほんの少しだけ、夜が味方した。
「最上?居るんだろ?声、したよな?」
「したわ、最上さんの声、間違いない。」
二人の声、跳ね上がる心音、駆け巡る思考、動かない体。
スマホのライトが教室を照らす。
足音が近づき、遠のき、また近く。
見る事も出来ないまま、次第に一歩、また一歩と音が近づいてくる。
暗く、刺す光の影、足音に跳ねる胸。じわり、背が濡れる。
足音が、止んだ。




