第二話「蒼く、淡く。」
窓からけぶる月明かり。
呆然と見つめ合い、照らされた二人。
言葉を待っている美奈に、困惑したままいずみの口が開いた。
「み、美奈……本気?」
『まっマジだし! あーし、あんまりそーゆーのわかんないけっ、けど!』
『ね、ねぇあーし、怖くない?さっきの子みたいに怖がらない……?』
『いずみは……嫌わない?』
「ううん! だって、私の事、守ってくれたんでしょ? ありがとう。」
『嬉しかった? そっかー、ふふっ』
静寂に溶け込む声、遮るようにスマホからの着信音。
私は慌ててスマホを取り出した。
美奈は、その様子をじっと見て、行き場のない手がそわそわとしていた。
「あっお姉ちゃん!?」
「いずみ? お母さんから連絡あったよ。連絡つかないって。あんた、何処にいるの?」
「えっ! 気づかなかった、ごめん! えっと、友達と話込んじゃってて!」
「すぐ帰るから!」
「今どっちの格好? あんた可愛いんだから気をつけなさい。」
「ごめんお姉ちゃん! ありがとう。」
「無事ならいいわ、早く帰りなさいね。」
お姉ちゃん、いつも私を見てくれてる。お仕事、忙しいのに。
通話終了の画面を見つめ、画面の向こうの姉を思い浮かべる。自然と口元が緩んでいた。
「ごめん美奈、もう帰らないと。」
『え……帰っちゃう?そ、そーだよね。あ、明日も……話せる?』
「もちろん、明日も話そう!」
『ほんと!? 明日チョー話すし? 待ってる……からね! バイバーイ! ま、またね!』
「うん、また明日ね!」
手を振るいずみが夜の校舎をパタパタ駆けていき、音が次第に遠ざかっていった。
『〝また明日〟えっと、いずみ。いずみいずみいずみ! 覚えた! 明日も話せる!』
教室をはしゃぐようにくるくる宙を駆け回っていた。
月明かりの中、蒼白い仄かな光を纏い。
——住宅街を歩くいずみ。
人通りは殆どなく、夜風に乗って、庭先の木から花の香りが届く。何処からか蛙の声が聴こえ、帰路を急ぐ車が遠ざかり、足音は静かに消えていく。
これ現実?お化け?幽霊?でもなんか……。
家の前まで着くと、外から覗くように中の様子を伺った。
足音を立てないように静かにドアを開け、部屋に着くとかちゃりと鍵を閉めた。お風呂入っちゃわないと。ご飯もまだだし。
……さっきの事がまだふわふわしてる。なんだろう、この感覚。
遅めのナイトルーティンを終えてベッドへころん。気づけば枕をぎゅっと抱きしめていた。
美奈は……幽霊、なんだよね。幽霊なのは……?
学校から出れないのは……?
——明るくて可愛くて。でも、少し寂しそうで。
あれ⁉︎ 僕に彼女⁉︎ でも幽霊⁉︎
結局あまり眠れないまま、朝日が刺してきた。
目を擦りながらも学校に着くと、遠くに浮かんでる蒼白い光の輪郭が見える。美奈? めちゃくちゃ手振ってる。手元で小さくふり返す私に、ふわりと飛び寄った。
『いずみ!おはよー!ずっと待ってた!えへへ!今日もマジカワイイ!いつも女子?チョー似合う!声なんで女子?遠くから見てた時〜、あーし女の子だと思ってたし!』
「み、美奈!?あんまり大きい声だと……!」
一瞬慌てて周りを見る私。誰も気に留めてない。
そっか幽霊……なんだ。みんなに聞こえてない。何で私は聞こえるんだろう?
『あ、あーしの声? みんな聞こえ無いっぽくね? つーか前はずっと試してたし……』
『だから……あーしいずみと話せるのがチョー嬉しいし!』
「う、うん。いっぱい話そうね。」
私もこの子の前だと自然に笑っちゃう。不思議かも。
『あ! 学校始まる? お昼も……会える?』
「うん、屋上でお昼食べようかな?」
「ふふ〜、あーし待ってるから!」
美奈は手を振りながら、ふよふよと上空に浮かんでいった。
校舎に入ると、朝の日差しが差し込む廊下で——
「あ」
不意に漏れる二人の声が重なる。
青野さんとバッタリ会っちゃった、気づいてない、よね?
でも顔合わせづらいぃ……。
教室へ向かう生徒達の話し声、向かい合う二人。喧騒が、遠く感じる。
「おっ、おはよっ」
いずみは青野とすれ違い、教室へ向かう生徒たちに紛れて逃げるように駆けていった。
「——もがっ」
私が言い切るよりも早く、ぱたぱたと靴音が遠ざかり、
二階への階段に消えていく。
「あ——。」
手を伸ばしかけて、行き場を失い、ゆっくりと戻した。
そうだ、誰かに似てるって、最上さんに似てるんだ。なら、あの男子は?……あの後はっきりと姿を見つけれなかった。そしてあの現象、説明がつかない。本当に幽霊が?確かめ、なきゃ?なにかしらこの気持ち。
胸が、締まる……。
午前の授業中、何度かあの姿がちらついた。
気づけば日は高く上がり、昼休みを告げる鐘の音が鳴り響く。
私は隣の教室に向かい、戸に手をかけ中の様子を伺った。
教室には和やかな笑い声が広がり、
友達と話す生徒たちを春の日差しが柔らかく包んでいた。
「じゃあ凛、またね。」
友達と話し終えた最上さん、向かう先は廊下。その後ろ姿を追ってしまう。私は距離を置いて後をつけ、屋上のドアからそっと覗いた。
春の陽気は暖かい。なのに、影に隠れてるとはいえ、妙に寒い。屋上に? 誰かと約束? 誰と? 少しだけ。
うん、ただの確認。
あれ? 最上さん一人でお弁当広げて——?
「——それでね」
今、誰と——? 電話? いや、独り言?
視線の先は、誰もいない。楽しそうに笑ってる。
あの顔見ると。まただわ、何なのこれ。
……前までなんともなかったのに。
「——あれ?」
最上さんの声に反応して、無意識にさっと隠れ壁に貼りついた。
え? 私なんで隠れた? なんでだろう、なんか、今、見られたくない。なんで?わからないけど——。
なんか、今の私……嫌。
私は足元を見て息を吐き、教室へと戻っていった。
遮る物の無い陽射しが二人を暖かく照らし、太陽を背に美奈がいずみの顔を覗き込んだ。
『いずみどしたー?』
「ううん、なんでもない!」
誰か居たような。気のせい?
「それでね、み——」
咄嗟に口を塞いだ。
待って私、何を聞こうとした? 美奈はなんで学校にって? そんなの聞けないじゃん。聞いたら、ダメじゃん。どこまでなら?
確か——ずっと女子に話しかけてたのに話せなかったしさって……。
『なになにどしたー?』
「美奈、もしかしてその口調って……」
『ヤバ、わかる!? 授業サボってたむろってた子達がこんな感じだったんだ!』
美奈、合わせようと必死だったんだ。
え? じゃあ元は違う? そういえば見た目、軽そうじゃないし。
『ウケるっしょ? でも結局……聞こえてなかったけどね。』
『それが……最後だったし。』
フェンス越しに映る街並みを眺めながら、美奈は寂しそうに笑っていて、街の喧騒が、離れて聴こえた気がした。
「美奈の——」
聞いていいの? ううん、私ここで、立ち止まりたくない。
「——美奈は、何話したい?」
うぅ、結局逃げてるじゃん私。
『えとね、えとね! いつからその格好なの?』
ズバッと来た。え? それ聞く?
「あ……えっと。」
言い淀む私の様子を見て、美奈が不思議そうに、少し置いてハッ見開いた。
『あ、あーし……ごめんいずみ!』
目が潤んでる。この子、そのままなんだ。
あ。美奈は〝僕〟のまま——〝私〟のままで。
「えっとね、高校生から」
『そうなんだ! ウケ、ない?ごめんあーし失礼だったかも。ごめんいずみ。』
「いいの! 美奈はかっ、かのっ」
『かの……?』
しゅんとした顔のまま一瞬固まって、気づいて顔を赤らめていく。
思わず出た言葉に、お互いもじもじと目を逸らす二人。
何か言おうとして、声の出ないまま。
校舎の笑い声が遠く、風の音が、近く聞こえてる。
『ね、いずみは——』
昼休みの終わりを告げる鐘の音。
伝えたい言葉は鐘の音に消えていった。
お互いの距離は近いようで遠く、遠いようで近い。言いたい事、聞きたい事もまだ出来ずに。
『あ……』
「……放課後にまたね、美奈。」
『う、うん! あーし、待ってるから!』
ぶんぶんと手を振る美奈に小さく手を振り、いずみは教室へと戻っていった。
『いずみ、なんであたしの事見えるんだろ、もう諦めてたのに。』
『もっと早く逢いたかった。なんで、なんで……。』
淡い呟きも、届けたい言葉も、誰もいない、誰にも聴こえない想いが、屋上に沈んでいく。
一人の少女の姿だけが佇んで。
屋上を出て教室に戻ったいずみ、溶け込むように友達たちと話す。笑い声やふざける男子、教室の喧騒が壁を越え、隣の教室まで響く。
その隣の教室で、誰と話す事なく机に伏せる一人の女生徒。賑わう教室の中、青野は物思いに耽っていた。
頭にチラつくあの横顔、息を切らし駆ける姿。頭の中でぐるぐる回って、なんなのこれ。モヤモヤするわ、私らしくもない。
「何だ?元気ねぇーじゃん?」
顔を上げると真也が机に肘をついていた。
「っ!うるさいわね、ほっときなさいよ!」
「それよりアンタ!いい加減髪色戻しなさい!」
「ははっ、元気いーじゃん。」
真也はすっと立ち上がり、手をひらひらさせて教室から出ていった。
全く……別クラスからわざわざ来て。ああもう、授業始まるのに!
昼休みの喧騒が去り、午後の授業が始まる。
教室に響く教師の声、カリカリとペンの音。鐘が鳴り、授業の合間の小休止。学生たちの時間は駆け足の様に進み、放課後まであっという間に過ぎた。
やっぱり、気になる。少し、確認。確認だから。
気がつけば、私は何も持たないまま、最上さんの教室へと向かっていた。教室の引き戸にそっと手をかけ、中を覗く。
「いずみ今日は早く帰りなよー?」
「うん、ありがと凛。」
帰り支度をする最上さん、胸ポケットの辺りが、仄かに蒼く光って見える。目を擦ってもう一度。
光っ……てる?何かしら。近くで見たい、けど……。
「おう蓮、何だよ?俺今日は何もしてねぇって。」
「ひゃっ!」
ビックリした! 跳ねちゃったじゃない! いつからいたのこいつ!
「何よいきなり!」
「いきなり……って。お前見えてなかったのか?」
怪訝な顔で私を見る真也、はっと意識を引き戻された。
え?私周り見えてなかった?今はそれよりも。
「あ、真也、最上さん変じゃなかった?」
「あん? 最上? いつも通りだろ。むしろお前——」
「あ。」
いずみが帰り支度を終え戸の方へと向かってきた。目線が顔より少し、下を見てしまう。
「青野、さん、また明日。真也くんもね!」
「あ、ええ。また、明日。」
「おう、またな」
パタパタと廊下を駆けていく最上さん。やっぱり、光ってる……?
「ほ、ホラ! 胸のあたり! 今見たでしょ?」
「ばっ! そりゃチラッと見たけどよ。」
「光ってなかった?」
「ひか……? いや普通じゃ? 肌見えねーし。つかお前どこ見てんだよ?」
ニヤニヤする真也を見て、見ていた場所の意味に気づいた。
「バッカじゃないの!スケベ!もういい!……やっぱり、確かめないと。」
隣の教室へと戻って行く青野、後ろ姿を真也が見送る。
「なんだよアイツ。最上、まぁ確かに可愛いけど……」
ぽりぽり頭を掻きながら呟いて、カバンを後ろ手に廊下へと歩いていく。
その反対側の通路、いずみはちらちらと振り返りながら屋上に向かっていた。
誰も……見てない? なんか急いじゃう。私、いけない事してるみたいで少し変な気分。
屋上に着くと、フェンスの上に座っている美奈の姿。日差しはまだ高く、その中に異物のように淡く、蒼白く光り、横顔は校舎の外を眺めている。
「美奈?」
声をかけると、美奈はすぐさま振り向いた。明るく笑ったのに、一瞬、視線はどこか遠くにあった。
『いずみ!』
ふわっと美奈が飛んできて、距離が詰まる。
「ふふ、おまたせ。」
ニコっと笑い、二人はフェンスにもたれかかる。自然と指が触れ……ない。透けてしまう。黙る二人に、時折軋むフェンスの音が会話を急かすように感じた。
『ねぇ、いずみは……』
「うん?」
『な、なんでも……ない。』
聞きたい事、色々あるのに、けど、聞けない。聞いても今のままでいれる?美奈も、多分同じ。それでも私は……
「美奈は」
『いずみは』
言葉同士がぶつかった、お互いに口をつぐむ。少し、俯いて視線を逸らしたまま。
通知音、いずみのスマホが鳴った。
びくりとしてスマホを見る。凛からのメッセージ。
【まだ靴あったけど何してんの?】
「ごめん美奈、帰らなきゃっ。」
『あ……帰っちゃうんだ。あたし! ううん、あーし、へ、平気だし? ……平気。』
「うん……うん! 夜にまた来る!」
『……!』
『ほ、ほんと⁉︎ あーし期待しちゃうよ⁉︎ ……ほんと?』
「うん! また夜にね!」
『待ってる、待ってるかんね!』
屋上を抜け、いそいそと玄関に向かい校舎を出た。
いつも通りスーパーで男子制服に着替え、群衆に紛れるように、人と目線を合わさず帰路につく。
課題を済ませ、いつものナイトルーティン。
瞬く間に時間が溶け、今日も夜の帳が下りてくる。
逸る気持ちを抑えながらもこっそり着替え、そっと玄関を閉じる。住宅街を抜け向かう夜道は、前よりも明るく見えた。
門を抜けて、校舎の中へ。辺りを見渡しながらも教室に向かう。教室に着くと、窓に腰掛け、ぼんやりと外を眺めてる美奈の姿。
私に気づくとふわりと浮かび近寄って、ゆっくりと降りた。
『あ……。い、いずみ。いずみいずみぃー!』
「美奈、きたよ。」
『へへ〜、ね、ね、話そ!』
けれど視線が入り口を何度も見てしまう。夜の校舎、どうしても不安はよぎる。
『んー? いずみどした?』
「あ、先生とかの見回りとか……大丈夫かなって。」
『大丈夫! あーしめっちゃ知ってるし! 何曜日が何処に誰来るとか!』
……そうだ、二、三年近く、ずっとここに。
『いずみ、気にしてる?』
その声に、はっと顔を上げた。
「あっ、ごめんね。」
『もー! 謝んなって! あーし平気だって! い、いずみは、あ、あたしの、かれ……し……だもん。』
『あ、あーしだって、ばんばん聞くし?だから、いずみも……聞いてよ。』
美奈が俯きながらもじもじと、上目遣いで指先が落ち着かない。いずみは言葉を探すが見当たらず、開きかけて、口を閉じる。
『いっいずみは普段何してるの!』
んっと喉を整え、ゆっくり息を吸った。
「えっと、インスタでメイクやコーデ見たり、動画観たり、かな?」
『女子じゃん!!』
「う、うん、男子だけど。」
『女子じゃんそれ! じゃ、いずみの番! あーしに聞きたい事は? あ、あーし気にしないから!』
「じゃ、じゃあ……美奈って、普段何してるの? お昼とかは?」
『あーし暇してる!』
「あ。ご、ごめ——」
『謝らない! じゃないと、話せないよ……?』
『い! いずみは、何処から入ってるの?』
「入ってる?」
『だって夜のがっこだしぃ? 忍び込むんっしょ??』
「あ、えっと周りに人居ないか見てから……門かな。」
美奈が目を大きくして口を開く。
『いずみ⁉︎ バレないそれ⁉︎』
「うぅ、だってわかんないし……忍び込んだことなんて、ないんだもん。」
そのままふわりと美奈が浮いて。
『いずみ、行こっ!』
「へ? どこに?」
『夜のがっこっていずみ知らないでしょ!』
「う、うん?」
『へへ〜、あーしが色々教えてあげるし!』
相変わらず夜の校舎は静かで、美奈だけが蒼白く光り、幻想的だった。
『こっち! こっちから通ると見回り? の後になって会わないんだー!』
『あ、その辺なんか人が踏むと音するよ?』
「そうなんだ? ここ、通った事ないかも。」
『ここ。なんか、う〜ん。安心するんだ。あーし昼とかよくここに居るし。』
ここって旧校舎? 美奈も同じ学校だった? 美奈って、記憶が……おぼろげ?
「美奈、覚え——」
『どしたー?』
「なんでもない! ここに居たから今まで会わなかったのかな?」
『マジそれ! ……あーし、いずみに逢えて良かった、えへへ!』
「も、もぅ。ねえ美奈。なんでここが好きなの?」
美奈が浮いたまま宙で立ち止まる。
『……わかんない。』
美奈がふっと廊下から旧校舎の教室の一つを眺める。
目元は優しく、少しだけ口元が上がり、瞳の奥がほんのり暗く。
『行こっ。』
いずみに振り返る顔はいつもの明るい笑顔だった。
『こっちこっちー!』
『ホラここ!』
学校の横手、校舎と薮に挟まれた細い道。街灯も無く、人影も無い。
「こ、こんなとこあったんだ。」
『でしょ!〝明日〟からここ通ればイケるっしょ!』
明日から。
声を上擦らせながら言う美奈の目が泳いでいた。
「うん! ありがとう美奈。じゃあ私行くね、また明日。」
『へへ〜、うん! また明日!』
手を振りいずみが薄暗い道を駆けて行く。
小さくなっていくいずみを見つめ、光の軌跡に気付く美奈。
『んー?? え? あれ……あたしの色?』
夜の道を駆けていくいずみ、胸ポケットにあるハンカチが、淡く、ぼうっと蒼白く光り。
——そして、二人は街灯が照らす人影には気づかなかった。
「あれって……最上さん?」




