第六章 嘘の積み重ね
三つの証言すべてに綻びが見つかった後も、裁判は終わらなかった。
国王陛下は、最終的な結論を出す前に、もう一度すべての証言を整理する場を設けると告げる。
次の開廷までの数日、私は懐の記録を何度も読み返していた。
三つの事件、それぞれの日付、場所、証人の有無。
並べてみると、単なる偶然では片付けられない共通点が見えてくる。
どの証言も、核心に触れる部分だけが、驚くほど曖昧なのだ。
まるで、あらかじめ用意された筋書きの、細部だけが埋まっていないかのように。
そう考えるほどに、むしろ一人の思いつきでできることではないという確信が強まっていく。
当日開かれた謁見の間には、これまでで最も多くの傍聴人が集まっている。
噂を聞きつけた者たちが、我先にと詰めかけたのだろう。
国王陛下が、静かに開廷を告げる。
「本日は、これまでの証言を今一度整理する」
私は、静かに一歩前へ出る。
今日は、新しい証拠を突きつけるつもりはない。
ただ、これまでの証言を、順番になぞっていくだけだ。
嘘というものは、一度でも綻びが生まれれば、後は自然と崩れていくものだと知っている。
だからこそ、攻撃する必要はない。
ただ、確認するだけでいい。
私は、静かに口を開く。
「では、階段の一件から確認いたします」
「その日は、いつでしたか」
アリア様は、一瞬言葉に詰まる。
「……以前お答えした通りです」
私は、静かに手元の記録に目を落とす。
「以前は、二つの異なる日付を仰っています。どちらが正しいのでしょうか」
アリア様の顔が、わずかに強張る。
「それは……後にお伝えした方が、正しいかと」
私は、次の問いへと移る。
「では、証人はいらっしゃいましたか」
「以前は、誰もいなかったと仰いました」
アリア様は、俯いたまま小さく頷く。
「はい……そう申し上げました」
私は、さらに問いを重ねる。
「毒の一件について、記録はございましたか」
会場に、静かな緊張が走る。
「……薬師様の記録には、残っていないと伺いました」
「では、その症状を、どなたかに相談されましたか」
アリア様は、一瞬答えに詰まる。
「……いいえ、誰にも」
私は静かに頷く。
「喉が焼けるほどの痛みを感じながら、誰にも相談しなかった、ということでしょうか」
その問いに、アリア様は答えることができない。
一つひとつの問いは、決して鋭くも激しくもない。
ただ、事実だけを、順番に確認していくだけだ。
それでも、積み重なるほどに、答えの端々が少しずつずれ始めている。
私は、教会での一件についても、同じように問いを進める。
「暴言を吐いたという方々の、お名前は分かりますか」
アリア様は、しばらく黙り込む。
「……大勢だったので、正確には覚えていません」
「では、その場に他にいらした方は」
「……それも、はっきりとは」
答えるたびに、彼女の視線が右へ左へと揺れる。
以前は、確かこの一件について、涙ながらに詳しく語っていたはずだった。
それなのに、名前も、場所の詳細も、今はどこにも見当たらない。
日にちも、場所も、居合わせた人物も、どれ一つとして、確かなものがない。
国王陛下が、重い声で問う。
「先ほどと、今しがたの答えが食い違っているようだが」
アリア様は、慌てたように言い直す。
「い、いえ……そういう意味では……」
けれど、その言い直し自体が、さらなる矛盾を生んでしまう。
会場のあちこちから、小さなどよめきが漏れ始める。
全国の視聴者たちも、同じ違和感を覚えているはずだ。
「時系列めちゃくちゃ」
「さっきと言ってること違う」
そんな言葉が、画面を埋め尽くしているであろうことは、想像に難くない。
法律オタクの学生などは、几帳面に矛盾点を書き並べているかもしれない。
日付、場所、人物、そのすべてが、少しずつ噛み合わなくなっていく。
一つひとつは小さなずれでも、積み重なれば大きな綻びになる。
それこそが、私が最初から狙っていたことだった。
声を荒げる必要はない。
証拠を突きつける必要すらない。
ただ、同じ質問を、静かに繰り返すだけでいい。
嘘は、繰り返すたびに、少しずつ形を変えてしまうものだから。
真実だけが、何度問われても変わらない答えを返す。
幼い頃、父から教わった言葉を思い出す。
事実は一つだが、嘘は語るたびに形を変える、と。
今まさに、目の前でその通りのことが起きている。
アリア様は、次第に言葉少なになっていく。
最初の余裕も、涙も、今はもうどこにも見当たらない。
ただ、俯いたまま、小さく震えているだけだった。
国王陛下が、静かに告げる。
「これらの矛盾について、どう説明するつもりか」
アリア様は、しばらく答えられずにいる。
やがて、消え入りそうな声で呟く。
「……分かりません。頭が、混乱していて……」
その一言に、会場は完全な沈黙に包まれる。
誰も、彼女を庇う言葉を持たない。
レオン様でさえ、青ざめた顔で立ち尽くしている。
宰相グレゴール様だけは、変わらぬ静けさを保ったままだ。
その静けさが、今の私には何よりも雄弁に思える。
国王陛下が、私に向き直る。
「セリーヌ、他に問うべきことはあるか」
私は、一度深く息を吸う。
そして、静かに答える。
「今のところは、ございません」
「ただ、これほど多くの矛盾が重なる背景に、何か別の意図があるように思われます」
その言葉に、会場が再びざわめく。
国王陛下は、しばらく考え込むように黙り込む。
「その点についても、追って調査を進める」
そう告げて、本日の開廷は幕を閉じる。
会場を出る間際、私はふと、宰相グレゴール様の横顔を見る。
相変わらず、何の感情も読み取れない。
けれど、その無表情こそが、今の私には最も気にかかるものだった。
一つの嘘の裏に、もっと大きな何かが隠れている。
その確信は、もはや疑いようのないものになっていた。
控えの間へ戻ると、父が静かに待っていてくれた。
「よくやった」
短いその一言に、これまでの緊張が、少しだけ緩む。
「まだ、終わっていません」
そう答えると、父は静かに頷く。
「分かっている。だが、お前の戦い方は、間違っていない」
その言葉を胸に、私は次の段階へと思考を切り替える。
証言の矛盾は、もう十分すぎるほど明らかになった。
次に問うべきは、誰がこの筋書きを描いたのかということだ。




