第二章 公開裁判
レオンの声の余韻が、まだ会場の空気に残っている。
誰も動けずにいる中、最初に口を開いたのは国王陛下だった。
静かに、しかしよく通る声で告げる。
「この場で、公開裁判を行う」
一瞬、会場が凍りついたように静まり返る。
舞踏会の会場が、そのまま法廷に変わる。
誰も予想していなかったことだろう。
私自身も、内心では驚きを隠せずにいた。
けれど顔には出さない。
国王陛下がこの制度を作った理由を、私は幼い頃から何度も聞かされてきた。
王族の慶事も過ちも、隠さず国民の前に晒す。
それこそが、この国を支える透明性なのだと。
まさか、その理想が自分自身に向けられる日が来るとは、想像もしていなかった。
王家の鏡は、まだ淡い光を放ち続けている。
配信は止まらない。
この瞬間もまた、全国の魔導スクリーンに映し出されているはずだ。
衛兵たちが手早く椅子を並べ替え、中央に空間を作っていく。
給仕たちも壁際に下がり、静かに成り行きを見守る姿勢に変わる。
楽団は完全に演奏を止め、楽器を抱えたまま立ち尽くしている。
天井から下がる燭台の灯りだけが、先ほどと変わらず会場を照らしている。
その明るさが、今はどこか場違いにさえ感じられる。
国王陛下が、簡易の玉座に腰を下ろす。
その両脇には、記録係の文官が二人、羊皮紙とペンを構えて控えている。
私は、婚約者としての席ではなく、被告として扱われる位置に案内された。
不思議なほど、屈辱は感じない。
むしろ、これでようやく事実を確かめられると、心のどこかで思っている自分がいる。
会場の隅では、父が拳を強く握りしめている。
公爵家の当主として、軽々しく声を上げるわけにはいかないのだろう。
それでも、視線だけは私から一度も逸れない。
リズが心配そうに近づこうとするが、衛兵に止められてしまう。
小さく首を振って、彼女を目で制する。
大丈夫だと伝えたつもりだった。
国王陛下が、静かに宣言する。
「聖女アリア・フェルミナの証言を聞く」
続けて、国王陛下は形式通りの言葉を口にする。
「偽りを述べれば、神殿の名にも傷がつくと心得よ」
アリア様は、その言葉に一瞬だけ瞳を揺らす。
けれどすぐに、悲しげな微笑みを浮かべて頷いてみせる。
「もちろんです。すべて、真実のみをお話しします」
その返答に、会場の空気がわずかに緩む。
誠実さの証のように受け取られたのだろう。
私にはむしろ、用意されていた台詞のように聞こえてならなかった。
アリア様が、涙を拭いながら前に進み出る。
白い衣装の裾が、床に触れるたびに小さく揺れている。
会場の視線が、一斉に彼女へと集まる。
誰もが、傷ついた聖女を気遣うような眼差しを向けている。
その視線の温かさが、今の私に向けられることは、もうないのかもしれない。
彼女は震える声で、ゆっくりと語り始める。
「半年ほど前のことです……」
一拍置いて、続ける。
「神殿の階段で、セリーヌ様に突き落とされました」
会場が、小さくどよめく。
アリア様はさらに続ける。
「後ろから突然、強く押されて……気づいたら、階段の下に倒れていました」
涙声で、当時の恐怖を語るように肩を震わせる。
周囲からは同情の視線が集まっていく。
私は、何も言わずにその証言を聞いている。
手元の紙に、日付らしき言葉と場所を静かに書き留めるだけだ。
感情を交えず、ただ事実として記録していく。
半年前と言えば、私は隣国からの使節団を迎える準備で、神殿へ足を運ぶ余裕すらなかったはずだ。
記憶の糸を辿りながら、静かに違和感を書き足していく。
突き落とされたと言うのなら、当然、周囲に人がいたはずだ。
神殿の階段は決して人通りの少ない場所ではない。
それなのに、目撃者の名前は一人も語られない。
小さな綻びだが、確かにそこにある。
アリア様の証言は、まだ終わらない。
「それだけではありません」
声を落とし、さらに続ける。
「お茶会の席で、飲み物に毒を盛られたこともあります」
会場のざわめきが大きくなる。
貴族の何人かが、私の方を非難するように見つめてくる。
アリア様は、胸の前で手を握りしめながら訴える。
「あの日、口にした途端に、喉が焼けるように痛みました」
誰かが小さく息を呑む音が聞こえる。
私はやはり、何も反論しない。
ただ淡々と、証言の内容を書き留めていく。
日にちを、場所を、状況を。
記憶力には自信があるが、それでも記録は正確さの支えになる。
感情ではなく、事実の積み重ねこそが、後に物を言うと知っているからだ。
毒という言葉の響きは、会場にいる誰の心にも重く響いたようだった。
国王陛下の眉間にも、深い皺が刻まれていく。
もし本当に毒を盛られたのなら、当然、治療にあたった薬師がいるはずだ。
けれど、その名前も、症状の詳細も、アリア様の口からは出てこない。
喉が焼けるように痛んだと言うわりに、声はいつも通り澄んでいる。
小さな違和感が、また一つ積み重なっていく。
アリア様は、最後にもう一つの出来事を語り始める。
「教会でも、酷い言葉を浴びせられました」
涙で声を詰まらせながら、続ける。
「お前のような卑しい生まれが、聖女を名乗るなと……そう言われました」
会場の空気が、完全に私への非難一色に染まっていく。
国王陛下でさえ、眉間に深い皺を刻んでいる。
王妃マリア様は、口元を押さえたまま言葉を失っているように見える。
かつて私に礼儀作法を教えてくださった方が、今は疑いの眼差しでこちらを見ている。
その事実だけで、胸の奥が締めつけられるように痛む。
レオン様は、勝ち誇ったような表情を隠しきれずにいる。
その様子を、私は静かに視界の端で捉えている。
かつて共に国を支えようと誓い合った相手が、今は敵のように私を見下ろしている。
胸の奥に小さな痛みが走るが、それでも顔には出さない。
教会での暴言というくだりも、具体的にどういう経緯で発した言葉なのか、いつのことなのか、やはり曖昧なままだ。
神殿という場所柄、口さがない言葉が飛び交うことは珍しくないのかもしれない。
けれど、それを私が発した言葉だと結びつける根拠は、今のところ何一つ示されていない。
一方で、宰相グレゴール様だけは、腕を組んだまま眉一つ動かさない。
その落ち着きぶりが、やはり気にかかる。
まるで、この展開をすでに知っていたかのような静けさだった。
全国の魔導スクリーンにも、この光景はそのまま流れているはずだ。
コメント欄には、次々と新しい言葉が浮かんでは消えているに違いない。
脳裏に、その光景が容易に浮かんでくる。
「こんなの有罪だろ」
「終わったな」
そんな言葉が、全国の画面を埋め尽くしているであろうことは、想像に難くない。
いつも私の悪口を書き込む酒場のおじさんも、今夜ばかりはかなり楽しんでいるだろう。
逆に、パン屋のおばさんは、レオン様への非難を交えながら騒いでいる頃だろうか。
そんな想像さえも、今は冷静に頭の片隅で処理している自分がいる。
会場にいる貴族たちの視線も、同じ結論に近づいているように感じられる。
誰もが、私を疑いようのない加害者として見ている。
けれど、私の心はむしろ静まり返っていく。
不思議なことに、恐怖よりも先に、冷静さが勝っていく。
叫んでも、泣いても、この場は変わらない。
変えられるのは、事実だけだ。
私は手元の紙に、最後の一文を書き加える。
三つの事件、それぞれの日付、場所、状況。
並べてみると、奇妙なほど、細部が曖昧なことに気づく。
具体的な日付を、アリア様は一度も口にしていない。
場所の描写も、どこか教科書的で、実感が薄い。
涙の量に反して、言葉そのものには温度が感じられない。
違和感は、確信に変わりつつある。
けれど今は、まだ口にしない。
証拠もないまま反論すれば、感情的な反発と受け取られるだけだ。
国王陛下が、重い声で私に問いかける。
「セリーヌ、何か言うことはあるか」
会場中の視線が、一斉に私へと集まる。
全国の視聴者たちも、固唾を呑んでこの瞬間を見つめているはずだ。
私を庇う声は、おそらくどこにもない。
それでも、慌てる必要はない。
感情に任せて言葉を発すれば、それこそ相手の思惑通りになる。
私は一度、深く息を整える。
そして、静かに、はっきりと告げる。
「質問は後ほど」
短いその一言に、会場がわずかにざわめく。
反論も弁明もしない私の態度は、彼らの目にどう映っているのだろう。
罪を認めたと受け取る者もいるかもしれない。
それでも構わない。
今はまだ、材料を集める段階だ。
焦って動けば、綻びを見逃してしまう。
国王陛下は、しばらく私を見つめた後、静かに頷く。
「よかろう。追って尋問の機会を与える」
その言葉と共に、ひとまず今宵の裁判は中断されることになった。
会場を包む空気は、依然として重い。
アリア様は、涙を拭いながら、周囲から労わるような言葉をかけられている。
レオン様は、ようやく肩の力を抜いたように見える。
騎士団長のアルフレッド様だけが、退室する間際、私に小さく頷いてみせる。
言葉はないが、その仕草だけで十分だった。
彼はきっと、すでに動き始めているはずだ。
衛兵の拘束が解けたところで、リズがようやく駆け寄ってくる。
「セリーヌ様、大丈夫ですか」
「ええ、平気よ」
短く答えながら、私は静かに立ち上がる。
会場を出る間際、父と目が合う。
何も言わず、ただ小さく頷いてくれる。
その仕草だけで、十分に伝わるものがあった。
私はといえば、手元の記録を静かに折りたたみ、懐にしまう。
証拠は、まだ足りない。
けれど、綻びは確かに見え始めている。
隣国の使節を迎えた日の記録は、外交府に必ず残っているはずだ。
教会で毒などという物騒なものが本当に扱われていたのかも、確かめる価値がある。
そして、あの日教会にいたと言うのなら、当日の様子を知る者が他にもいるだろう。
一つずつ、丁寧に潰していけばいい。
嘘は、事実の前ではどうしても脆くなるものだ。
全国が見つめる中で始まったこの裁判は、まだ幕を下ろしていない。
むしろ、本当の戦いは、これから始まるのだと感じている。




