「第4章 放物線を描く水と水没と」(2-2)
(2-2)
「あくまで直人の話を聞いただけだから、間違っている可能性は充分勿論あるけどな」
「ああ、それは分かってる大丈夫だ。その話と今回の件は、どれくらい関係してるんだ?」
直人の質問に芳樹は「はぁ?」と片方の口角を上げた。
その言い方にどこか怒られている気がした。
「向こうはお前との距離が離れている=別れたいと思われていると不安になったんじゃないか? それで少しでも縮めようとサプライズを考えたんだよ」
「そんな、まさか」
芳樹の発言に流石にそれはないんじゃないかと直人は疑った。
「どうして疑う?」
「だって学生時代ならともかく、もうお互いに良い社会人なんだぜ? 普段から働いている訳なんだから、ちょっと忙しくて時間が取れなかったくらいで……」
お互いに社会に出て働いている。大学に行けば無条件で会えたあの頃とは違うのだ。会う為には予め時間を作る必要があるし。たとえ約束をしても急な用事で会えなくなる事だってある。
たったそれだけの事で別れるまで考えるのは、いくら何でも短絡的過ぎる。
直人がそう考えていると、芳樹はじっとこちらの顔を見て「なぁ、」と声を上げた。よく見たら彼の手元にある酒は殆ど減っていなかった。
「何だよ?」
「お前の忙しい理由って、本当に仕事だったのか?」
「……えっ?」
芳樹に指摘されて思わず、直人は固まってしまう。
その瞬間を芳樹は見逃さない。
「ほら、やっぱりな。ったく、浮気か?」
「違う違う。そういうのじゃなくて、」
浮気ではない。それは断言出来る。しかし、当の晴香にはずっと仕事だと嘘をついていた。
「言っとくけど、ちょっと話を聞いた俺ですら察するくらいなんだから、木島さんはとっくに気付いたんだろうな。お前が何かを隠してるって。気付かないふりをしてくれたんだよ」
芳樹に指摘されるまで直人は、そのあたりは上手にやれていると思っていた。
それに忘望病の話は、晴香に話す事ではない。彼女と出会うずっと前の出来事で自分自身の問題だと考えていた。
だがその結果が、あの夜を作ったとしたら。
直人はようやく全てを理解する。
芳樹がそれまで止めていたハイボールを勢い良く飲んでいた。
それに合わせてこちらもレモンサワーに口を付ける。レモンの酸味とアルコールの味が喉を通り過ぎていく。
「それで? 実際は何やってたんだよ? 浮気じゃないってなら、話せるだろ。まさか、マジな犯罪とかじゃないだろうな」
「違うから。そういうのじゃない。ただちょっと……、」
「ちょっと、何だよ?」
芳樹に詰められても直人は、上手く説明が出来ない。忘望病について彼は全くの部外者である。晴香と同じで話す事じゃない。
さやかが和倉 瑠奈の事を話さなかった気持ちが理解出来た気がした。
直人が話す気がないのを悟ったのか、芳樹は「……事情があるなら無理に話せとは言わないけどさ」とハイボールに口を付けた。
「悪い」
「馬鹿。謝る相手は俺じゃないだろうが。少なくとも木島さんには話せよ。誤解したまま放置しておくと取り返しの付かない事になるからな」
「肝に銘じておくよ」
芳樹の忠告に直人は素直に頷いた。すると彼は満足したようで笑顔になった。
「よし。それでいい。」
二人の間に流れていた重い空気がようやく軽くなってきた。
「これで直人の話は終わり?」
「ああ、ありがとう。今度はそっちの話を聞かせてくれ」
「了解。つっても直人と違って話自体は簡単なんだけどな。俺が先月末で会社を辞めたってだけだから」
「でもどうして?」
芳樹が優秀な人物である事を直人は分かっている。確かに慣れない土地で人間関係に多少の苦労はあるかも知れないが、その程度なら自力で解決出来るはずだ。
「端的に話すと、あの会社に疲れちゃったから」
「疲れちゃったか」
芳樹にそう言われてしまうと、直人としては労って返すしかない。
「すっごい疲れた。仕事自体はそれなりにやりがいがあったんだけどなー」
「やりがいはあったのか」
「そりゃな。最初転勤になった時は、知り合いが誰もいない中で不安でさ。正直、出稼ぎの気分だったよ。先輩に聞いた話だと四年で東京に戻れるらしいから。それまでの辛抱だと思って頑張ってた」
「四年っていうと、大体残りが……」
「二年と三ヶ月だな。あともうちょっとで折り返しだった」
「そっか」
瞬時に答えられるあたり、芳樹はその時を待ち侘びていたのだろう。
「出稼ぎの気分だったけど。少しずつ仕事を覚えてさ、自分の力でプロジェクトを終わらせると達成感があったんだよ。取引会社の担当さんと打ち上げもしたんだ。大阪の美味しい居酒屋に沢山連れてってもらったよ」
「話だけを聞いてると、結構楽しそうに思えてくるけど」
出稼ぎだと最初言ってきた時は大丈夫かと心配したが、話しぶりからはそんなに悪くは感じない。むしろ直人の方が、ここ最近はそういった飲み会に参加していない。いつも仕事に追われている。
「それがさ、仕事が楽しいのって俺だけったんだよね。あそこの事務所で働いている連中は、基本的に仕事が好きじゃなかったんだよ。だから打ち上げしたいのなんて俺くらいしかいなくてさ」
「あくまで金を稼ぐ為の手段として働いている人達?」
「そうそう。だから面倒事は嫌なわけ。とっとと、成果出して終わらせたいんだよ」
芳樹の話を聞いて、直人の頭には準社員・派遣社員達の三人が頭に浮かんだ。彼女達は基本的にそこまで仕事に対して、好きだとかやりがいという感情は持ち合わせていない。
麻野が彼女達を自然と下に見ているのもそこが原因である。
無論、彼女達はこちらが頼んだ仕事に対して、決して手を抜いたりはしない。頼んだ事をきちんとやってくれている。だから直人としては不満はない。




