「第4章 放物線を描く水と水没と」(1-2)
(1-2)
芳樹が店の引き戸をガラッと開ける。それに反応して、こちらに来た店員に予約している旨を伝えると、店員はパソコンを操作して確認する。
予約の確認が終わると、二人を店の奥にある個室へと案内した。
個室に入るなり、芳樹は「あっ、」と小さな声を出して振り返る。
「ワリ。何も考えずに個室にしちゃったけど、カウンターの方が良かった?」
「いや、個室で構わない」
おそらく芳樹は話をする為に個室を選択した。それだけ本人にとっては周りに聞かれたくないという事になる。
言っていた覚悟というのは、あながち冗談ではないようだ。
芳樹の意図を感じて直人は自然と緊張した。
個室に座敷に対面で座り、店員に芳樹がメニューを持って注文を始める。
「最初に適当に頼んでいい?」
「ああ。頼む」
「了解」
直人の許可を得た芳樹は生ビールを二つと、焼き鳥の十種盛り合わせ。
それから塩キャベツと枝豆を注文した。注文を聞いて、店員が「それでは失礼致します」と丁寧に頭を下げて、個室を出た。
カタンっという音と共に個室の引き戸が閉められると、ようやく二人きりになった。途端に芳樹が「ふぅ〜」と息を吐いた。
「あぁ〜。それにしても今日は暑くね?」
「もう九月も半ばなのにな。八月と比べて、そこまで気温下がってない気がする」
「そうそう。全然、涼しくなった気がしないわ。あぁ〜。一体このまま日本はどうなってしまうのか」
意味もなく芳樹がそう嘆いていると「失礼致します」と、店員がトレーを持ってやってきた。こちらが注文した生ビールのジョッキ二つと焼き物以外の料理を運んできた。
二人の前にビールが置かれて、その横に塩キャベツとお通しと枝豆が置かれる。
店員が個室を去った後で、二人はジョッキを持って「お疲れ〜」と、ジョッキをカンっと軽く合わせる。そしてジョッキに口を付けた。
夕方から飲む生ビールが凄まじい勢いで全身を駆け巡る。家で飲む缶ビールも美味しいけど、こういう店で飲む生ビールのジョッキには敵わない。
「……っぷふぁ! あぁ〜、生き返る」
ジョッキから口を離した芳樹の第一声は大学生時代とあまり変わっていなかった。
「本当美味いなぁ。暑いからこそ、余計に旨さは引き立つよ」
「夏のビールってエグい程、旨いもんな」
「それには本当同意。ココ最近、仕事が忙しくてさ。飲み過ぎはダメなのは分かってるけど、つい飲んじゃうもん」
そう言った直後、直人は口が滑ったと後悔した。目の前の芳樹は現在、働いていない。その彼の前で無神経な発言だったかも知れない。
直人がそう考えていると、芳樹が小さく笑った。
「そんな気を遣わなくていいって。俺だって働いていた訳だから直人の気持ちは理解出来るし」
「ああ……」
その言い方で直人は、現在の芳樹の環境を察してしまう。その空気を重く感じて目の前の枝豆に逃げた。よく冷えた枝豆は塩が振られていて美味しかった。
「LINEでも書いたけどさ。会社辞めたのよ俺」
「大阪から東京に転勤とかじゃなくて?」
一応の確認の意味も込めて、直人が尋ねると芳樹が笑って「違う違う」と手を振った。
「転勤なんて二億パーセントあり得ない。だってずっと異動願いは出してたからね。それでも一回も通らなかったんだから」
「って事は、次の転職先が東京だからココに戻ってきた?」
「それも違う。まだ何も決まってない。だから俺は今、無職だな。ホントの無職」
芳樹が話しながらビールを飲んだ。
直人の知っている彼だったら、辞める前に次の会社を見つけるくらいはしていた。それ程までに勤めていた会社が過酷だったという事だ。
「それってさ――、」
直人が更に話を聞こうとした時、芳樹がそれを遮って手を前に出した。
「俺の話はまず一旦置いておこう、長くなるから。その前に直人の話を聞かせてくれ。木島さん関係のやつ」
「ああ。分かった」
先にこちらがするとは思わなかった。内心、驚きつつも直人は口を開いた。そのタイミングで個室のドアが開き、注文していた焼き鳥の十種盛り合わせが到着した。
テーブルの中心に並べられた焼き鳥は温かく良い匂いがして、それが個室中に一気に充満した。
「あ、ワリィ。直人の話ちょっと待って。先に焼き鳥食べよう。すげぇ美味そう。我慢出来ない」
芳樹の言い方に思わず笑ってしまいながら、「了解」と直人は了承する。こういうところは自分が知っている彼と何も変わらなかった。
用意された焼き鳥十種盛り合わせを二人で適当に選んで食べる。
定番のねぎまや軟骨からつくねまで多種多様だった。
直人はココ数日は仕事で忙しくて焼き鳥なんて食べなかったので、久しぶりに食べる濃いタレの味はとても美味しくて一口食べる度にビールが進んだ。
「この店当たりじゃない? どれも普通に美味しいんだが」
「分かる。最初にピックアップして良かった。ランキング上位なだけあるわ」
重くなりかけた空気は美味しい焼き鳥で弛緩した。
そこからすぐに晴香の話はせずに、二人は学生時代に食べた大衆居酒屋の話になる。学生御用達の一本百円の焼き鳥屋に当時はよく通っていた。
今日みたいに二人で食事をする事もあれば、大人数でテーブルで騒いだ事もあった。あの頃の焼き鳥はとても美味しかったけど、やはり思い出が加味されている。
何故なら今、あの店の話をしながら二人は笑っている。
あそこよりも数段美味しいこの店の焼き鳥を食べながら。




