「第2章 思い出探索」(3-2)
(3-2)
顔を上げたさやかは力なく首を振った。
「ゴメン。見た事あるような気はするんだけど、覚えていないや」
最後の希望が見事に打ち砕かれてしまった。
自然と上がっていた直人の両肩が降りる。
「……そう、か」
「ココまで出かかってるんだけど、思い出せないなぁ。誰だろう? 私服だよね? 二人で勉強してる時にたまたま来ていたお客さんとか?」
「いや――」
それはない。と咄嗟に言おうとして直人は口を噤んだ。それを言ったところでさやかが覚えていないのなら、意味がないからだ。
三人の間に漂った沈黙に手をパンっと叩いて、香夏子が消し飛ばす。
「誰も覚えていないのならしょうがない。案外こうして話している間にふっと思い出すかも知れないでしょう? それを待ちましょ」
香夏子はアルバムを閉じてカウンター下に片付ける。ひょんな事で思い出す可能性があるなら、せめて手掛かりは、目に見える場所に置いてほしかったけど、それを訴える事はしなかった。
香夏子なりに気を遣ってくれているのは理解出来るし、無理したをしてもいい事はない。引き際の大切さを直人は大人になって嫌と言う程学んだ。
それから二十分程、三人で話を続けていたがやはり彼女の事を覚えていないのが効いたのか、あまり盛り上がる事もなく、次第に会話の熱は冷めていき、お開きになった。
会計を済ませて別れ際に香夏子が二人に口を開く。
「今日は二人が来てくれて凄く嬉しかった。また前みたいにいつでも遊びに来てね。まあ、東京に住んでる直人君は難しいかも知れないけど……」
「そうですね。流石に高校の時みたいに気軽に来るのは難しいですけど、機会を見つけてまた来ます」
「うん、ありがとう。待ってるからね」
香夏子は笑顔で感謝を言ってきた。その言葉を聞くと、これからもちゃんと来ようと思える。
「私はいつでも来れるので、もっと沢山来ます。それこそ直人君の分まで来ちゃおっと」
「本当〜? 嬉しい〜」
そう話すさやかとそれを聞いて喜ぶ香夏子。
二人の様子を見ても直人は未だ高校時代、彼女と勉強をしていたのが思い出せなかった。
「どうだ? 羨ましいだろ〜」
直人がそう思っていると、さやかが得意気な顔でこちらに見てくる。
「はいはい。羨ましい羨ましい」
「あ〜、思ってないでしょう。きっと普段彼女の美味しい手料理ばかり食べてるから、グリーンドアの有り難みが薄れてるな〜?」
「えっ、直人君羨ましくないの……?」
さやかの隣で香夏子が不安そうな表情を向けてくる。
「えっ!? いや、そんな事はないです。いつだって来たいと思ってますよ。でもやっぱり場所的に少し難しいって言うか……」
必死に直人が弁解すると「ふふっ、」と、香夏子が小さく吹き出した。
「そんなに必死にならなくても大丈夫。直人君がグリーンドアを大切に思ってくれているのは、分かってるから。来れる時にいつでも来てね」
「ありがとうございます。また来ます」
香夏子と別れの挨拶を交わして、二人はグリーンドアを出て三宮駅前の道のりを並んで歩く。店では三人で仲良く話せていたが、二人きりになった途端、空気が気まずくなる。
「何か軽く夕食でも食べる?」
「んー。いや、いいよ。明日も用事あって早いんだ。ごめん」
「いや、それならいいんだ」
夕食を誘って断られた会話が最後でそれから会話らしい会話はなかった。あらためて二人きりではダメなんだ。
間に香夏子がいたからこそ、成立していた関係だったのを知った。
二人はそのまま駅へと歩く。アーケード街に入ってくると、土曜の夜という事もあって、人の往来が一気に増えた。
それが僅かではあるが、漂う気まずさを隠してくれる。
横断歩道で信号を待っている際、さやかから「ねぇ」と声を掛けられる。
「何?」
「直人君ってさー、」
「ああ」
「私の事、覚えてないんでしょ?」
突然、核心を突いた質問をさやかから投げられた。思わず直人は固まってしまう。そんな事はない、何を言っているんだ。ちゃんと覚えている。そう返すのが正解だと頭では理解している。
でも理解しているだけで、それを口に出す事は出来なかった。
お互いの視線が交差する。
揺れる直人の瞳がもう答えを言っているようなもので、抑え切れずに顔を逸らしてしまった。
その様子にさやかが短く笑った。
「顔に出すぎ」
「あっ、えっと……」
どう答えていいか分からず未だに戸惑っていると、空気を察した横断歩道の信号が赤から青に変わった。
「ほら、渡ろ?」
さやかは直人が何かを言う前に歩き始める。まだ固まっていた彼は、先に歩き出した彼女に遅れる形で続いた。
見抜かれていた事実を知った直人は、小走りでさやかの隣に追い付く。
「ゴメン! 別に騙すつもりはなかったんだ。本当に覚えていなくて」
邪な気持ちを抱いていると思われるのが嫌で直人は、必死に弁明する。
「いいよ、大丈夫。そのへんは分かってるから。無理もないし」
「それって、どういう……」
直人が困惑していると、さやかは「おっと、」と言って口に手を当てた。
彼女が何かを隠しているのは明白だった。
二人は三宮駅まで到着する。駅構内には更に人の姿が多かった。
「じゃあね。私、JRだから。直人君は新幹線って事は、地下鉄?」
「ああ、うん。そうだけど」
別れが訪れても到底、直人は納得出来ない。一度は、諦めかけた手掛かりがこうして、目の前にある。
それなのに東京に帰らなければならないのが、本当に悔やまれた。
「ったく、まだ別れたくないって顔してるね」
「そりゃ、あんな言い方をされて、このまま別れるのは難しいな」
「おお。素直で宜しい。そうだね、確かに私も出来る事なら話してあげたいんだけど、時間がね〜」
さやかは元々、グリーンドアに来る時間が遅かった。加えて明日も早くから用事があると言うなら、これ以上は本人的にも難しいのだろう。
時間がないのは直人だって同じだ。彼だって日頃の時間をやりくりしてココまでやって来たのだ。
少し強引だが、さやかに詰めてみるか。
直人がそこまで考えていた時、さやかが、手のひらをパンと叩いた。
「そうだ、忘れてた。私、二週間後に東京に行く用事があるんだけどさ。その時にご飯食べながら話さない? 時間作れる?」
「作れる」
直人は何も考えず即答で答えた。
「よし。じゃあ、二週間後で。その時にはちゃんと話すから」
「ありがとう。なんかゴメンな」
「ううん、気にしないで。面倒な事してる自覚あるから。それより連絡先、交換しよう。東京駅周辺とかよく知らないから。会う時に何処かお店探しておいて」
「任せてくれ。いい店探しておくよ」
連絡先を交換して、直人はさやかと別れた。彼女が「じゃあね」と言って、JRの改札を通って、人々に紛れて見えなくなる。
最後の最後に何とか収穫があった。それに安堵して、直人は地下鉄の改札へと続くエスカレーターを降りて行った。
帰りの新神戸の駅で晴香用にお土産を買おうと土産物屋を物色する。
色々と見て回ってチョコレートのラングドシャを購入した。ついでに夕食を食べ損なっているので、駅弁とお茶も購入する。
それらを持って、ホームに上がると、丁度、新幹線が到着するアナウンスが鳴ったので、列が少ない自由席へと並んだ。
「ふぅ、」
窓際の席を確保する事が出来た直人は口から息を吐いた。座席のテーブルを下ろして買った駅弁とお茶を乗せる。弁当を選んでいる時は、食欲があったのにいざ食べる段階になると何故か食欲が湧かない。
思った以上に体が疲労していたのが座席に座って初めて実感した。
新幹線はドアが閉まり、ゆっくりと東京方面に向かって発進する。窓に顔を向けながら、頭の中で今日の出来事を整理していた。
突発的な移動ではあったけど、何とかなって良かった。帰ったら晴香には問題なかったと伝えておこう。
社会人になって、両親が東京に遊びに来た際に一度四人で食事をしている。
その時に晴香は母親と連絡先を交換していたはずだ。
病気とかそういう話に発展してしまうと、おそらく彼女から母に大丈夫かと連絡をしてしまうだろうが、先にこちらから何でもなかったと言っておけば、まず問題ないだろう。
直人が嘘をつく事が心苦しいと感じていたのは、この一回だけだった。
二週間後のさやかとの食事の件については、既に罪悪感の意識がない。
今はとにかく件の彼女について情報がほしい。
その為に少しでも出来る事があるならすぐに動く。
そう考えながら直人を乗せた新幹線は、東京へと向かっていった。




