「第2章 思い出探索」(2-3)
(2-3)
「……いた」
対面上のテーブルには彼女が写っていた。笑顔で直人と一緒にカメラに向かってピースをしている。制服を着ていない? 自分より、歳上に見えなくもないけど、そこまで歳は離れていないように見える。少なくとも今の香夏子よりは若く見える。
直人は半信半疑な心持ちでアルバムから写真を抜き取る。
しかし、写真に触れた瞬間、指先から全身に電流が流れた。
疑問が全て核心へと変わる。
間違いない、彼女だ。
ココ数日、ずっと夢に出てきて姿形が曖昧だった彼女本人だ。写真で姿を見て、一目で本物だと確信した。
「彼女ですね、間違いないです」
「うん、そうみたいだね」
隣にいる香夏子に告げると彼女も驚いた表情で頷いた。
「何か思い出しましたか?」
香夏子に向かって写真を差し出す。彼女は直人から写真を受け取ると、顔を近付けてじっと見ていた。
残念ながら直人には写真を見てもそれが彼女だという事しか分からない。
手掛かりに繋がる詳細な情報は一切、思い出せなかった。香夏子から何か新しい情報が得られれば追いかけられる。
だが、そんな淡い希望も香夏子がゆっくりと首を振った事で打ち砕かれた。
「……ごめん。写真を見たら確かにこの子がいたのは、思い出せたけど、どこの誰なのかは全く思い出せない」
「そうですよね。俺もこの写真を見るまで顔を思い出せなかったですから」
香夏子は数年ぶりに店に訪れた直人の事もちゃんと覚えていた。その彼女が思い出せないのなら、それはそういう事なのだ。
「この写真、iPhoneで撮ってもいいですか?」
「それは構わないけど、」
「ありがとうございます」
今日はこの写真を見つけただけでも大きな収穫だ。少なくとも東京にいたままでは、彼女の顔は永遠に分からなかった。
写真を撮り終わり、アルバムに戻すと直人は、パラパラとページを捲る。アルバムには自分達以外にも仲の良さそうな常連との写真が何枚か写っていた。この店に訪れる客には、それぞれにちゃんとした物語があるのだ。
尚もページを捲っていると、再び自分と彼女が写っている写真があった。その写真を見て、直人が眉を顰める。
ソファ席にいるのは同じだが、どうやら季節が冬に変わっているようだ。テーブルに置かれたコーヒーがアイスからホットに変わって、学校指定のコートが隣に置かれている。
直人が不審感を抱いたのは、そこではなく三人目の登場人物がいるからだ。自分と彼女ともう一人、女子がこの写真には写っている。
誰だ?
自分と同じ高校の制服を着ているから学生なのは分かる。
けど顔を見ても直人は何も思い出せない。制服を着た彼女は、例のもう一人の彼女の隣に座っており、笑顔でカメラに向かってピースをしている。
一枚の写真からでも三人の仲はとても良さそうに見える。それなのにどうして自分は何も思い出せないのだろうか。固まっている直人に隣で覗き込んでいた香夏子が「あっ、さやかちゃんだ!」と反応した。
先程とは違い、香夏子は明確に覚えていた。
「……さやかちゃん?」
直人がそう尋ねると、香夏子は「うん、」と頷いた。
「さやかちゃんもよくグリーンドアに来てくれたよね。直人君ともよく一緒に勉強してたじゃない。私、最初二人が付き合ってるのかなって思ったけど、二人共違うって言ってたし。懐かしいなぁ、今何してるんだろう?」
「えっと、」
香夏子にそう言われても上手に返せず、直人は曖昧な態度をしてしまう。その様子に気付いたのか、彼女は驚いた表情を見せた。
「もしかして、覚えてないの?」
「はい。写真を見ても全く」
「本当? 確かにこの子の事を覚えていないのは私も同じだったけど、さやかちゃんだよ? あんなに仲良そうに話してたのに……」
香夏子の口調からは、こちらを責めるのではなく、悲しいという気持ちが内包されていた。その気持ちに応えてあげたい直人だったが、やはり何度見ても本当に覚えていない。
「まさか、喧嘩でもした?」
「いや、本当に覚えていないんです。おかしい事を言っている自覚はあります。俺じゃなくて香夏子さんが覚えているって時点で、仲が良かったはずだし。制服も同じって事は、学校でも会っているはずだけど、それでも何も覚えていないっていうか、」
自分でも説明しながら胸が苦しくなってくる。直人の訴えを聞いて、香夏子は「そっか」と小さく声を発した。
「覚えてないのなら、しょうがないか」
「すいません」
「謝る事はないよ。もう十年以上前の話だしね。覚えていなくてもしょうがない。直人君、きっと大学や会社も忙しかっただろうから」
香夏子は精一杯フォローしてくれている。そんな彼女の優しさは、直人の罪悪感を加速させていく。
「そうだ!」
「はい?」
「今からさやかちゃんに連絡してみようか。私、連絡先知っているよ。それに彼女なら、この子について何か覚えているんじゃない?」
「確かに、その可能性はありますね。お願いしてもいいですか?」
「ええ。ちょっと待ってて」
香夏子はズボンのポケットから自身のiPhoneを取り出した。それを操作して耳に当てる。自然とカウンター越しの直人も緊張してくる。
『あ、もしもし。さやかちゃん? 久しぶり〜、グリーンドアの香夏子です。急に電話しちゃってゴメンね。今、時間大丈夫?』
電話が繋がったようで香夏子が向こうにそう尋ねる。彼女のiPhoneからは向こう側の声は聞こえてこない。
『えー、休日出勤だったんだ。それはそれは、お疲れ様です。じゃあ仕事終わりでもう帰る感じ?』
香夏子とさやかが話すのをジッと聞き耳を立てて様子を窺う直人。話しながら雰囲気的に電話を代わろうとしたのか、こちらをチラリと見てきたが、直人は素早く首を振ってそれを全力で否定した。
直人の拒否に諦めたような表情を見せて頷いてから「でね〜」と香夏子は話を続ける。
『今ね、グリーンドアに直人君が来てくれて、そうあの直人君。すっごい久しぶりに来てくれたの。うん? 代わるの?』
今度は向こうから提案されたのだろう。香夏子は困った表情を浮かべながら再度こちらを見る。流石にそれを断る事は出来ず、直人は頷いて手を伸ばす。
『あ、待って。直人君と代わるね』
香夏子がiPhoneの画面をエプロンで軽く拭いてから渡してきた。その気遣いに会釈で返してから、直人は受け取ったiPhoneを耳に当てる。
『もしもし』
『もしも〜し。直人君、久しぶり〜』
『……ああ、久しぶり』
もしかしたら声を聞けば思い出すかと思ったが、何も思い出せない。
『すっごい久しぶりじゃん。何々? 東京から帰ってきたの?』
『ちょっと家の用事で帰ってきて、懐かしくてグリーンドアに来たんだ』
覚えていない相手と如何にも付き合いがあるように話すのは、どうも違和感があった。まるで舞台上で演技をしている役者の気分だった。
『そうなんだ。私も久しぶりに行こっかなぁ』
『えっ? 来れるの?』
まさか彼女が来れるとは思っていなかったので予想外の展開に驚いてしまう。
『うん。今、梅田にいるから。三宮まではちょっと時間がかかるけど、待っててくれる?』
直人は反射的に店内のアンティークの壁掛け時計を見る。帰りは新神戸駅から新幹線で帰る予定で、まだ切符は購入していない。明日も日曜日で時間の制限はない。
『大丈夫、待ってるよ』
『ありがとう。じゃあすぐに向かうね。三宮に着いたら連絡するよ』
『了解』
『香夏子さんにもそう伝えといて。じゃあ後で』
彼女との通話が終わる。「ふぅ、」小さく息を吐いて、iPhoneを耳から話して香夏子と同様にズボンで画面を拭いて返した。
「ありがとう。それでさやかちゃんは何て?」
「ココに来るそうです。今、梅田なので少し時間はかかるけど、三宮に着いたら、連絡を入れるって言ってました」
彼女とのやり取りをそのまま香夏子に伝える。
直人からの報告を聞いて香夏子は「分かった」と頷いた。
「じゃあ、さやかちゃんが来るのを待ってようか」
「そうですね」
「それにしても直人君、ちゃんと頑張ったね。偉いぞ」
「えっ?」
突然、褒められて何の事か分からず戸惑っていると、香夏子が続ける。
「よくさやかちゃんがココに来るって話になった時に断らなかったね。逃げようと思えばいくらでも理由を付けて逃げられたのに」
「ああ、いや……」
香夏子の言う通り、もう帰るところだったと言えば、彼女も追及までしてこないだろう。
それでも自分が会う選択したのは、この場には香夏子もいて安心だったという点と、今日会わないと次はもう会えないのではないかという不安があったからだ。
「何かあった時はフォローお願いします」
「任せなさい」
直人の頼みに香夏子は自信満々にそう答えた。
安心した直人は、トートバッグから文庫本を取り出して、彼女が来るまでの時間を潰す事にした。




