第8話「実績解除【青】」
シートへ座った拍子に、久美子の胸元が少し緩む。
たどたどしくお弁当を広げながら、時折その豊満な胸を包む下着が見え隠れする。
今日のために買ったであろうトップスは、普段の久美子の服装より胸元が緩めだった。
本人は気づいていないのか、慣れない弁当箱に意識を向けたままだった。
俺は視線を逸らしながら、小さく息を吐く。
真子みたいな露骨さじゃないのに、その頑張っている感じが妙に圧として残った。
俺はなるべく気にしないように、久美子が広げた弁当の中身を覗いた。
甘い香りの卵焼き、ハムとチーズときゅうりを挟んだサンドイッチ、それに俺の好物だと覚えていた竜田揚げ。
彩りを意識したのか、ミニトマトやブロッコリーまで綺麗に詰められている。
「……ごめんね、ちょっと彩り悪くなっちゃったかも。」
久美子が照れくさそうに笑いながら、魔法瓶に入ったスープを差し出してきた。
「いや、めちゃくちゃ頑張ったでしょ。ありがとう。」
「朝六時に起きたんだけど、結構時間かかったからお母さんにも手伝ってもらっちゃって……」
「すごい気合い入ってる!おいしそうだし!お母さんにもありがとうって言っておいて!」
「あはは、ありがとう!」
そう言って笑う久美子の横顔を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
春の風で黒髪が少し揺れる。
周囲では同じように花見をしている学生や家族連れの笑い声が聞こえていた。
その空気の中にいると、俺もちゃんと普通の恋人になれている気がする。
普通ならその献身に胸が締め付けられる場面なのかもしれない。
だが俺の脳内では、別の計算が走っていた。
ここまで準備してくれたなら、それ相応の反応を返すべきだ。
ちゃんと喜ぶ、ちゃんと感謝する、ちゃんと美味しそうに食べる。
そういう正しい反応を俺が返せば、久美子は安心する。
「じゃあ早速、いただきます!」
卵焼きを口に運ぶと、久美子がホッとしたように顔を綻ばせた。
彼女にとって、このお弁当は愛情そのものなのだろう。
そして俺は、その期待に応える方法を、少しずつ理解し始めていた。
久美子の今日の服装は、そのサインであるのだろう。
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恙無く花見を終え、夜になった俺の部屋。
昼間の陽気の名残か、あるいは久美子の期待が部屋に残っているからか、空気はどこか柔らかかった。
テーブルの上には、昼に食べきれなかったおにぎりがラップに包まれたまま置かれている。
久美子はソファへ座ったまま、少し緊張した様子で指先をいじっていた。
「……土曜なのにそんなに混んで無くて良かったよね!それに、今日すごい楽しかったよ!」
「うん。」
「ちゃんと、お花見っぽかったし。」
そう言って笑う久美子の頬は、少し赤い。
俺はその表情を見ながら、妙に冷静だった。
前みたいな焦りはない。
どのくらい力を抜いて、どう触れればいいのか、どのタイミングで言葉を挟めば安心するか。
何度も繰り返したことで、もう分かっている。
「直樹くん……?」
名前を呼ばれ、俺は久美子の隣へ腰を下ろすと、お互いの肩が触れる。
その小さな接触だけで、久美子の身体がわずかに強張るのが分かった。
「……大丈夫?」
「う、うん……。」
そう答える久美子の声は、全然大丈夫そうじゃなかった。
俺は小さく笑って、「そんな緊張しなくていいのに。」と囁いた。
その言葉に、久美子が少しだけ安心したように笑う。
俺はその反応を見ながら、自然と次の動きを選んでいた。
久美子も前みたいに、ぎこちなく視線を逸らしたりしなかった。
そっと唇を重ねると、久美子は少し遅れて目を閉じる。
最初は触れるだけだったキスも、今では久美子の方から小さく舌を重ねてくるようになっていた。
その不器用な合わせ方に、妙な熱が腹の奥へ落ちる。
久美子のぽっちゃりとした身体つきそのものは、正直そこまで好みじゃない。
柔らかい腰回りも、胸の重さも、真子みたいな細さとは真逆だ。
でも、自分に慣れていく久美子を見ると、別の種類の欲が刺激される。
俺に触れられることへ安心し始めている。
俺に抱かれることを、期待し始めている。
そんな久美子の変化が、妙に性欲を刺激した。
久美子は緊張した呼吸のまま、俺の服を小さく掴んでいる。
俺はその指をほどきながら、ゆっくり身体を押し倒した。
今度は失敗しないように、空気を壊さないように。
そして何より、ちゃんと恋人らしく見えるように。
そう思いながら、俺は枕の下に隠していたゴムとローションを片手で確認した。
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結果は、あっけないほどに成功だった。
「よかった……。私、本当に……直樹くんと、ちゃんと付き合えた気がする。」
久美子が涙を浮かべながら、俺の胸に顔を埋める。
身体の繋がりによって、ちゃんと恋人になれたという確信があるのだろうか。
久美子の表情から、彼女が今、愛と多幸感で満たされているのが分かる。
対して、俺が感じていたのは、拍子抜けするほどの冷めた納得感だった。
就職前までの自分は、何をそんなに難しく考えていたんだろうか。
愛だの、絆だの、特別な時間だの、そんな精神論は必要なかった。
必要なのは、ただ性的接触への慣れと、自分のリソースの適切な配分。
真子といる時のように快楽への儀式として割り切ってしまえば、身体は驚くほど合理的に動いた。
結局、必要だったのは愛ではなく経験値だった。
恋愛も性欲も、効率的に子孫繁栄するために人間が作り出した仕様に過ぎない。
久美子が感じているであろう感動すら、俺が適切な手順を踏んだことで得られた成果ようなものだ。
そんな事を考えていたら、俺の頭の中でゲームの実績解除をしたときの音が鳴る。
これも一種のゲームだという事だろうか。
程なくして久美子が安心しきった寝息を立て始めた。
それを確認するために久美子の頭を少し撫でるが、久美子の寝息は安定していた。
俺は音を立てずにベッドから抜け出すと、月明かりに照らされた机の上で、スマホを手に取る。
共有カレンダーには、今日の日付に<桜デート>という青いログが、成功の証として刻まれている。
久美子側は今、この成功を愛の深化として記録しているはずだ。
だが俺側での認識は、久美子というゲームの安定攻略ルートを確認し、成功パターンを確立しただけ。
その時画面が短く震え、通知欄に表示されたのは、久美子とは全てが正反対の名前だった。
<明日ひま?>
真子からのメッセージだ。
全てを信じきったような寝顔の久美子を数秒だけ見つめ、それから迷うことなく指を動かした。
<多分夕方からは暇>
送信ボタンを押した後、俺はスマホを机に伏せた。
久美子との間に成功実績を作ったことで、俺の心は驚くほど軽くなっていた。
罪悪感など、もうどこにもない。
むしろ、久美子を満足させているという自負が、真子との関係をさらに安全なものへと昇華させていく。
「……どっちも、うまく回せる。」
温もりも快楽も、すべてを最適に、効率的に、管理下に置いている。
俺は再びベッドに入り、幸せそうに眠る久美子の腰を引き寄せた。
俺の腕は明日には、また別の体温を抱くことになるけれど、今の俺にはそれが不誠実だとはどうしても思えなかった。
夜の静寂の中、俺は深い全能感に包まれながら、静かに目を閉じた。




