第76話「【白】の感触」
週末の朝、スマートフォンを開くと、奈南からテンションの高いメッセージが届いていた。
<今日は直樹プランの日で!楽しみにしてるね!>
画面を見つめながら、俺は小さく笑った。
昨夜のうちに、今日の流れは大体決めてある。
昼は落ち着いた雰囲気の和食屋、食後は天気に左右されない水族館、夕方は駅前のレトロなカフェ、夜は俺の部屋へと誘う流れだ。
時間に余裕があれば、途中で小さな雑貨屋にも寄る。
奈南が好きそうなものを思い浮かべながら組み立てた一日だ。
たぶん、きっと楽しんでくれる。
待ち合わせ場所で奈南合流し、予約していた和食屋へ向かう。
暖簾をくぐり、落ち着いた個室の席につくと、奈南はメニューを見ながら嬉しそうに目を輝かせた。
「わあ、美味しそうだしお洒落!落ち着いた雰囲気の和食いいね!」
「よかった。奈南、こういう雰囲気好きかなって思ってさ。」
「ありがとー!」
感激したように笑う奈南を見て、俺も自然と頬が緩む。
食事が運ばれてくると、会話は自然と仕事の話へ移っていった。
相変わらず上司の話や、唯一いた同期が辞めてしまった話など、奈南は箸を動かしながら、次々と言葉を零していく。
俺はそれを遮らず、余計な正論も挟まず、ただ相槌を打ちながら聞いていた。
「大変だったな。」
「うん。」
「でも奈南、ちゃんと頑張ってると思うよ。」
「えへへ、ありがと。」
相手が相談で求めているのは解決じゃなくて、安心して話せる時間、少しずつ覚えてきた。
奈南は終始楽しそうに笑っていた。
その姿を見ながら、俺は静かな充足感を覚えていた。
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食後、時間に余裕があると判断した俺は、近くの路地裏にある小さな雑貨屋へ足を向けた。
店内を見て回っていた奈南が、棚の隅に置かれた小さな猫の陶器の置物の前で足を止める。
「あ、これ可愛いー……」
「奈南っぽいな。」
「えー、そう?」
「高校の頃、ノートの端によく描いてたキャラにちょっと似てる。」
奈南は目を丸くしたあと、すぐに顔をくしゃっとさせて笑った。
「すご……そんなの覚えてるんだ。」
「なんとなくな。」
「嬉しいな……」
そう言って笑う奈南の横顔を見ながら、こういう小さな積み重ねが大事なんだろうな、とぼんやり思った。
結局何も買わずに雑貨屋を後にし、俺と奈南は水族館へ向かった。
薄暗い館内で青い光に満たされた巨大な水槽の上から、ゆっくりと漂うクラゲたちを並んで見下す。
「なんか、こういう時間好き。」
手すりに寄り掛かり下で揺蕩うクラゲを見ながら、奈南がぽつりと呟く。
「俺も。」
「大学の頃、直樹ともっと連絡とって遊んでいたら良かったな。」
「今から取り返せばいいだろ。」
「そうだね。」
奈南は小さく笑い、そっと俺の腕に寄りかかる。
青い光に照らされた横顔は穏やかで、幸せそうだった。
きっと、全部うまくいっているという確信に近いものが、静かに胸の中に広がっていた。
そのまま、水族館を見て回ると気付けば夕方になっていた。
俺は奈南の手を引き、予定の最終ステップである駅前のカフェへと滑り込んだ。
テーマパークのピアノアレンジが流れる店内で、注文した珈琲を飲みながら、俺は今日のデートの進捗を脳内で総括していた。
すべてのイベントがスケジュール通りに消化され、奈南のリアクションもすべて良好だ。
ふと目の前の奈南に視線を戻した時、俺は小さな違和感を覚えた。
先程まで笑顔だった奈南が、手元のカップを持ったまま、ぼんやりとした表情で窓の外を眺めていたからだ。
表情からも笑顔の余韻は無く、どこか小さな空虚感が見て取れた。
「どうした?奈南?」
「え……?あ、んー?」
俺の呼びかけに、奈南は我に返ったように視線を戻し、少しぎこちなく笑った。
「疲れたか?結構歩いたし…」
「いや、大丈夫だよ。全然疲れてない。」
奈南はそう言って、いつものように柔らかく微笑んだ。
しかしその直後、奈南は何かを言いかけるようにして、小さな唇を僅かに開いた。
「ねぇ、直樹ってさ……」
「ん?」
奈南の言葉が、そこで不自然に止まる。
「……ううん。」
「何だよ…」
「なんでもないよ。」
「そっか。」
奈南は少し間を置いてから、「うん。」と小さく頷き、カップに口をつけた。
奈南はそれ以上何も言わず、店内には相変わらずピアノの音が響いた。
俺も深くは追及せず、今日は歩き回ったし、少し疲れているだけだろうと納得した。
結局、その後の会話はたいして盛り上がらず、あたりが暗くなってきたところで、俺と奈南はカフェを後にした。
「で、そろそろウチに来ない?」
外に出た瞬間、俺が声を掛けると、奈南は一瞬遅れてこちらを向いた。
「え?」
「眠い?」
「うーん、ちょっとそうかも…」
心なしか、昼間より奈南の歩調はゆっくりだった。
「歩きすぎたかな。」
「でも、今日すごく楽しかったよ?」
そう言いながら、奈南が思い出したように俺の腕にしがみつく。
「ならよかった……じゃあ、このまま家寄ってくか?」
奈南は少し目を丸くして、それから困ったように笑った。
「ごめん。今日はちょっと疲れちゃった」
そう言いながら、奈南は小さく笑った。
「じゃ、今日はゆっくり休めよ。」
「ありがと。」
奈南は一瞬だけ何かを言いたそうに俺の顔を見つめたが、すぐにいつもの笑顔を浮かべる。
「じゃ、またね!」
駅についたところで奈南はそう言って手を振り、自動改札の向こうへ消えていった。
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自宅へ戻った俺は、ソファに座るとすぐにスマートフォンを開いた。
今日のデートを頭の中で振り返る。
和食も、雑貨屋も、水族館も、どれも奈南の反応は良かった。
しかしカフェでの一幕は、どう評価すべきなのだろうか。
「最後、少し疲れてたってことか……」
次は移動を減らそう。
もっと座って話せる場所、もっと疲れないコースにすれば、夜まで一緒にいられる時間も増える。
今日より、もっと楽しくなり、きっとずっと笑顔になってくれる。
来週はどこへ行こうか。
頭の中で予定を組み立てながら、俺は静かに目を閉じた。




