第72話「【白】の趣味」
平日の朝、カーテンの隙間から差し込む光で俺はゆっくり目を覚ました。
隣に寝ている真子は、相変わらず全裸で涎を垂らしている。
俺はベッドの上で仰向けになったまま、スマートフォンの画面を指先で滑らせていた。
開いているのは、奈南のSNSアカウントだ。
ここ数か月分の投稿をさらに遡りながら、店名の書かれていない写真まで拾い上げていく。
投稿時間と実際の来店時間は一致しないため、投稿日時そのものには行動追跡の証跡としての意味合いが薄い。
写真に写り込んだ店内の配置と、店舗アカウントに掲載されている写真を照合する。
投稿日時ではなく、営業日や混雑状況から実際の来店時間帯を推定する。
店ごとの滞在傾向を並べていくと、休日の午後に長時間滞在しているケースが多いことが分かった。
こうして、訪問している時間帯と店を特定し、俺と出かける時に場所が被らないかつ、テンションの上がる時間帯に誘えるよう気を付ける。
さらに、添えられたコメントから、好みの方向と、苦手な方向を咀嚼していく。
投稿を精査していく中で、半年前までは、中程度の頻度で男性が写真に写り込んでいることを確認した。
直接顔は写っていないが、腕時計、手背の体毛、端に映る服装の系統、財布のブランド等が複数の写真で一致していることが分かる。
しかし、最近の投稿になるとその人物は完全に消えていた。
俺は、少なくとも今は、奈南が継続して交際している相手がいる可能性は低そうだと結論付けた。
さらに投稿時期を並べ内容の統計を取ると、周期的にスイーツ投稿が増え、眠気や疲労感を吐露するコメントが増える傾向が見て取れる。
投稿頻度と内容から、誘うなら平日に誘うならば水曜の夜、休日に誘うならば土曜午後が最も反応が良さそうだと判断した。
これは、そのリスクを最大限減らすのに必要な調査であり、それを継続することで頭の中の奈南という人間の輪郭が少しずつ形になっていく。
俺は小さく頷き、少なくとも、いつ、どんな店を提案すれば喜ばれるかはという見当がついた。
俺はふと、視線を感じて振り向くと、真子がスマホ越しに俺を見つめていることに気が付いた。
「……なに?」
俺の質問に対し、「いや別に?」と、寝起き特有の掠れた声で真子が答える。
だが真子の視線は、俺のスマホから離れない。
「朝から熱心だなーと思ってさ。」
「そうか?」
真子は欠伸をしながら寝返りを打った。
「そうでしょ、仕事より真面目じゃん。」
「失礼な奴だ。」
俺がそう返すと、真子はくすりと笑う。
「ゲームじゃないんだから、攻略本作っても意味ないんじゃない?」
「何の話してんだ?攻略本なんて作ってないけど……」
「私がちらっと見た範囲ではそう見えるってだけ。……ふぁ、ねむ。」
真子はそう言いながら、枕に頬を押し付けた。
そして、「あと20分したら出勤準備するから、起こして」とだけ呟いて再び目を閉じた。
俺はしばらく真子を見ていたが、数秒もしないうちに規則正しい寝息が聞こえ始める。
それを確認した俺は、真子を起こさないようにベッドから出る。
キッチンへ向かいながら、奈南がSNSに載せていた銘柄のコーヒー豆を取り出した。
買ったばかりの手動コーヒーミルを回すと、豆を挽く音だけが静かな部屋に響く。
豆を挽き終え、お湯を沸かしながら奈南への返信を考える。
<この前、カフェ巡りが好きって言ってたよね。|tostar el margenって店知ってる? コーヒーが美味しいらしいんだけど>
送信から数分後、スマートフォンが震えた。
<えっ!知ってる!そこずっと気になってた!なんで知ってるのー?笑>
俺が返信を予想していた反応と、大きなズレはなかったことに安心した。
<たまたま見つけたんだけど、よかったら今度一緒に行く?>
<行くー!嬉しい!>
その返信を確認し、俺はメモ帳アプリを開き、<奈南用メモ>に新しい行を追加する。
<
・カフェ話題:反応良
・隠れ家的な店舗:興味強
・返信速度:3分
>
入力を終え保存を終えた俺は、少なくとも方向性は間違っていないと判断した。
そのままベットに視線を移し、真子を起こすために白い肌をそっと撫で上げた。
---
土曜の昼になり、俺は奈南と目的のカフェの最寄駅で待ち合わせた。
手を時折触れさせるような近さで歩きながら、住宅街の路地裏へと進む。
目的地であるカフェ、木造の古い民家を改装したその店構えを見た瞬間、奈南の瞳が目に見えて輝いた。
「わあ……!ここ、本当に来たかったんだよね!直樹、よく予約取れたね、すごい!」
そのまま、店舗に入り、スムーズに注文を終えると、すぐに注文したコーヒーとチーズケーキが運ばれてくる。
奈南との会話はコーヒーの好みや休日の過ごし方から、旅行や映画、最近読んだ本と自然に広がっていった。
奈南は話題が変わるたびに、「それでねー…」と楽しそうに続きを話す。
「奈南は最近もよく映画観るの?」
「観る観る。高校の時からあんまり趣味変わってないよ。直樹も同じ趣味だったよね。」
「勿論覚えてるよ、春にやってた新作も映画館まで見に行ったし。」
「私も見た見た!相変わらずあのアンニュイな雰囲気が良かったよねぇ…」
そう言いながら奈南の話を、俺は相槌を打ちながら聞いた。
旅行の話よりも、映画の話の方が反応が良いことが分かる。
映画の話になると身を乗り出す回数が増え、休日の話になると笑顔が増える。
逆に旅行の話では相槌は打つものの、自分から話題を広げようとはしない。
次回以降は映画とカフェを軸に組み立てた方が良さそうだ。
これで、高校の頃に知っていた奈南と、今の奈南は思った以上に連続していることが把握できた。
「直樹は?」と聞かれれば答えるが、自分の話は長くしない。
奈南は話し始めると次から次へと言葉が出てくるタイプだ。
途中で遮るより、その流れを維持した方が自然に会話が続くし、その方が奈南も楽しそうに話しを続けている。
---
夕方になり、駅の改札前まで戻ってきた頃、奈南は名残惜しそうに俺を振り返った。
「今日、本当に楽しかった!ありがとね。また違うカフェも、絶対一緒に開拓しようよ!」
「おう、もちろん。また良さそうな店、探しとくよ!」
手を振って改札へと消えていく奈南の背中を見送りながら、俺は本日の総括を頭の中で開始した。
総合評価はどう考えても成功で、奈南は終始楽しそうだった。
さらに次の約束もできたことから、俺の今日のやり方は間違っていなかったのだと思う。
改札の向こうへ消えていく奈南の背中を見送りながら、俺は静かに満足していた。
ちゃんと相手のことを知り、ちゃんと相手に合わせて、ちゃんと喜んでもらえた。
この瞬間、俺の胸を満たしていたのは、満足感だった。
狙い通りに動いた奈南は笑い、次の約束を取り付け、帰っていった。
全部、想定の範囲内で、ちゃんとやれば上手くいくと、俺は小さく頷いた。
感情を管理して望む結果を導き出す再現性にこそ、俺は形容しがたい全能感を覚えていた。
---
夜、自宅へ戻ると、まだ奈南と過ごしたカフェのコーヒーの香りが、上着のどこかに残っているような気がした。
ジャケットを脱ぎ、ハンガーへ掛けようとした時、いつものようにスマホが短く震える。
<HIMAAAAAAAAA>
それだけのメッセージが来たため、俺はジャケットを片手に持ったまま返信する。
<DOZOOOOOOOOO>
奈南へ送るメッセージは、文面を考え、温度感を調整し、送信のタイミングまで検討する。
だが真子とのやり取りに、そうした工程は必要ない。
数秒後、また返信が届く。
<RAMEEEEEEEEENん!!>
俺は溜息をつきながら、ジャケットを再度羽織り、甜醤らあめんへと足を向けた。
---
俺は街灯に照らされた最寄駅前のベンチに座りながら、メモ帳アプリを開いた。
<奈南用メモ>のタイトルを確認してから、今日の内容を書き加えていく。
<
・カフェ選定:成功
・コーヒー関連の話題は反応良好
・映画、本の話題も継続価値あり
・次回候補:
>
ここまで入力したところで、予定表アプリに切り替える。
明日菜の行動範囲と、奈南の行動範囲の重複は見られない。
つまり、明日菜の行きたがっていたカフェの情報が使えることを意味する。
【黄】のメモに登録していた店はまだ十数件残っているため、眠らせておく理由もない。
情報は活用してこそ価値がある。
俺がそこから次回候補を転記しようとしたとき、後ろから腹をくすぐられた。
この何度も触られている細い指の間隔は、真子の物に間違いない。
「なんだよ。」
「ちょっとは驚いたりしないの?」
「あ?あー?……あー、びっくりしたー。」
「はー。やる気ゼロすぎて萎えるー。」
俺は真子の反応に苦笑いしながらスマートフォンをスリープ状態にした。
画面が消える直前、<奈南用メモ>という文字だけが、一瞬だけ白く浮かび上がって見えた。




