第68話「【白】い予定表」
水曜日の朝。
隣で眠る真子を起こす前にアラームを止め、そのままスマホでカレンダーアプリを開いた。
画面を表示した瞬間、色の量が減っていることに気づく。
少し前までは、青、赤、黄、緑、紫の五色がパズルみたいに予定表を埋めていた。
誰と会い、誰を迎えに行き、どこで時間を作るか。
スクロールしないと一週間が見渡せないくらいには予定が詰まっていた。
残っているのは、ほとんどの空白と、少量の赤だけだった。
平日の夜も土日も白く、以前なら何かしら入っていたはずの場所が、ぽっかり空いている。
俺はしばらく画面を見つめたあと、小さく息を吐いた。
「……空いたな」
不思議と寂しさはなかった。
本棚の整理を終えたあととか、長いこと容量を圧迫していたデータを削除したあととか、そんな感覚に近い。
空白ができたのが事実だというだけだった。
俺はスマホを伏せると、そのまま出勤の準備を始めながら、真子を起こした。
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午前中の作業がひと段落したため、食堂に向かう道すがら、打合せスペースで久美子が笑っていた。
同期の女子たちに囲まれて、新しくできたカフェの話でもしているのか、身振りを交えながら楽しそうに話している。
周囲も笑い、久美子も笑っている。
以前なら、昼休みの予定を聞かれ、話せないか打診があり、週末どこに行くのか提案に来ていた。
でも今は何もなく、目が合うこともない。
ただ避けられている感じもなく、ただ自然に接点が存在しなかった。
あれだけ未来の話をしていたのに、今はもう俺のことなど気にしていないらしい。
それを寂しいとは思わなかった。
ただ、人は案外環境に順応する生き物なんだな、と他人事みたいに考えた。
久美子は笑い、同期と昼飯を食べ、そして一度も俺に話しかけてこない。
それが今の久美子にとっての普通なのだろう。
昼食を済ませて戻ると、里香からのメールが来ていた。
<
ネガチェックしておいて。
ttps://Kuzu-Love-Kanri.app.box.com/folder/204871563921/100_更改PT/400_サーバー更改/350_POL契約管理/040_IT関連/IT03_結合テスト計画書_v3.2.xlsx
>
普段なら俺のデスクに話かけてくるはずが、この近さでメールで済まされている。
里香の方を見ると、モニターへ向き、キーボードを叩きながらサンドイッチを食べていた。
里香の方へ数歩歩いたところで、「資料連携ありがとう」等とこのまま話しかけていいのか疑問が湧いた。
俺は数秒立ち止まり、結局そのまま席へ戻り、メールを開いた。
きっと今日はこれが正解だろうと思い、里香から連携された資料に目を通し始める。
そのまま作業に没頭していると、気づけば定時を過ぎていた。
一段落したところでデスクの片付けをしていると、ポケットの中でスマホが短く震えた。
メッセージアプリを開くと、真冬からの通知だった。
<22時から部屋立てる>
送られてきたのは、それだけだった。
スタンプもなければ、近況を尋ねる言葉もなく、ただの事務的な誘いだ。
ゲームをするためだけの、最低限の文字列でしかない。
俺も<了解>とだけ打って送信してしまった。
以前ならもう少し、絵文字や記号があったり、ちょっとした皮肉の応酬があった気がする。
今の真冬からのメッセージは、かつてより確実に、そして容赦なく短くなっていた。
そのことに少し寂しさを覚えながら退勤し、俺は帰りの電車に揺られる。
網棚の上の広告をぼんやりと眺めながら、今日の予定、明日の予定を頭の中で整理する。
真冬に言われた通り、帰ったらすぐにゲームを起動して、時間までは適当に食事を済ませておこう。
真子は今日は来ないだろうから、ダイエットドクペは買う必要が無い。
周囲の乗客たちがスマホの画面に熱中している中、俺は震えないスマホをポケットに入れたまま、窓の外を何気なく眺めていた。
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部屋に戻り、鍵を閉めると、室内には静寂だけが広がっていた。
やはり俺のポケットの中、スマホはまだ沈黙を貫いている。
スーツを脱ぎ、部屋着に着替えてソファへ腰を下ろし、もう一度スマホを見る。
しかし通知は無く、ロック画面では淡々と時を刻んでいるだけだった。
予定表を確認しても、今日の予定は22時からのオンライン対戦のみ。
静まり返った部屋の中で、天井を見上げながら、無意識で予定表アプリを眺め続けてしまう。
そのままメッセージアプリを開くと、一覧の上の方に、既読のつかないままの明日菜の名前が見えた。
最後のやり取りから、もう何日も経っている。
俺はその名前から視線を逸らすように画面をスクロールし、真冬とのトークを開いた。
それと同時に真冬からメッセージが届く。
<やっぱ今日パス>
これを送ってきた真冬は、画面の向こうでどんな顔をしているのだろうか。
オンライン対戦という予定すら途絶え、今日の予定は完全に消え失せた。
先週までの忙しい毎日が、俺にとっては遠い昔のような記憶に思えてしまう。
すべてが自分の思い通りにコントロールされ、完璧に機能していた過密なスケジュール表。
青、赤、黄、緑、紫。
あの鮮やかな5色のモザイク画のようだった画面は、今や完全に崩壊していた。
現在の週を表示すると、そこにあるのはただ、飛び飛びに配置された赤だけ。
それ以外のマス目は、何も書き込まれていない、まっさら状態。
「こんなに、予定少なかったっけ……」
画面を見つめたまま、俺は漠然とした寂しさを覚えていた。
だけど、それを『大切な何かを喪失した』とは、どうしても認識したくなかった。
俺にとって、これはただの「空きスペース」だ。予定がスカスカになって、空白ができた。
だったら、その空いた場所を、また別の何かで新しく埋めればいいだけじゃないか。
そんな単純な発想が、自然と頭をもたげていた。
静まり返った部屋の中で、俺はスマホを操作し、高校の同窓会ページをもう一度開いた。
画面をスクロールし、上京組プチ同窓会の参加者一覧を表示する。
参加予定者の欄にはっきりとある<南奈南>の名前。
はっきりと刻まれたその三文字と、大人になった彼女の、美しいプロフィール画像が、青白く浮かび上がっている。
そして、その下に連なる<佐藤直樹>の名前。
並んだ2つの名前を眺めていると、不思議と予定表の空白が気にならなくなった。
来月の予定が一つ増えただけ、たったそれだけのはずだった。
「……新しい服、買わないとな。」
誰に聞かせるでもなく呟き、俺は参加者一覧をもう一度更新した。




