第67話「【白】い思い出」
真子が泊まりに来る夜は、ほとんど毎回身体を重ねていた。
だが昨夜だけは違った。
朝起きた真子は、「直樹おはー。」と何も気にしてない様子で、昨夜のことなど存在しなかったといった風の顔だった。
いつもの真子と言えばそれまでだが、それは俺にとっては異常だった。
『嫌いじゃない。でも付き合わない。』
言っている意味が分かるだけに、頭の中で何度も再生される。
真子は好きとか嫌いとか、恋人とか友達とか、そういう区分そのものが、真子の中では重要じゃないのだろうか。
ならなぜ、元カレとは付き合っていたのだろうか。
やはり、俺だから交際に発展しないということだろうか。
そこまで考えたところで、俺は思考を止めた。
考えれば考えるほど、自分だけが真子のルールを理解できていない気がしたからだ。
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仕事は恙なく終わり、いつもより控えめに残業した俺は、駅へ向かう途中でスマホが震えたことに気付いた。
画面を見ると、真子からだった。
<暇だから明日の準備して行く>
<鍵あけといて>
今日も俺の部屋で過ごして、泊まって、明日出勤するということなのだろう。
以前なら、それを想像するだけで少し気分が軽くなっていた。
でも今日は違った。
昨日、俺を振ったばかりだというのに、真子は何事もなかったように泊まりに来ようとしている。
しかも、まるで昨日の出来事そのものが存在しなかったみたいなテンションだ。
俺の脳内は、真子によって混乱で埋め尽くされた。
その混乱が解決しないまま、真子は本当にいつも通り俺の部屋へやって来た。
「おっつ!」と言いながら部屋に入り、コンビニ袋をテーブルへ放り投げる。
中からダイエットドクペと新発売のポテトチップスを取り出し、当然のようにソファへ座った。
そして、テーブルに広げたままの弁当を見つけ、「直樹が食べ終わるまで、マンガ読んでるからー。」と、俺の本棚を漁りはじめた。
「あ、なんかゲーソンかけといて。」
昨日俺を振った女の態度とは思えなかった。
しかし、俺は言わるがまま適当に選んだゲームBGMをかけ、夕飯の残りに手を出した。
ソファを横目で見ると、真子が仰向けに寝転がって漫画を読んでいる。
真子の姿を眺めながら弁当を食べきると、それに気づいた真子がコントローラーを手に取った。
「今日も勝つー!」
パズルゲームを起動し、キャラクターを選び、いつも通り対戦を始める。
真子は勝てば笑い、負ければ文句を言っていて、その姿はこれまでと何一つ変わらない。
結局、夜が更けるまで遊んだあと、真子は「ねむ。」とだけ言うと、先にベッドへ潜り込んだ。
本当にいつも通りなのか確かめたくなった俺は、真子の後を追ってベッドに入り、その細い体を後ろから抱きしめた。
腰から胸にかけて2、3回撫でた後、裾から手を入れ真子の体温を直に感じる。
真子は、「んー?したいの?」と眠そうな声で良い、俺の方に顔を向けた。
そのまま、俺の唇をついばむように口にはさみながら、真子の手が俺のシャツの裾から中に入ってきた。
普段なら、それだけで考えるより先に身体が反応して、余計なことなど忘れられた。
真子に告白して断られたのに、こうして当たり前のように身体を重ねようとしている。
頭では理解できないまま、胸の中で不安だけが膨らんでいくのが分かる。
俺はその不安から目を逸らし、考えるのをやめるように真子を抱き寄せる。
真子も特に抵抗することなく身体を預けてきた。
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事が終わってからどれくらい時間が経ったのか分からず、気が付けば真子は隣で静かな寝息を立てていた。
満足したのか、ただ眠かっただけなのかは分からない。
身体は少し疲れているはずなのに、頭だけが妙に冴えていた。
結局、何も解決していないことは分かっている。
真子は相変わらず俺のものではないし、付き合ってもいない。
明日になればまたゲームをするだろうし、来週もこうして泊まりに来るかもしれない。
だがそれは恋人だからではない。
むしろ俺は、さっき自分が何をしていたのかを理解してしまった。
俺は真子が欲しかったのではなく、付き合えないと分かった真子の存在が、自分の手から失なわれていないこと確認したかった。
その事実に気付いた瞬間、どうしようもなく情けなくなった。
俺は真子を理解できない。
いや、理解できないのではなく、理解したくないのかもしれない。
恋愛とは本来もっと単純なのではないか、付き合うのか付き合わないのかの2値なのではないか。
あるいは、好きと嫌いの2値、恋人と他人の2値など、言葉は違うが明確にどこかに境界線がある変数なのではないか。
だが真子はその変数の範囲外を取っている。
付き合わないけど遊ぶし泊まるし身体を重ねる。
真子は最初からずっと同じ場所に立っていて、それを不自然だと思っているのは、多分俺だけなのではないだろうか。
勝手に運用管理のルール設定をしていたのは俺の方だ。
もし昨日、真子が俺の告白を受けていたら、俺は安心できたのだろうか。
そもそも俺は何を欲しかったんだ。
恋人という肩書き、特別扱い、女性の独占権、性欲を発散できる存在、彼女がいるというステータス。
結局、考えようとしても答えは出ず、スマホを手に取り、意味もなくSNSを開いた。
おすすめ欄を眺めていると、ふと見覚えのあるアイコンが目に入る。
高校の同窓会グループで、何年も前に招待だけされて入っていた。
結局そのまま通知も切って、SNSごと放置していた。
特にあの卒業式以降、積極的に見る気にもならなかった。
俺は何となく画面をタップすると、流れてくるのは高校時代の写真ばかりだった。
部活、体育祭、文化祭、修学旅行、等を見ながら、指を滑らせていると、卒業式の日の集合写真で手が止まった。
右から3番目で笑っている女の子、地元でずっと一緒に過ごして来た子。
名前は、南奈南。
その名前を思い出した瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
小学校から高校まで、ずっと俺が片思いしていた相手。
高校卒業式の日、中庭のベンチで告白し、そして振られた。
『直樹ごめんね。私、付き合ってる人いるからさ…』
細くて華奢で美しい身体も、少し気まずそうに発したその声も、優しく微笑む表情も、全部鮮明に蘇る。
『後、半年早かったらさ……』
そう言った奈南は、確かに、少しだけ困ったように笑っていた。
自分から「付き合ってほしい」と言ったのは、多分、真子と奈南だけだ。
そう思ったとき、画面の上部に新しい通知が表示された。
<来月のやつ、参加しまーす>
軽い同窓会をやろうという企画でもあるのだろうかと、俺は何となく張り付けられた投稿からイベント一覧を開く。
すると、来月の上京組同窓会というタイトルで、参加予定者の一覧が表示された。
懐かしい名前が並んでいる中、ある名前に指が止まった。
<南奈南:参加>
思わず画面を見返すが、見間違いではない。
俺はそこから無意識に、奈南のプロフィールを開いた。
表示された写真を見て、俺は息が止まった。
高校時代の美しい面影は残っていると同時に、俺の記憶よりも洗練された大人になっていた。
俺も就職して働き始めているのだから、卒業してから何年も経っているのだから、それは当たり前のことだ。
それでも、現実感がなく、俺はしばらく画面を見つめたまま動けなかった。
隣では俺と付き合わないと言った真子が寝ている。
それなのに俺の脳は、奈南の顔が頭から離れない。
俺の人生で唯一、自分の心の内を曝け出し、ちゃんと告白して、ちゃんと振られた相手だ。
『もし。』という都合のいい言葉が、頭を過ぎってしまう。
今さら意味のない話だとは分かっているのに、俺はスマホに伸びる手を止められない。
暗い部屋の中で、俺は同窓会の投稿をもう一度開いた。
隣では真子が眠っているのに俺は、南奈南のプロフィール画像から目を離せなかった。




