第65話「【赤】の休日」
結局、俺の家に真子が来たのは月曜が最後だった。
何とか1週間の仕事を終え、真子に会えない土曜日が来てしまった。
目が覚めた瞬間、俺は反射的にスマホへ手を伸ばした。
画面は暗く、通知は何も来ていない。
時刻はまだ、9時23分。
今頃、真子は友人と待ち合わせに向かっているところだろうか。
そんなことをつい思ってしまい、ベッドの上で俺は小さく息を吐いた。
この土日は俺のスマホはならないだろう。
そう自分に言い聞かせながら、ベッドから身体を起こした。
顔を洗い、昨日の夜買ったパンと牛乳で朝食を済ませる。
休日特有の解放感はどこにもなく、何かをやる意欲も湧かなかった。
正確には、やりたいことが思いつかない。
積んでいたオープンワールドのアクションアドベンチャーを起動するが、進める気持ちが湧かない。
数分後にはゲームを終了し、動画配信サイトを開く。
おすすめに表示された配信を適当に再生すると、誰かが大声で笑いながらゲーム実況をしていた。
コメント欄も盛り上がっているが、内容はほとんど頭に入らなかった。
気づけば俺はスマホの通知を確認したり、メッセージアプリを開いたりを繰り返していた。
真子とのトーク画面が一番上に表示され、最後のやり取りは<じゃいく、げーむ>のままだ。
昼を過ぎても状況は変わらなかった。
買いだめしているカップ麺を啜り、ソファへ身体を沈めた。
モニターから、動画サイトの良く分からない切り抜きチャンネルが流れている。
時間を無為にしている感覚はあるが、何もしないまま時間だけが進んでいく。
『大学の友達が……ウチに泊まりに来んだよね』
そういう真子の言葉が、不意に脳内で再生された。
真子にも友達はいるだろうし、俺の知らない交友関係だって当然ある。
だから気にする必要はなく、来週になればまた会えて、ゲームをしながら、ベッドを共にする。
それだけの話だ。
そう考えたところで、俺はまたスマホを手に取っていた。
何か連絡が来ていないか確認するが、当たり前に通知はない。
確認を終え、画面を閉じようとした時、スマホが小さく震えた。
通知バーに表示された名前を見て心臓が跳ねた俺は、すぐメッセージを開いていた。
送られてきたのは、1枚の写真で、猫カフェらしい店内で、真子が何匹もの猫に囲まれている。
膝の上の猫を抱えながら笑う顔は、俺の知っている真子とは少し違って見えた。
普段ゲームで勝った時に浮かべる意地の悪い笑みでもなければ、適当に相槌を打つ時の気の抜けた表情でもない。
年相応というべきか、ただ純粋に休日を楽しんでいる年相応の女の子の顔だった。
その写真を見た瞬間、一日中胸の奥を焼いていた焦燥感が少しだけ和らぐ。
本当に友達と遊んでいるだけじゃないか。
俺は小さく息を吐きながら、<楽しそうじゃん>と返信を打とうとして、手を止めた。
続けて2枚目の写真が送られてきたからだ。
今度は俺が誘い、断られたコラボカフェの写真だった。
テーブルいっぱいに並ぶ限定ドリンクとフード、そのチョイスが真子らしいとほほえましく思った時だった。
俺の視線は写真の奥へ吸い寄せられた。
向かいの席に、顔は写っていない誰かが座っている。
テーブルの縁に置かれた手が、骨ばっていて指も長い。
数秒遅れて、心臓が強く脈打った。
「男……?」
昨日まで脳内で曖昧だった『大学の友達』という単語が、急に輪郭を持ちはじめる。
大学時代からの付き合いのある男。
真子の家に泊まりに来ている男。
2人で猫カフェへ行き、2人でコラボカフェへ行き、あの無防備な真子と一夜を過ごす男。
そこまで考えたところで、スマホが再び震え、3枚目の写真が送られてきた。
今度はゲームのスクリーンショットで、右下の撮影日時から昨日の深夜だと分かる。
見慣れた対戦結果画面の左側、真子が良く使うキャラクターの部分に<やった!>の文字が表示されている。
<そいや、昨日ついに勝った!ついに勝ったんだ!!!>
興奮がそのまま文字になったようなメッセージが、真子から追撃で来た。
<直樹といっぱいやったから勝てた!>
<やっとリベンジ成功したわ>
興奮がそのまま文字になったようなメッセージだった。
画面越しでも真子が、本気で喜んでいる分かる。
俺は返信画面を開いて<おめでとう>と打ち、数秒眺めてから送信する。
すぐ既読がつくが返信は来ないのは、きっと今も、その相手と話しているのだろう。
『大学の時、1人だけ勝てない奴いたんだよねー。』
『元カレ。』
『とうとう一回も勝てずに終わったから。』
突如俺の胸の奥がざわついた。
あの時は何とも思わなかった元カレの話、だが今は違う。
猫カフェ、コラボカフェ、向かいに座る男、勝利画面、リベンジ成功、それらが全部が一本の線で繋がってしまう。
その瞬間、胸の奥が重く沈んだ。
俺は男がいたことに動揺しているんじゃない。
本当に苦しいのは、真子が楽しそうだったという事実だ。
俺の知らない場所で、俺の知らない時間を過ごして、俺のいないところで笑っていた。
これ以上先を考えたくなかった俺は、無理矢理思考を止めた。
考えてしまえば、自分でも認めたくない何かに辿り着いてしまう気がしたからだ。
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夜になり、部屋の電気を消しても眠れず、俺はベッドの上でスマホを握っていた。
昼間に真子から送られてきた写真を何度も何度も見返す。
猫に囲まれて笑う真子、コラボカフェのテーブル、向かい側に座る元カレ。
気にする必要なんてないと思うたびに、また写真を開いてしまう。
結局、耐えきれなくなった俺は、メッセージアプリを開き、出来るだけ自然で軽く、探りを入れていると悟られないように文章を打つ。
<その友達って男?>
送信した瞬間、嫌な汗が滲んだ。
真子からの既読はすぐにつき、返ってきたのは拍子抜けするほど簡単な返答だった。
<そ、元カレ>
俺はその文字を見た瞬間に、また思考が止まった。
そんなことはお構いなしに、次々とメッセージが増える。
<大学のとき付き合ってたやつ>
<ゲームだけ無駄に強い奴、前言わなかった?>
当然、覚えている。
同期の噂話を含めれば、大学時代に真子と付き合って、真子がいるのに浮気して別れた、ゲームだけは異常に強かった男。
そして、真子が1度も勝てなかった相手で、いつかリベンジしたいと言っていた男。
そして、俺は一度も行ったことのない真子の家に、その男と2人でお泊まり。
俺はスマホを握ったまま動けなかった。
何か返さなければいけないと思うのに、指が動かない。
画面の向こうで、真子はきっと何も考えていない。
ただ何となく俺に報告送っただけで、悪意なんて欠片もないはずだ。
なのに俺だけが勝手に息苦しくなっている。
しばらくして、また通知が鳴った。
<ねむ>
<すみー>
返信できずに、俺はスマホを置き、ゆっくりと目を閉じる。
俺の知らない真子、大学時代の真子、元カレと付き合っていた頃の真子、ゲームに負け続けて悔しがっていた学生の真子。
俺は、そのどれも知らない。
知っているのは社会人になってからの真子だけだ。
眠たがりで、ゲームが好きで、気まぐれに俺の部屋へ来て、気まぐれに泊まっていく。
俺の知らない場所があり、俺の知らない時間があり、俺の知らない思い出があり、俺の知らない真子を見た。
久美子が居なくなり、明日菜を離し、真冬に線を引かれ、里香に見限られた。
だから俺は、真子だけは違うのだと思っていた。
最後まで残るのは真子なのだと、勝手にそう思い込んでいた。
でも違ったことに今更気付いた。
真子は、最初から俺の管理する世界の住人じゃなかった。
俺の管理の外側で、俺の知らない時間を生きている。
当たり前のことなのに、その当たり前が、どうしようもなく苦しかった。
猫カフェで笑うあどけない真子の表情が、いつまでも頭の中から消えなかった。




