第6話「【赤】と帰り道」
数分後、真子から短いメッセージが返ってきた。
<もうすぐ駅>
その一言だけで、場所も、誰といるかも書かれていない。
なのに俺は、自然と自身の帰路の改札側へ向いていた。
改札に着くと、改札内の人混みの中に、見覚えのある茶髪が見える。
俺は小走りで改札を通り抜け、「よう。」と端的に声をかけた。
真子振り向いて俺の顔を見ると、「あ。」とだけ声を漏らした。
その時の真子は特に嬉しそうでもなく、かといって迷惑そうでもなく、いつもの温度で笑った。
「ちょうど真子の姿見えたからな……路線一緒だし、帰ろうぜ。」
「いいよー。いい感じに酔って話相手欲しかったとこー。」
真子はそう言いながら、ふらりと一歩こちらへ寄った。
飲み会帰りの熱がまだ残っているのか、白い頬がほんのり赤い。
ゆるく乱れた茶髪からは甘いシャンプーの匂いと、微かにアルコールの香りが混ざって漂ってくる。
普段より少しだけ重たそうな瞼が、どこか潤んで見える。
「んー……なんか今日、人多。めんど。」
眠たそうに呟きながら、真子は人混みを避けるように俺の腕へ軽く肩を寄せる。
その無防備な距離感に、一瞬だけ鼓動が強くなった。
ブラウスの襟元が少しずれていて、浮き出た鎖骨の白さがやけに目につく。
鎖骨の窪みが俺の目を捕えて離さない。
ゲームを真剣にしているよりも、今みたいに気が抜けている方が、妙に色っぽく見えた。
真子本人には、その自覚すら無いのだろう。
「……飲みすぎじゃね?」
「んー。でも楽しかったし。二次会行くほどじゃないけど。」
そう言って真子は小さく笑い、俺の横へ自然に並んだ。
「直樹ん家いく?」
まるで、コンビニ寄るくらいの軽さだった。
そして俺には断る理由が、思いつかない。
「……おっけー。」
電車の中で、真子は眠そうに吊革へ寄りかかり、肩が何度か触れる。
そのたびに、さっきまで久美子と居た時間が、少しずつ別のものに上書きされていく感覚があった。
「ねむ。」
「飲みすぎだろ。」
「直樹も来ればよかったのに。」
「いや、約束あったし。」
「あー、久美子?」
その軽い口調は、責める響きは一切ない。
「……まぁ。」
「ふーん。」
そこで会話は終わる。
興味がないのか、踏み込まないだけなのか分からない。
ただ、その距離感が妙に心地いい。
部屋に着くなり、真子は「つかれたー。」と言って、そのままベッドへ倒れ込んだ。
「スーツ脱げよ。シワになるぞ。」
滑り込んだ時に真子のタイトなスカートの裾が捲れ、中身がちらちらと見える。
真子はそんなことは気にせず、仰向けでスマホをいじり始める。
「ドクペほしー。」
「ほらよ。」
なんと無く買っておいたドクペを冷蔵庫から取り出して渡すと、真子は「さんきゅ。」とだけ言って一口飲んだ。
その無防備さに、視線が引っ張られる。
真子は気づいているのかいないのか、特に隠そうともしない。
「……直樹。」
「ん?」
「見たいなら、なんか言えば?」
笑いながらそう言う真子に、俺は一瞬だけ返答に詰まった。
揶揄われているのだが、不快には感じない。
むしろ、その軽さが楽で、また理性を鈍らせていく。
真子がベッドの上で少しだけ身体をずらす。
「隣くる?」
その言い方には、当たり前かのような軽さが有り、逆に俺の理性を鈍らせる。
久美子の時のように、空気を壊さないようにとか、不安にさせないようにとか、そういう緊張は一切感じない。
真子は何も聞かず、隣に居ることを拒まない。
俺がベッドへ腰を下ろすと、真子は「ん。」とだけ言って身体を寄せてくる。
服越しに伝わる体温と、酒混じりの甘い匂い、それにその無防備さに引っ張られる。
そのまま、俺は右手を真子の後ろに回し、左手でそっと撫で、顔を近づけた。
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「……あっつ、汗かいた。」
裸の真子は気怠そうにそう呟くと、ベッドの上でスマホを探し始めた。
その姿は、拍子抜けするほど普段通りだった。
恥ずかしがるわけでも、空気を変えるわけでもなく、ゲームを一区切り終えた後みたいな雰囲気でいる。
「シャワー借りるねー。」
そう言って真子は体も隠さぬまま、乱れた髪を手でまとめながら立ち上がった。
俺はベッドに寝転んだまま、ぼんやりと天井を見ると、不思議なくらい気持ちが軽くなっていることに気付いた。
「……久美子とは、ほんと違う。」
失敗したらどうしようという焦りも、期待に応えなきゃという圧迫感もない。
快楽の海に使ったその感覚だけが、妙にはっきり残っていた。
結局、こういう気楽さが大事なんじゃないだろうか。
そんな考えが、頭の中に静かに根を張り始めていた時、テーブルの上でスマホが震えた。
画面には、久美子からの通知。
<今日はありがとう。桜、楽しみだね!>
そのメッセージを見た瞬間、さっきまで一緒にいた久美子の表情が脳裏を過ぎる。
俺は数秒だけ画面を見つめ、そのままスマホを伏せる。
罪悪感が強まったり弱まったり、まして消えたわけじゃない。
ただ、必要な時だけ別の情報へ切り替える感覚に、少しずつ慣れ始めていた。
「返信しないのー?」
ちょうどその時、シャワーを終えた真子が、タオルで雑に髪を拭きながら戻ってきた。
ドライヤーすら面倒なのか、濡れた髪先から小さく水滴が落ちている。
その姿には、色気を出そうとしているわけじゃないのに目を奪われるような、妙な生活感があった。
肩を動かすたびに浮かぶ鎖骨、細い腰にうっすら浮き出る腰骨、呼吸に合わせて薄く動く肋骨に、床へ座った拍子に視界へ入る白いくるぶし。
人によっては痩せすぎなくらいに見えるその肢体に、視線が離れなかった。
真子はそんな俺の視線に気づいているのかいないのか、ベッドへ腰掛けながらスマホを確認している。
再度舐め回すように見ていると、ふと顔を上げた真子と目が合う。
「……なに見てんの。」
「別に。」
「ふーん。」
真子はそう言うだけで、深くは追及してこない。
久美子ならここで何か聞いてきた気がするが、真子のそれ以上触れないという適当さが、妙に心地いい。
その瞬間、スマホの通知欄に残った久美子の名前が一瞬だけ遠く感じ、俺は無意識に画面を閉じる。
真子はそんなこと気にも留めず、「ねむ。」と呟きながら、そのまま俺の肩へ体重を預けてきた。
俺の肩に軽く感じる真子が、少しだけ危険なものに思えた。




