第57話「【青】の確認」
一昨日、真子が残した言葉が、未だに俺の頭から離れなかった。
『私のこと好きじゃないでしょ。……ってか、ヤりたいだけ。』
『好きなら付き合おうって言うじゃん?』
何度も何度も脳内で再生されるため、俺は今日の業務も集中できていない。
キーボードを叩いている途中で指が止まり、メールを書いていても、一瞬だけ思考が途切れる。
真子と付き合いたいのかと聞かれると分からないし、久美子と別れたいのかと聞かれるとそれも違う気がする。
自分でも答えが出せない問いを抱えたまま、昼休みを迎えた。
社員食堂で1人でうどんを啜っていると、「お、佐藤じゃん。ここ空いてる?」と、同期の男数人が俺を見つけ、俺の周りに座ってきた。
俺は「空いてるから、使うならどうぞ。」とだけ答え、水に口を付けた。
「そういや佐藤さ…」と、唐揚げを頬張りながら、同期の一人が言った。
「最近ずっと誰かといるよな?」
「あー、それめっちゃ分かるわ!」
俺が反応する前に、別の同期が笑う。
「小松とよくいるし、家でも遊んでるらしいじゃん?」
「いや、狩野さんとも結構一緒じゃね?部署が一緒だからかもしれんけど。」
「俺は、休憩室で2人で話しているの見たぞ!」
同期との人間関係が希薄な俺に対する軽い雑談だろう。
「同期なんだから一緒にいることくらいあるだろ。別に珍しい話じゃない。」
俺は突き放すように返し、味噌汁を飲んだ。
それで終わる話だと思ったからだ。
「でも佐藤って彼女いたよな?」
また他の同期が何気なく言ったことで、周りの空気が止まる。
「あー、優しそうな……えっと、古見さんだっけ?」
誰かが思い出したように頷く。
その名前が出た瞬間、俺の胸の奥で何かが引っかかった。
理由は分からないが、嫌な感じがした。
久美子、真子、里香という、今まで別々に存在していた名前が、同じ会話の中に並んだ。
「そういや先週だったかの朝も小松といたよな。」
「あれあれ、っていうか、佐藤の彼女って格ゲー大会の相方じゃないん?」
「その子もいたな!あれ結局どういう関係なん?」
「そっちの部署で噂になってるらしいけど、狩野さんとも年休一緒に取ってんでしょ?」
同期達の話題は転がるように続いていくが、誰も俺を責めているわけではない。
ただ聞いたことのある情報を、雑談交じりに小出しにしているだけだ。
俺はそう思っているはずなのに、背中がじっとりと汗ばんだ。
他人の記憶はスマホの予定表と違って管理できない、なんていうう考えが頭をよぎった。
意味もなくスマホを取り出しかけて、やめる。
まだ続く同期達の情報整理の声を聞きながら、俺はなぜか落ち着かない気分になっていた。
「佐藤って結構インドアかと思ってたけど、まじで顔広いな!」と誰かが笑った。
俺はそれに乗じて「別にそんなことないって!」と笑って返し、言葉を続ける。
「小松はゲーム仲間だし、狩野さんは同じ部署だから話すだけだって。」
「格ゲーの子は?」
「同じキャラ使いのフレンドで、たまたま人数合わせで大会で組んだだけ。」
俺はなるべく自然に、なるべく軽く、ログの整合性を取るみたいに答えた。
「古見さんは?」
「彼女。」
俺はそこだけ即答し、その瞬間だけ、テーブルが少し静かになる。
「じゃあ全部問題ないのかー、つまんねー。」
そう言った誰かの言葉で、皆が笑った。
話題はそのまま別の同期の残業話へ移っていく。
本来なら、それで終わったはずだったが、俺の落ち着かなさは収まらなかった。
食事を終え、同期たちと別れて、自販機でエナドリを買って戻ろうとした時だった。
「直樹くん?」
聞き慣れた声に振り向くと、少し寂しそうな顔をした久美子だった。
「あ、おう。久美子はお昼食べたとこ?」
「うん。最近はお弁当、部署の先輩達と食べてるんだよね。」
そう言って久美子は小さく笑い、俺はいつも通りの久美子の笑顔に、少しだけ肩の力が抜けた。
「同期のみんなと一緒だったんだね……」
「たまたま捕まっただけで、約束してたんじゃないよ。」
「ふふっ」と久美子は楽しそうに笑った後、何か思い出したように言った。
「あ、そうだ」と、久美子が思い出したように言う。
「最近ね、真子ちゃんと話すこと増えたんだ!」
俺の心臓が一拍だけ遅れ、それに伴い反応も鈍ったのが分かる。
「……へえ?」
「同期会の時からちょこちょこ話すようになって、同じフロアで会うこと結構あってさ。」
俺の表情がどうなっているか自分では分からないが、久美子は俺の顔を見ていつも通りの笑顔のままだ。
「ゲームの話とか全然分からないけど、聞いてると面白いんだよね!」
「……そうなんだ。」
「うん。」
そこで久美子は数秒だけ言葉を切った。
「……直樹くんとも仲良いみたいだしね。」
その言葉に、俺は先ほどの同期への返事と同様に「まあ、同期だからな」と、反射的に返す。
それを聞いて「そっか。」と、久美子は頷き、それ以上は何も聞いてこなかった。
しかし、俺のは何故か胸の奥がざわついた。
久美子の性格を考えれば、その言葉に悪意や探る意図もない。
久美子は何も知らない、知らないはずだから、ただの雑談だとは分かっている。
それなのに、頭の中でさっきまでの会話が勝手に再生され、断片的だった単語が、勝手に繋がり始める。
「ごめんね、忙しいのに時間取っちゃって……じゃあ午後も頑張ろうね!」
久美子はそう言って手を振って去っていった。
その背中を見送りながら、俺は無意識的にスマホを取り出し、予定表を開く。
共有カレンダーにも不自然な点はなく、誰からも不審なメッセージは無かった。
それでも、この原因不明の不安は消えなかった。
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その日の夜、寝る前に俺はカレンダーアプリを開いた。
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【青】久美子
【赤】真子
【黄】明日菜
【緑】里香
【紫】真冬
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色分けされた予定表の画面は、これまで俺に全能感を与えてきた。
だが今日は違い、画面を見つめる俺の耳に、昼間の同期たちの声がノイズのように再生される。
それらが網の目のように繋がり、俺という存在を縛り付けていく感覚に陥る。
俺は自分の予定を管理できる。
だが、他人の記憶までは管理できない。
その当たり前の事実を、俺は初めて恐ろしいと思った。




