第53話「【紫】の反応」
残業がようやく終わって疲れた俺は、部屋に着くなりネクタイを緩め、スーツの上着を椅子へ放り投げる。
冷蔵庫から真子のために買っているドクペを取り出し、一気に半分ほど飲み干した。
今日は久美子との昼食も、里香との休憩もあったはずなのに、仕事に追われていたせいか、もう遠い昔の出来事みたいに感じる。
そのまま風呂にも入らず、ゲームを起動し、ヘッドセットを装着すると、ほどなくして真冬がオンラインになった。
俺は通知が付いた瞬間に、通話ボタンを押す。
「真冬お疲れ。オン対するか?」
『ちょっと待って。今日7本だったからマジで疲れた。』
「7本って……あぁ、7本か。」
俺が一瞬だけ言葉に詰まったのは、意味を理解するまで数秒かかったためだ。
『そ、7本。顎も腕も痛い。』
「それはまた大変だな。」
『ほんと、ふぁぁ……まーじで疲れた。……明日も口開けから新規入ってるしさー……』
真冬は欠伸混じりで怠そうにそう言った。
昨日言っていた通り、本指名3連続に加え、その後も予約が入っていたのだろう。
夜職なのだから当たり前だというのに、俺はなぜかその話題を早く終わらせたかった。
「じゃあ今日は軽めにするか。」
『そだねー、……そういえば社畜の直樹は?』
「ん?」
『だから今日の残業はどうだったの。』
「ああ、さっき終わって家着いたとこ。」
『また?』
「また。」
『相変わらず社畜だねー。』
「真冬も似たようなもんだろ。」
『それはそう。こんな仕事、稼げる時に稼いどかないとだし……』
やがて真冬の準備が終わり、いつものように格闘ゲームを起動する。
「じゃーまずはミラーでやるか。」
『うちはいつも通りホワイトのカオカタちゃんね!直樹は今日は蟲色にして。』
「なんでだよ、俺の愛用はデフォカラーだ。」
そんな雑な会話を楽しみながら、数試合ほど対戦したところで、真冬がふと思い出したように口を開いた。
『そういや、この前の同キャラタッグの大会動画さ。』
「ん?」
『なんかまだ再生数伸びてるよ。……ほれ。』
チャットツールが電子音を鳴らし、画面にリンクがポップアップした。
俺はブラウザを開き、その動画をクリックすると真冬と最初に出た大会の切り抜きショート動画だった。
画面の中で俺が勝利を決めた瞬間に、興奮した真冬が俺に飛びつき、抱きしめ合っている。
その数秒のループ映像の下に連なるコメント欄に、俺の視線は吸い寄せられた。
<この二人付き合ってる?>
<夫婦感あるなー>
<絶対合体済みでしょこれ>
「コメントがなおまふ絡みばっかだな。」
匿名のコメントが勝手に俺たちの関係性を妄想して盛り上がっている。
そのコメント欄を眺めるのは悪い気はしないどころか、もっと書き込まれればいいとさえ思った。
『バカじゃん。そういうコメント気にする方がキモいよ。』
そう思っていた矢先、真冬が即座に切り捨てる。
「辛辣だな。」
『だって事実じゃん。』
真冬は興味なさそうに続けた。
『ほら、それよりこの時のGFRさ、カエルとの試合見て。』
「ん?」
『直樹が最後相手の暴れで負けるちょっと前、GFと比べてめくりの揺さぶりが足りなかった気がする。』
俺は動画を切り替え、真冬が示したラウンドを見返す。
『GFではかなりゆさぶってたから、ゲーム取れたけど、GFRは堅実に立ち回ろうとしすぎて、カエルに固められてる。』
「確かに。」
『もっと大胆で良かったでしょ。設置が怖くて対カエルは出来ないよ。』
「確かに、日曜に出た大会でもカエルに固められたな。」
『そう。割り切ってガンガン行くしかないよ。ちょっと再現しよ。』
真冬はそう言いながら、ボーカロイドカラーのカエルを選択した。
「おっけ、じゃあ俺はカオカタね。」
そう言って、キャラ選択をし、真冬と真剣にキャラ対策を始めた。
気付けば話題はコメント欄から完全に消え、フレームやコンボ選択等を2人とも夢中で話し続ける。
真冬とゲームの話をしている時間は、驚くほど噛み合って心地よさを感じる。
しかし、俺はスティックを動かしながらも、さっきコメント欄で見た、<付き合ってる>という言葉だけが時折頭にちらついた。
真冬はそんな空気などもはや存在しておらず、『次、零織やる。対策付き合って。』とだけ言った。
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『じゃ、直樹またねー、おつー。』
真冬が挨拶を残し、通話の接続音が消える。
俺はヘッドセットを外し、俺は椅子に深く体を預けた。
大会の会場では、あれほど近くにいた真冬が、今はモニターの向こう側にいる。
スマホを手に取っても、当然のように、真冬からのメッセージは届いていない。
今通話を終えたばかりで、それは当たり前のことだった。
用事があれば送る、用事がなければ送らないという関係なのに、俺は何度も画面を確認してしまう。
前回の大会の夜、真冬にホテルを断られたこと、今日の7本という言葉、動画のコメントを笑い飛ばされたこと、それら1つ1つは別の話だ。
本来なら何も気にするようなことじゃない。
しかし俺の胸の奥には、理由の分からない小さな棘だけが残り続けている。
何かが噛み合っていないような、気持ち悪い感覚だけがある。
スマホの画面を消し、ベッドへ横たわりながら再度真冬の事を考える。
思い返せば、真冬は俺を優先したことはない。
大会への誘いも、ライブへの誘いも、真冬がそうしたいからしただけだ。
それなのに俺は、真冬に何を期待しようとしているのだろう。
明日の仕事も恐らく残業で、こんなことを考えていても仕方ない。
俺はそう結論づけて、部屋の電気を消した。
けれど、その違和感だけは最後まで消えなかった。




