第48話「【紫】の忠告」
ファミレスを出た後、俺たちは神社へ立ち寄り、ご当地食料品店を何軒か回ってから部屋へ戻った。
久美子は新しく購入したミントブルーのドライヤーを、まるで宝物かのように抱えている。
「これ絶対使いやすいと思うんだよね!」
嬉しそうに箱を撫でる姿を見ながら、俺は曖昧に相槌を打った。
部屋に入ると、久美子はさっそくドライヤーを洗面所へ持っていき、置き場所を考え始める。
そんな何気ない時間の延長線上で、気付けば久美子に誘われた俺はベッドにいた。
久美子との時間は愛されているという実感があり、安心できる。
だが安心と欲求は完全に別物だ。
真子といる時のような飢餓感もなければ、真冬といる時のような高揚感もない。
何より、痩せたとはいえ久美子の豊満なままの身体には、俺の食指が動きにくい。
久美子としている時間は安定しているが、最近の俺は、その安定をどこかで退屈だと感じ始めていた。
半ら義務的な交わりを終え、久美子は満足感が満たされると、シャワーを浴びるため部屋を出た。
その姿を見た俺は枕元のスマホを手に取り、真冬へとメッセージを打つ。
<今日の大会どうだった?もう帰った?>
なるべく今日の久美子のことには触れずにメッセージを送信すると、すぐに既読がついた。
<今日の大会はボロボロだしもう帰った。明日のタッグは、なおまふ優勝狙うぞ笑>
俺は帰ってきた返信を見て、久美子が戻ってくる前に素早く返信する。
<
せやな、優勝するぞー笑
真冬:やる気あるのウケる。ってか彼女怒らんの?笑
だから彼女じゃないって
>
即座に既読が付くと、またすぐに短い一文が返ってきた。
<そういうことにしてあげよう笑>
信じていないが、真冬はそれ以上追及する気もないことが分かる。
しかし、俺自身が反射的に打った彼女じゃないという言葉、これは今日のあの場を切り抜けるための方便だったはずだ。
なのに、再度使ってしまったことに違和感があり、その一言だけが俺の頭に刻まれていた。
そして、なぜか俺は無性に腹が立った。
それは真冬に責められたからではなく、責める気すらない相手に見透かされた気がしたからだ。
しばらくしてシャワーから戻ってきた久美子は、まだ上気した肌のまま、俺の胸に飛び込んできた。
久美子にしては珍しく、2回戦を要求してきたのだ。
「今日はいっぱい一緒にいられたからかな」
久美子は少し照れながらそう言った。
俺は脳内の恋人という役割を満たすため、再びモチベーションの上がらない久美子の豊満な身体を抱いた。
2回目の交わりが終わった後、今度は2人でシャワーを浴びる。
洗面所で、久美子が嬉しそうに新しいドライヤーのプラグをコンセントに差し込んだ。
「今日ありがとう!直樹くんの髪乾かしてあげるね!」
タオルに頭を巻いた状態の久美子が、そう言いながら俺にドライヤーを当てた。
「どう、気持ちいい?髪の毛さらさらになるよー!」
背後から温かい風が吹きつけ、久美子の指先が俺の髪を優しく梳かしていく。
鏡に越しに見える久美子の顔は、心底幸せそうだった。
その無防備な笑顔を見るたび、俺の胸には返済期限のない負債が積み上がっていく。
久美子は何も要求していないのに、何かを返さなければならない気持ちだけが膨らんでいく。
久美子がベッドで泥のように眠りについてから、俺はスマホをそっと自分の手元に引き寄せた。
通知を見ると、真冬からゲーム連携APP側でメッセージが来ている。
<
真冬:なぁ、今日の清楚風な女の子、直樹のタイプ?
だから、ただの同期だって
真冬:はいはい笑
なんだよ
真冬:別に?
真冬:でもさ、うちなら嫌かな
何が?
真冬:自分の彼氏が、他人にただの同期って言うん
>
その一言が、俺の網膜に、そして脳の最も深い場所に直接突き刺さるような感覚があった。
しばらく画面を見つめたまま、俺の指が止まった。
真冬は怒っても責めてもいない。
ただの客観的な感想を送ってきただけだが、俺の思考回路はその言葉に完全に占拠されていた。
真冬は俺の彼女でも何でもないのに、久美子側の視点を、あまりにも自然に、そして正確に言語化してみせた。
俺は真冬に余計な詮索をさせず、面倒な説明を省くための、最も合理的な返事を選択したはずだった。
だが、もし久美子があのファミレスの場で、俺が真冬に送った『会社の同期』という文章を直接見ていたら、どう思っただろうか。
嘘によって維持されているはずの整合性が、内側からボロボロと崩れ落ちていくような、形容しがたい違和感が胸の内に広がっていく。
俺はその胸の内から逃げるように、目を瞑り、いつの間にか意識を手放した。
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翌朝、久美子はスッキリとした笑顔で帰る支度を整えていた。
玄関先で靴を履きながら、彼女は俺を振り返って小さく微笑む。
「楽しかった!ありがとう!今度、家具も見に見に行こうね!」
「……ああ。そうだね……」
「あ、あと、今日は日曜日だしゆっくり休んでね!」
俺はドアが閉まるまで、いつもの穏やかな彼氏の笑みを維持し続けた。
ガチャリ、と鍵が閉まる音が静かな部屋に響く。
家具と言っていたが、久美子は何も深い意味など考えていないのだろう。
ただ、次のデートの予定として、一緒にインテリアを選ぶ時間を楽しみたいだけだと思いたい。
しかし、俺の耳には違う意味に聞こえた。
電化製品、家具ときたら同棲や結婚という文字がちらついてくる。
少しずつ俺の生活空間へ久美子の領域が広がっていく未来を感じながら、静まり返った部屋のに戻り、スマホを手にする。
画面を開くと、昨晩の深夜に真冬から送られていたメッセージが、そのまま表示されていた。
<明日寝坊すんなよ笑>
俺が<しないって>と返した数秒後、彼女が最後に残した一文に気が付いた。
<あと、その子大事にしてあげな>
彼女は今日もいつも通り、俺のセフレ兼ゲーム仲間として、何事もなかったかのように振る舞うのだろうか。
俺たちの関係を切るつもりも、久美子に暴露するつもりもないのだろうか。
ただ、真冬の中で、俺の評価が『面白い遊び相手』から『彼女がいるのに何やってんだこの男』へと、静かにシフトしただけなのだろうか。
スマホの画面を見つめる俺の指が、ふと止まる。
ポケットの中には、まだ未読のまま放置されている明日菜からのメッセージ。
<また会いたいです。この鎖骨の部分が、お風呂に入ったら少し薄くなってきてしまいました。>が返信せずに残っている。
共有カレンダーの画面を開けば、来週の同じ曜日に、当然のように組み込まれている久美子との予定がある。
そして、スマホの中には、狩野と行ったテーマパークの写真が鍵付きアルバムに眠っている。
俺はスマホの通知一覧を開いた。
未読の調整、予定のリマインド、SNSの投稿、全て正常で全て管理できている。
それなのに、なぜか胸の奥だけが妙にざわついていた。
それは真冬の言葉のせいだけだろうか。




